The Project Gutenberg EBook of Udekurabe, by Kafu Nagai This eBook is for the use of anyone anywhere at no cost and with almost no restrictions whatsoever. You may copy it, give it away or re-use it under the terms of the Project Gutenberg License included with this eBook or online at www.gutenberg.org Title: Udekurabe Author: Kafu Nagai Release Date: December 13, 2010 [EBook #34636] Language: Japanese Character set encoding: UTF-8 *** START OF THIS PROJECT GUTENBERG EBOOK UDEKURABE *** Produced by Kaoru Tanaka and Sachiko Hill
Title: 腕くらべ (Udekurabe)
Author: 永井荷風 (Nagai Kafu)
Language: Japanese
Character set encoding: UTF-8
Produced by Sachiko Hill and Kaoru Tanaka.
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大正六年十二月排印
[Pg 1]はしがき
おのれ志いまだ定らざりし二十の頃よりふと戯れに小說といふもの書きはじめいつか身のたつきとなして數ればこゝに十八年の歳月をすごしけり。 あゝ十八年曾我兄弟は辛苦をなめて十八年親の敵を打つて名を千載に傳へおのれはいたづらなる筆をなめて十八年世の憎しみを受け人のそしりをのみ招ぎけり十八年が同じ月日も用ゐかたによりて變るためしはもろこしに柳下惠といへる賢者は飴のあまきを嘗めて老ひたる親を養はんと申しけるを盜跖とよぶ盜人は人の家の戶に塗り音[Pg 2]せぬやうに引あけて忍入らんといひけるとぞ。 さはさりながら敵をねらふ兄弟も男と生れしからにはそつと人知れず大磯の濡れ事ばかりは免れず今も昔も男と女客と妓女とのいきさつ此のみ寔に千古不易の人情とや申すべき。 それは扨て置きおのれ今年の夏より秋にかけて宿痾俄にあらたまり霜夜の蟲をも待たで露の命のいとゞあやうく思はれければ十八年がこの歲月わが拙き文市に出る度每に購ひ給ひける方々へいさゝか御禮のしるしまで新に一本をつゞりて笑覽に供せんものと思ひ立ちける折からこの小說腕くらべの一作幸雜誌文[Pg 3]明にはわづかに草稿の一部を掲げしのみなれば急ぎ訂正改作してその全篇を印刷する事とはなしぬ。 然れどもこれとて未尙全く完結に及べるものにもあらざればいよ〳〵その後篇とも稱すべきもの幸ひにしてまた來ん春まで命保ち得たらんにはやがて書きつぐべき折もやあらんまづそれまでは讀切のもの同樣偏に御愛讀を冀ふとしかいふ
大正六年冬至の夜 作 者 識
「あら、吉岡さん。 」
「おやお前は。 」
「何てお久振なんでせう。 」
「お前、藝者をしてゐたのか。 」
[Pg 2]「去年の暮から…………また出ました。 」
「さうか。 何しろ久振だ。 」
「あれから丁度七年ばかり引いてゐました。 」
「さうか、もう七年になるかな。 」
幕のあく知らせの電鈴が鳴る。
各自の席へと先を爭ふ散步の人で廊下は
「ちつともお變りになりませんね。 」
「さうかな、お前こそ何だか大變若くなつたやうだぜ。 」
「あら御冗談ですよ。 この年になつて………。 」
「いや全く變らないな。 」
吉岡は眞實不思議さうに女の顏を
「その中、一度ゆつくりお目にかゝらせて頂戴。 」
「何ていつて出てゐるんだ。
「いゝえ、今度は駒代ツて申します。 」
「さうか。 その中呼ばう。 」
「どうぞ……。 」
舞臺からは早くも拍子木の音が聞える。 駒代はそのまゝ自分の席へと廊下を右の方へ小走に立去つた。 吉岡は反對なる左の方へと同じく早足に行きかけたが何と思つたか不圖立止つて後を振向いた。 廊下には案内の小娘と賣店の女が徘徊するのみで駒代の姿はもう見えなかつた。 吉岡は有合ふ廊下の腰掛に腰をおろして卷煙草に火をつけ思ふともなく七八年前の事を囘想した。 二十六の時學校を卒業し二年程西洋に留學してから今の會社に這入つて以来こゝ六七年の間といふものは、思へば自分な[Pg 4]がらよく働いたと感心する程會社の爲めに働きもした。 株式へ手を出して財產をも作つた。 社會上の地位をもつくつた。 それと共に又思へばよく身體をこはさなかつたと思ふ程、よく遊びよく飮んだ。 彼はいつも人に向つて得々として云ふ如く誠にいそがしい身體なので、過去つた日の事なぞは唯の一度も思返して見るやうな暇も機會もなかつたのである。 ところが今夜偶然にも學生の頃始めて藝者といふものを知りそめた其の女に邂逅して、吉岡は自分ながらどういふ譯とも知らず、始めて遠い昔のことに思を寄せたのであつた。
何にも知らないあの時分には藝者といふものが何となく凄艷に見えた。
そして藝者から何とか云はれるのが眞實嬉しくてならなかつた。
今日あの時のやうな
全く其の通りかも知れない。 吉岡は今の會社に這入つてまだ十年にならないのに早くも營業係長の要路に用ひられ社長や重役から珍らしい才物だと云はれてゐるだけ、同僚や下のものにはあまり受のよい方とは云はれない。
吉岡は新橋に湊屋といふ看板を出してゐる力次といふ藝者をば三年ほど前から世話をしてゐる。
然し有ふれた旦那のやうに
吉岡にはもう一人妾同樣にしてゐる女がある。
それは濱町に相應な構をしてゐる村咲といふ待合の
吉岡はそれやこれやの複雜な關係に比較して、相手の駒代はたしか十八自分はたしか二十五、互に何が何やら分らずに馴染を重ねた其の時分の單純な無邪氣な心の中を思返すと、自分ながら何となく芝居か小說でも見るやうな美しい心持がして來る。
美しいだけに
「や、こゝにおゐでゞしたか。
洋服をきた
「どこから。 」
「いつもの處です。
」と
「
「實は誰かと思つて少しは
「君、力次は今夜僕等がこゝにゐるのを知つてると見えるね。 」
「屹度誰か連中の見物にでも來てゐたのが知らせたんでせう。 お歸りに是非一寸でいゝからお寄り下さるやうにといふ事です。 」
「江田君、實はそんな事より今夜は少し珍談があるんだがね。
」と吉岡は
「また濱町の件ですか。 」
「いや、そんな舊聞ぢやない。 ロオマンスだ。 」
「え、何です。 」
「小說見たやうな話があるといふのさ。 」
「さうですか。 面白さうですな。 」
[Pg 9]江田は合槌を打ちながら廊下を地下室の廣い食堂へとついて行つた。
「君は相變らずウイスキイだつたね。 」
「いや、今夜は少し廻つてゐますからビイルにして置きませう。 まだ腰を拔かすにはちつと早過ぎませうて、はゝゝゝは。 」
江田は顏中を皺だらけに
「珍談とは一體何です。
」とボオイの置いて行つたビイルを片手にしながら江田はいかにも聞きたさうに力を入れて、「まさか拙者を
「實はさう有りたいんだがね。 」
「へゝえ。 これア大分罪が深さうですな。 」
「江田君、ひやかしちやいかんよ。
僕は今夜始めて女に迷つたやうな氣がした。
」云終つて吉岡はあたりに人もやあると見廻したが廣い食堂には遠い片隅にボオイが二三人寄つて話をしてゐるばかり、見渡すかぎり人のゐない
「江田君これア眞實まじめな話だよ。 」
「はゝア此の通謹聽してゐます。 」
[Pg 11]「いかんなア。
いつでも君には冗談ばかり云ふもんだから……眞劍な話はどうもしにくい實はその何だ。
「ふむ〳〵。 」
「僕がまだ學校にゐた時分知合つた女なんだがね。 」
「お孃さんですか。 どこかの奧樣になつてゐると云んでせう。 」
「氣が早いな。
「藝者ですか。 して見ると隨分早くから御修行なすつたもんですね。 」
「あれが、その僕が道樂をし出したそも〳〵一番初めの藝者なんだ。
其の時分駒三と云つてゐたんだ。
さうさ、一年ばかりも遊んだかな。
さうかうする中に僕は學校を出てすぐ洋行するんで、其の時には相應にまア
「ふむ〳〵。 」と江田は吉岡から貰つた葉卷を惜し氣もなくスパリ〳〵と吸つてゐる。
[Pg 12]「七年ぶりで新橋へ出たんだとさ。 駒代といふんださうだ。 」
「駒代……
「名前を聞いたばかりだから、自分で店を出したのか、それとも借金をしたのか其の邊の事は何にも知らない。 」
「外のものに内々で聞いて見ればすぐにわかりませう。 」
「兎に角七年も引いてゐて又出たんだといふから何れ仔細があるに違ひないさ。 今までどう云ふ方面の人の世話になつてゐたんだか、實はその邊の事も知つて置きたいんだがね。 」
「大分御詮議が
「仕方がないさ。 かう云ふ事は始めに承知して置くが一番だよ。 友達の女と知らずにくどいて、出來てしまつた後で恨まれるなんて云ふ話はよくあるやつだからな。 」
「さう急に話が進んで來ちや拙者も愚圖々々しちや居られませんな。 兎に角一度お姿を拜んで置きませうどの邊に居るんです。 棧敷ですか。 」
[Pg 13]「今廊下で見たばかりだから、何處に居るか分らない。 」
「お歸りにはどうせ何處へかお
「よろしく賴むよ。 」
「力次はいよ〳〵祇王妓女ですな。 かわいさうに…はゝゝは。 」
「
廊下の方から無遠慮に大きな聲で話をしながら這入つてくるお客がある。 吉岡はそれと氣付いて話と途切した。 舞臺の方では立廻でもあるのか頻に付板を叩く響がする。
「おいボオイ、勘定……。 」
吉岡は椅子から立つた。
「今晩はようこそ……。
」と濱崎といふ待合の
「帝國座へさそはれた。
藤田さんの義理で女優劇の見物だ。
」と袴をぬぎかけてゐた吉岡は立つたまゝで、「女優の旦那になるのも並大抵ぢやないね。
「矢張藝者衆の方が無事でございますよ。 」と女將は紫檀の食卓の側へ座を移し、「江田さん、大層お暑さうですね。 お着換へ遊ばしたらいかゞです。 」
「なに暑くつても今夜は我慢しよう。 浴衣つていふ奴はどうもよくない。 伊勢音頭の芝居で切られる奴見たやうでな。 」
「大層御行儀がいゝぢやありませんか。 」
「おかみ、實はすこし賴みたい事があるんだがね……」
「何なりと伺ひませう。 」
[Pg 15]「ありがたい。 今夜はおゆるしで我輩が御主人役だ。 いゝか、それで藝者もいつものとはまるでちがつたのを呼んで貰ふんだ。 」
「はい〳〵。 どういふ處をかけますんです。 」
「左樣さ。 兎に角力次は呼ばない事にしよう。 」
「あら、どうして、あなた。 」
「だから賴みたい事があると云つたぢやないか。
「それでもあなた……。 」
おかみは
「
「駒代さん……。 」と女將は女中の顏を見る。
「新奇の
「あゝお十さんとこの……さうでせう。 」と女中は直樣思付いたらしい顏[Pg 16]付。
「お十さんとこの、さうかい。 」と女將は始めて會得した體で、杯を下に置き、「家へはまだ來なかつたね。 」
「來ましたよ。 一昨日の晩も鳥渡御挨拶に來たぢやありませんか。 そら、千代松さんのお座敷で……。 」
「あゝさう〳〵。 それぢや、ぽつちやりした小作りの…年を取ると何もかもみんな一緖くたになつてしまふんですよ。 」
「それから後は誰にしやうかな。
十吉も暫らく呼びませんな。
」と江田は吉岡の方を顧みて、「一
「さうして貰はう。 」
「畏りました。 」と女中はついで急須茶碗を盆にのせて立去る。 女將は杯を江田に返しながら、
「何だかまるで譯がわかりませんね。 」
「はゝゝゝ。 わからないのも尤だ。 今夜急に湧いた話だからな。 實は僕も大[Pg 17]に面食つたんだよ。 はゝゝは。 兎に角かうしてゐる中も返事が待ち遠しいて、來られるか知らん。 」
「何だか狐につまゝれたやうですね。 あなた。 」
「いゝから安心して見ておゐで、今にはなしが段々面白くなるから…。 」
女中が戾つて來て、「駒代さんはお芝居ですつて。 すぐに伺ひます。 」
「はゝゝゝは。 」と江田は覺えず笑ひ出した。
「あら……
「まあいゝ。
それから
「十吉さんも外の方も
「さア。 」と江田は吉岡の方を見ながら「來られたら來いと云つて置かうぢやありませんか。 」
今度は女中を座敷へ殘して女將が電話の返事にと立つた。
「萬事よさゝうですな。 一人の方が話が早うござんすからな。 」
[Pg 18]「お蝶。
一杯やらう。
」と吉岡は女中へさして、「お前、知らないか。
駒代には
「いゝ藝者衆ですわねえ。 」と女中は巧みに逃げて、「先に此の土地にゐたんですつてね。 」
「はゝゝゝは。 」と江田は再び大聲に笑出す。
「江田さん
「をかしいから仕樣がない。 お前知らないのか。 駒代つていふのはあれア僕の藝者だぜ。 先に七年ほど前だ、この土地に出てゐた時分一時は隨分騷がれたものだぜ。 」
「あら、あなたが、ほゝゝほ。 」
「笑ふ奴があるか。
失禮な
「それは全くの話だ。 僕が證明するよ。 一時江田さんに熱くなつてゐたんだがね、譯があつて別れたんだとさ。 そこで今夜が十年ぶりの御對面なんださうだ。 」
[Pg 19]「あら、さう、ほんとうなら隨分お安くないわね。 」
「ほんとうならとは
兎角する中に、やがて廊下に足音がして、「姐さんこちら……?」
江田はわざと飛上るやうに坐り直した。
襖を明けたのは駒代である。
髮はつぶしに結ひ
「先程は……。 」と挨拶したが新しい顏の江田がゐるのに心付いてか少し調子を改めて、「今晩は。 」
[Pg 20]江田は早速杯をさして、「今まで芝居にゐたのかい。 」
「はい。
あなたも
「歸る時實はさそはうと思つたんだがね、どこにゐるのか分らないもんだから……。
」と云ふ中にも江田はさり
御當人の吉岡は猶更の事である。 現在駒代の身の上はまるで抱えか[Pg 21]見世借りか又は遊び半分の勤めか、その邊の事情まで、口に出して野暮らしく聞く必要はない。 衣服の着こなし座敷の樣子萬事を綜合して日頃藝者を見馴れたものゝ眼力で一見して推察してしまはうと思つてゐる。
駒代は江田に貰つた杯を鄭寧に洗つて返し行儀よく酌をしながら、これも客商賣の經驗で、無論しかとはわからぬけれど今夜初對面の江田さんと吉岡さんとの關係も大槪は見當がついたものゝ然し猶大事を取るつもりらしく、何とも付かぬ世間ばなし。
「芝居ももう暑くつていけませんのね。 」
「駒代。 」と吉岡は突然ながら然し極めて親しい調子で、「お前いくつになつた。 」
「
「
「噓ですよ。 」駒代は子供らしく一寸首をかしげ指を折つて數へながら獨語のやうに、「あの時私が十七……ですもの。 それから……。 」
[Pg 22]江田は
「あら堪忍して頂戴。 つい……。 」
「あの時だの其時だのと、一體それアどういふ時だ。 」
駒代は愛嬌の糸切齒を見せて笑ひながら、「吉岡さん。 あなた、まだ半分位ぢやありませんか。 」
「今夜は一ツ身の上話を聞く事にしよう。 」
「あなたの……?」
「お前のさ。 私が洋行してから後何年程出てゐたんだ。 」
「さうねえ。 」と駒代は扇子を弄びながら一寸天井の方へ上目を使つて考へながら、「彼れこれ二年ばかしも稼いでゐましたわ。 」
「さうか、ぢや私が洋行から歸つて來たのと彼れ此れ同じ時分だつたかも知れん。
」吉岡は心中駒代は其の時誰に引かされたのかと云ふ事をきゝたいと思つたが、云ひ出しかねて、さあらぬ
[Pg 23]「
「一體、今まで奧樣になつてゐたのか、お妾でゐたのか、どつちだい。 」
駒代は盃をゆつくり干して下に置き其のまゝだまつてゐたが決心したやうに、「隱してゐたつて仕樣がないわね。
」とすこし膝をすゝめて「一時はちやんとした奧樣になつたのよ。
あなたは洋行なすつておしまひなさるしさ、其の時分私も實は少し悲觀してたのよ。
ほゝゝゝほ、あら噓ぢやない事よ。
それでね、丁度その時分田舎の大盡の若旦那で
「さうか。 」
「その當座はお妾でゐましたの。
する中に是非お國へ行けツて仰有るんでせう。
お國へ行けばほんとの奧樣にしてやるからと仰有るのよ。
いやでしたけれど
「どこだへお國つて云ふのは……。 」
「何でもずつと
「新潟だね。 」
「いゝえ。
「とう〳〵
「それがツて云ふのが、あなた。
旦那ツて云ふ
「さうか、わかつた。 息つぎに一杯……。 」
「すみません。 」と駒代は江田に酌をして貰つて、「さういふ譯ですから何分御贔負に願ひます。 」
[Pg 25]「外の藝者はどうしたらう。 もう來ないかな。 」
「まだ十一時前ですが。 」と時計を出して見たが、江田は丁度其時電話だといふ知らせに席を立つ駒代の後姿を見送つて、聲をひそめ、
「なか〳〵いゝですな。 逸品ですぜ。 」
「はゝゝゝは。 」
「誰も來ない方がいゝでせう。 ところで僕も今夜はこの邊のところで消えてしまひませう。 」
「なに、それにや及ばんよ。 何も今夜にかぎつた事ぢやない。 」
「乗掛つた舟でさ。 當人だつてもう其の氣でせう。 恥をかゝせるのは罪です。 」江田は自分の前にあつた杯を二ツとも一度に片付け、遠慮なしに吉岡の煙草入から葉卷を一本取出しマツチをすりながら立掛けた。
箱屋から掛つた電話の返事をして駒代はそのまゝ座敷へ行かうとする[Pg 26]のを帳場にゐたおかみ、
「あ、鳥渡、駒ちやん。 」
すると駒代は甘つたれた聲をしながらも、
「おかみさん、
「あゝ、
駒代は早速返事につまつてしまつた。
勿論以前に出てゐた吉岡さんの事だから、今更別に
「それぢや、おかみさん、時間にはいたゞかして頂戴よ。 」
云捨てゝ其のまゝ駒代は二階のお座敷へ立戾ると、電氣燈が杯盤狼藉たる紫檀の
[Pg 28]色戀の浮いた苦勞ではない。
深く煎じ詰めて行つたら或はそれも屈托のもとになつてゐるかも知れないが、兎に角駒代自身では自分の苦勞はそんな浮いたものぢやないと堅く信じてゐる。
駒代の思に暮れるのはこの身の行末といふ一事である。
今年二十六と云へばこれから先は年々に
駒代は突然何といふ譯もなく、あゝ藝者はいやだ、藝者になれば何をされても仕樣がない……さう思ふと私見たやうなものでも一時は大家の奧樣と大勢の奉公人から敬はれた事もあつたのにと覺えず淚ぐまれるやうな心持になる……
丁度その時急しさうに廊下を走つて來た女中が、「あら、駒代さん、こゝに居たの。 」と座敷の杯盤を取片付けながら、「あちら、あの離れのお座敷ですよ。 」
[Pg 31]夜通し人の出盛る銀座の草市も早や昨日と過ぎて、今日の夕暮おそしと藝者家の立ならぶ橫町々々をばお迎ひ〳〵と云つて呼步く物賣の聲、丁度その折から表通の新聞社からは何事の起つたのか、號外々々と叫んで賣兒の馳け出す鈴の響、
がらりと尾花家の格子戶を明けて出た老人、「なんだ號外だな、また飛行機でも落ちたんだらう。 」
何ともつかず空を見上げる後から可愛らしい半玉の聲、「旦那、もうお迎ひを焚くんですか。 」
「さうだな。
」と老人は兩手を後に猶も空を見上げながら
「旦那、お盆に三日月さまが出ると
ゴムでこしらへた鬼灯を鳴らしてゐるお酌の花子には老人の獨語が却[Pg 32]て不思議に思はれたらしい。
「お佛壇の下にお迎ひが買つてあるよ。
いい
「旦那、あたいが火をつけて焚いて上るわ。 」
「そうツと持つて來なさい。 炮烙をこわしなさんな。 」
「大丈夫よ。
」と云ひ捨てゝ、半玉の花子は
「旦那、いゝこと。 燃すことよ。 」
「これさ。
さう一
云ふ中にも表通から吹通ふ夜風に迎火はパツと燃え上つて、白粉を濃くつけたお花の橫顏を紅く照らす。
老人は
「南無阿彌陀佛、南無阿彌陀佛。 」
「旦那、千代吉姐さんのとこでも、あらお向うでも方々で燃してるわ。 奇麗だわねえ。 」
「あら、旦那、根岸の先生がいらしつてよ。 」
「どれ、どこに……。 」と老人は燃殘りの迎火に水打つ手をとめて、「成程、子供は目が早いな。 」
「いや、お變りもありませんか。
」と二三軒先から老人の姿を見て一寸麥藁[Pg 34]帽子に手をかけ往來の水溜りを大股に踏み越して進寄つたのは、お酌の花子から根岸の先生と云はれた新聞小說家倉山南巢といふ人である。
年は四十前後白薩摩に無地
「先生、さア、どうぞ。 」と老人は格子戶をあけたが小說家は佇んだまゝ迎火の烟立迷ふ橫町を眺め、
「お彼岸とお盆だけは今だに昔らしい氣がしますな。 時にお宅の庄さんは……もう何年目になります。 」
「庄八ですか、六年目です。 」
「六年、早いもんですな。 ぢや來年は七囘忌ですな。 」
「左樣です。 老少不常人の命ほどわからないものはありません。 」
[Pg 35]「今年は方々で追善興行がありますが。 どうです來年あたりは庄さんの七囘忌……まだどこからもそんな話はありませんか。 」
「無い事もありません。
實は一昨年三囘忌の時にもさういふ話しはあつたんですが、
「
「もう四五年壽命があつたら少しア見られるやうになつたんでせうが、何しろ若輩だ。
二十三や四で死んだんぢやいくら
「お前さんの氣性から云へばそれも尤さ。
然し以前の御贔負筋から自然とさういふ話が出たんなら、何も
「仰せの通り何事も好かれ惡かれ御贔負のお心まかせ。 老人は口を出さない方がいゝかも知れません。 」
老人は小說家を奧の四疊半に案内した。
こゝは狹い尾花家の
「相變らず取り散らして居りますが、どうぞ、お羽織をお取なすつて……。 」
「いや、結構、いゝ風が來ます。
」と小說家の
「先生、いらつしやいまし。 」
「や、これは、この間の演藝會は結構な出來でしたな。
「あら、嬉しいわ。
「云ひませうか。 御主人の前で云つてもいゝなら云ひますぜ。 はゝゝゝは。 」
「
「駒代姐さん――御座敷です。 」
「はアい。 」と返事をして、「先生、御ゆるり……。 」と駒代は靜に立つて行つた。
倉山はぽんと灰吹を叩いて、「いつも御賑かですな。
「只今大きいのが三人に小さいのが二人ですから、いやどうも
「新橋中でも
「左樣さ、
倉山は成程々々と謹聽の態度を示し、そつと懷中から覺書の手帳を取出して老人の談片を書取る用意をした。 倉山は誰に限らず年寄つた人の口から親しく過ぎ去つた世の話を聞き、それを書取つて後の世に殘す事[Pg 39]をば操觚者たる身のつとめのやうに思つてゐるので、新橋邊まで來たついでには必ず尾花家を尋ねるのである。
尾花家の主人は倉山先生の注文には誠に以て來いといふ老人である。
老人の方からも倉山先生は又とない咄し相手である。
いそがしい今の世の中、
老人、名は木谷長治郞と云つて嘉永元年の生れ、本所金糸堀邊に住んでゐた小祿な旗本の
長治郞と十吉の間には二人の男の兒が生れた。 老人は長男の庄八に學問させ立派な人物にして、潰れてしまつた先祖の家を興させたいを思つてゐたが、藝者家の疊に生落ちた庄八は小學校へ通ふ頃から早くも遊藝を嗜む性質を示し始めたので、父親はきびしい意見の末再三手荒な折檻までした事があるが、遂に詮方つきて、そんなら一層其の方面で名を揚げさせるより仕樣がないと、十二の時市川團洲に賴込んで弟子にして貰つた。 庄八は市川雷七と云ふ名を貰ひ團洲の歿後二十の時に名題に昇進して仲間から妬み嫉まれた程な人氣役者になつたが、不圖流行風邪から急性肺炎に冒され脆くも命を取られてしまつた。
丁度その頃に庄八の弟なる次男の瀧次郞――これは中學校も卒業間近まで進んでゐたが、或時各區の警察署で不良少年の検擧をした折、どうい[Pg 41]ふ譯かその嫌疑で呼出され說諭を喰つた爲め中學は退校されてしまつた。 それや此れやで老人はひどく世をはかなんだ矢先、講談師仲間と席亭の悶着が起り、老人はむしやくしや腹で四方八方へ當散した揚句、講釋師の鑑札を返してしまつた。
老人は根からの藝人ではないので、いつも頑固な事を云出して仲間のものから嫌はれてゐた。
自分だけでは心底あきらめて世をも自分をもすつかり茶にしてゐるつもりであるが、知らず〳〵昔の氣位と性癖を現はすのであつた。
師匠の一山が生きてゐた時分には折々宴會や御座敷なぞへも招れて行つたが、或時、さる成金紳士の新宅開に呼ばれ、御さし
倉山南巢が老人と懇意になり出したのもつまりは久しく吳山の出る席の定連であつた事からである。
「もう一度出て見る氣はありませんか。
お前さんが
「何しろかういふ世の中になつちやもう駄目だ。 講釋なんぞゆつくり聞いてゐやうといふ世の中ぢや御座んせんよ。 」
「今の世の中は活動でなくつちや承知が出來ないのだからね。 」
「義太夫も落語も總じて寄席はもうすたりでさ。 」
「寄席ばかりぢやない。
近頃は芝居も同じ
「全くさ。
先生の仰有る通り、ゆつくり役者の藝を見てやらうとか講釋師の讀振りを聞いてやらうとか、そんな事は今のお客にや面倒で面白くないんですね。
だから席亭は不入でも講談筆記は賣れるといふぢやありませんか。
老ぼれた講釋師と古手の小說家とは冷えた澁茶に
「おや入らつしやいまし。 」と葭戶を片よせて這入つて來たのはこの家の女主人尾花家十吉であつた。
[Pg 44]
十吉は靜に佛壇の前に坐つて念佛を稱へた後御燈明を消して扉を
「アラお歸りですか、先生、まア御ゆつくりなさいましな。 」
「ありがたう、その中また御邪魔に出ます。 」
「久振で編笠でもさらつて戴かうと思ひましたのに。 」
「はゝゝゝは。
さういふ事ならいよ〳〵以つて長居は出來ませんな。
この頃はもうとんと怠つて居ます。
師匠にお會ひでしたらよろしく
「それではまたお近い中に……。 」
十吉は老人と一
[Pg 47]「今方出たよ。 」
「
「ふう、さうかい。
」と老人は夏蜜柑の皮を干した煙草入を
「實は二三日前力次さんと一所になつたんだよ。 すると何だか妙な事を云つてるから變だとは思つたけれど、さうとは氣がつかなかつたのさ。 處が今夜すつかりお客樣から其の事を聞いてはゝアと思つたのさ。 」
「ぢやアあれも見掛によらずなか〳〵腕があると見えるね。 」
「何だか私が知らない顏をして取持でもしたやうに思はれるといやぢやないか。 」
「何さ、なまじ口を出さねえがいゝ。
「ほんとうだよ。 今夜いろ〳〵話を聞いたんだがね、旦那の方から身受の話まで持出してあるんだとさ。 引かして世話をしてやらうと仰有つてるんださうだけれど駒代の方ではつきりした返事をしないんだとさ。 」
「
「まアあゝして稼いでゐてくれゝば
「一體その旦那といふのは何處のお方だ。 華族さまか。 」
「力次さんの旦那なんだよ。 」
「だからその旦那といふのはどう云ふ方だ。 」
「お前さん、知らないのかい。 そら、あの何とかいふ保險會社の方だよ。 三十[Pg 49]七八かね、まだ四十にやお成りなさるまいよ。 お髯のある立派な好い男さ。 」
「大したものを見付けたな。 それぢや商賣が面白くつて止められねえのも無理はない。 旦那がいゝ男で道樂に六代目か吉右衞門でも色にすりやそれこそ兩手に花だ。 はゝゝゝは。 」
「お前さん見たやうな呑氣な人アありやしない……。 」と十吉は呆れて腹も立てぬといふやうな顏付をして灰吹をぽんと叩いた。 折から表の方で電話がしきりに鳴出す。 「誰もゐないのかね。 」と云ひながら十吉は退儀さうに立上つた。
一時は水道の水が切れると騷いだ
駒代は吉岡さんにつれられ箱根か修善寺へ行く處であつたが、かの大雨で鐵道は東海道線のみならず東北線にも故障が出來たとかいふので、吉岡さんにすゝめて森ケ崎の三春園へ泊る事にした。
三春園といふのは新橋中で幅をきかしてゐる木挽町の對月と云ふ待合の別莊で、公然お客を
女中が朝飯の膳を下げて行つた時はもう十時過であつた。 初秋の空は薄く曇つて徐ろに吹き通ふ風時折さつと緣先の萩の葉の露をこぼしながら、蟲の音はそれにも驚かず夜と同じやうに靜に鳴きしきつてゐる。
駒代は敷島を啣へ腹這ひに寢そべつて女中の置いて行つた都新聞を見てゐたが、
葉卷を啣へて吉岡は最前から女の姿に餘念もなく見惚れた樣子であつたが、靜に肱枕の身を起し、「だからさ、惡い事は云はん。 好加減に藝者はよしたらどうだ。 」
駒代は
「駒代、一體お前はどうして
「信用しなかないわ。 ですけれどさ……。 」
「そら見ろ。 矢張信用しないんぢやないか。 」
「だつて無理だわ。
あなたには力次姐さんがついて居るんだし、それから濱町の村咲の
「力次の方はもう切れたも同樣ぢやないか。 昨夜もあれほど話したのにまだそんな事を云つてゐるのか。 濱町はもと〳〵きまつて世話をしてゐるんぢやなしさ。 そんなに不安心ならまアそれでいゝさ。 」
「あなたすぐ
吉岡は全く我ながら不思議でならない。
以前洋行する時分には平氣で捨てゝ行つて此の女が今更となつてこれ程氣に入つて
全く不思議だ。
さういふつもりでは決してなかつたのだが……と吉岡は駒代の顏を見る度自分の心がその思ふやうに自由にならないのを不思議がる。
これまで隨分遊散してゐるが、實際吉岡はかういふ妙な心持になつた事は唯の一度もなかつた。
書生の時分から吉岡は非常に規則正しい代り潤ひのない薄情な、折々木で鼻をくゝつたやうな事を言ふ男だとよく人からいはれてゐた。
蕎麥屋や牛肉屋へ上つても友逹からおごられるのが嫌ひ、又友逹をおごるのも嫌ひ、勘定は厘毛まできちんと割前にするといふやり方、其時分始て藝者買をし出したのも、云はゞ確固たる分別あつての事であつた。
それはなまじ性慾を抑壓して却て下宿屋の下女のやうな
社會に出てからも矢張その通りである。
これまで湊家の力次の旦那になつてゐた譯は性慾からでも戀愛からでもなく、所謂當世紳士の巧妙心とも云ふべきものからであつた。
力次は先年井藤春步公が手をつけた女だとかいふ事で今だに何かあると藝者仲間の評判、當人は其當時から一[Pg 55]足飛びに貴婦人になりすました樣な氣位。
俄に茶の湯に琴書畫までを習ふといふ有樣。
吉岡は近頃賣出した若手の實業家として、いづれどの道藝者の旦那になるなら、よかれ惡しかれ取られる金は同じこと。
さすれば都新聞の艷種に出されても人を驚すやうなのがよいと無鐵砲に力次を口說いた。
ところが男振のよいのと切放れのいゝのとで力次はお高くとまつてゐるといふ評判にも似ず案外譯なく落ちたのである。
然し力次は吉岡より年も既に三ツ
お前の爲に別莊を建て、立派に引祝までして身受をしてやると云つたら駒代は二返事で承知するだらうと思ひの外、これは兎角はつきりした返答をしないので吉岡は侮辱されたやうに腹も立つ、又早くも掌中の玉を失つたやうに落膽もする。
一體どういふ譯で自分のいふ事をきかないのか、女の心中を見定め、とても駄目なものなら
吉岡は眞實駒代の丸髷がよくて〳〵ならないのだ。
何でも四五度目に呼んだ時、駒代はさる病院へ朋輩の病氣見舞に行つたとかいふので、其の爲に結つた丸髷のまゝ着物も
[Pg 58]吉岡はこの
駒代は獨り座敷へ立戾ると、ばつたり倒れるやうに坐ると共に疊へ突伏して泣出した。
自分ながら何が何やら分らないまでに氣が
どこかで鷄の鳴く聲が聞えた。
駒代の耳にはそれが際立つて田舎らしく聞えると、忽ち遠い〳〵秋田にゐた時の
すると
[Pg 60]「あら
「駒代さんか。
駒代はこの前新橋から出てゐた時分一糸とは踊の師匠花柳の稽古場で知合つてゐた。
其の時分一糸はまだ修行最中の少年であつたが、二度目に駒代が藝者になつてつい此の春歌舞伎座の新橋演藝會の折樂屋で逢つた時には既に立派な名題役者になつて大勢の藝者から兄さん〳〵と云はれてゐた。
駒代は無暗とわが身が心細く夢中で寢衣のまゝ此家を逃出さうと思詰めた矢先、思ひもかけず一糸の姿を見ると、忽然どういふ譯ともわからず、宛ら他國で圖らず同鄉のものに出遇つたやうな懷しさを覺え、あたりの物淋しさが俄にそれほどでもないやうに、自然と心丈夫な氣がして、あまりの嬉しさに思はず寄添はぬばかり進み
「兄さん、びつくりして。 御免なさいよ。 」
「まだ胸がどき〳〵してゐるぢやないか。
譃ぢやない。
そら
駒代は俄に顏を赤くしながら、「ほんとに堪忍して頂戴よ。 」
「いゝよ。
今に
「あら兄さん、あやまつてるぢや無いの。
兄さんが惡いのよ。
「お樂しみねえ。 兄さん。 」
「何がさ。 」
「何がつて。
お
「お前さんこそ。
人知れず
駒代は急に情けなくなつて、其の儘行かうとする一糸の袖を捉へ、「お苦[Pg 62]しみなのよ。 兄さん。 察して頂戴よ。 」
「どうせ
「誰もゐやしないわよ。
あたい一人
「さうかい。
それぢやお前さんと私と二人ぎりだね。
「さう、
誰もゐないと思ふと廣い家の中は一際
二人は佇んだまゝ暫くは默つて顏を見合はしてゐた。
吉岡はまだ日の高い中に酒好きの
髮を結び直し錢湯から歸つて來て、鏡臺の前に坐つたが、すると
[Pg 64]「
駒代は今方自働車で三春園を引上げた吉岡さんがお屋敷へは歸らずすぐと築地へ廻つて其處から又呼びによこしたものと思つたのである。 ところが
「いゝえ
「宜春さん――珍しい
「あら。
」と云つたまゝ駒代は嬉しいやら、耻しいやら、餘りの意外に
わざとらしく「待ちわびて」といふ小唄を
「えゝ、
この樣子に、瀨川はすつかり嬉しくなつてしまつた。
同時に又意外な好奇心にも驅られ始めた。
瀨川は駒代をばこれほど
「あら
駒代はもう夢に夢見る心地といふも
「駒ちやん、お茶一杯ついでおくれ。 」
「
「いゝよ〳〵。 女中が來るとうるさいぢや無いか。 」
「さうねえ。
」と駒代は手を引かれるまゝべつたり膝を崩して寄掛り、「私も
[Pg 68]「それぢや駒ちやん、いゝかい。 きつと都合して逢つておくれ。 」
「
「
「ほんとねえ。
「うつかり
「旦那は滅多にお泊りになる事はないから大丈夫よ。
それよりか
「
「
「ぢや約束したよ。 」と瀨川は初めて遊びをする若旦那のやうに改めて女の手を握り、「それぢや車を呼んで貰はう。 」
車の仕度の出來るまで瀨川は猶も盛に
[Pg 70]通りすがる待合の二階の火影、流して來る新内は云ふまでもなく、見るもの聞くもの、世の中はまるで今までとは
金春通の尾花家の二階、表通の出窓にさげた簾にはそろ〳〵殘暑の西日が、向側の屋根を越してさしそめる頃、「皆さんお風呂が湧きましたよ。
」と梯子の下から御飯焚の聲。
二階にはいづれもごろ〳〵
菊千代は二十二三の
肌襦袢一枚の花助といふのは髮のちゞれた色の淺黑い眼のどんよりした平顏、
二人してお染をさらつてゐた花子とお鶴は三味線を片付ける。
菊千代[Pg 73]は
「何時だらう、もうお湯の沸く時分なのかねえ。 」
「さアお起きよ。
「はゞかり樣ですが
「あら、おのろけかい。 驚いたよ。 此の人は。 」
「お前さん
「あらさう。 」と駒代は流石にそれ程の事もあつたかと我ながら意外な面持。 始めて退儀さうに起直つて、「いゝわ。 おごるわよ。 」
「お前さん、いよ〳〵何か出來たんだね。 」
[Pg 74]「氣が早いよ、この人は。
「馬鹿にしないねえ。 」
「ウイスキイをあらかた一本呑んぢまつたんだもの。 今だに頭がふらふらしてゐるわ。 」
「駒ちやん、一體お前さんどうする氣なんだえ。
何だか
「
「今夜、お前さんお約束なのかい。 」
「いゝえ。 あれツきりよ、だけれどきつと今に見えるだらうと思ふのよ。 全く何て御返事していゝか困つちまうわ。 」
梯子段に足音がした。
上つて來たのは内箱のお定である。
年は四十五、六[Pg 75]
駒代はお定の顏を見ると、噂をすれば影のたとへ。
もう吉岡さんが來た知らせかと思はず、「お定さん。
「いゝえ、菊千代さん。
菊千代は何にも云はず急いで風呂場へ下りて行つた。
菊千代と駒代とは別に仲のわるいと云ふ譯ではないが、一人は
吉岡さんが身受の話を持出した時駒代が第一に相談したのは花助である。
花助は私も實は覺えがあるんだけれどと、其の身の上を繰返し〳〵述べ立てゝ男といふものはいゝ時はいゝけれど一つ氣が變ると實に薄情な[Pg 77]ものだからと、日頃駒代が考へてゐた男子輕薄說に有力な根據を與へた。
二人はそれから別けて話が合ふやうになり、お互に稼げる中稼げるだけ稼いで男なんか當にせず行末は
駒代は秋田の家を出てから身の振方に窮して舊の藝者にはなつたものの、何にしても六七年も
菊千代が大急ぎで眞福のお座敷へ行つた後、二人は
「花ちやん、お前さん此頃あの方にお目にかゝらなくつて。 」
「
「そら、あたいが出た時分によく御前さんと一座した………あの千代本のお客樣さ。 」
「杉島さんの御連中…………?」
「あゝ、さう〳〵杉島さんさ。 あの御連中は何なの。 議員さんなのかい。 」
駒代は一心に鏡の面を見詰めて髮をかいてゐる最中、突然何の聯絡もなく、杉島さんと云ふ
「あの御連中はたしか大連だつたか知ら。 何でも支那の方にお店のある方なんだよ。 」
「そう、それぢや
「
「さう、それぢや私も何か賴みやアよかつた。
だけれど何だかネチ〳〵した、助平衞ツたらしいやうな
[Pg 80]「お前さんにや隨分惚れてたんだよ。
何でもいゝから取持てツて
「あの時分は、私も久しくひいてた後だつたからね、何だか氣まりが惡くつて、それにさつぱり樣子が分らなかつたからさ。 」
「見たとこは武骨なやうだけれど、あれで中々女の兒には親切なんだとさ。 ずつと先に君川家の蝶七さんがあの方に出てゐた時分なんざ、三年も病氣でひいてゐたのをずつと別莊に置いて世話をしておやんなすつたのだと云ふ話だよ。 」
「さうかい。 さういふ方なら、何だらうねえ。 大抵な我儘をしても大目に見て下さるだらうね。 私ア顏なんざどんなに惡くつてもいゝわ。 唯長く變らずにチツトは我儘をしてもさう怒らずに世話してくれる人がほしいのさ。 」
「お前さん口でこそそんな事を云ふけれど
[Pg 81]「
「どうしてさ。 外に誰か出來たらしいのかい。 」
「いゝえ、さうぢや無いけれど…………。
身受の一件もあるしさ、それに………。
」と駒代はさすがに云淀んで
[Pg 82]「いろ〳〵話したい事があるんだよ。
花ちやん、お前さん、どこもお約束がないんなら、今の中因業家か
「さうかい、今夜はどこも受けちやゐないから…………。 」
「さう、それぢや急いで行かうよ。 」と駒代は飛上るやうに立上つて、「お定さアん。 」と箱屋のお定を呼び、「鳥渡因業家まで行つて來るわ。 七時か八時頃に昨日の宜春さんから掛つて來るかも知れないわ。 それまでにや歸つて來るけれども、電話が掛つたら知らして。 いゝ事。 」
ばた〴〵と二階を下りる。
入れちがひに上つて來たのは吳山老人物干の朝顏に水をやらうと如露片手にすぐさま屋根の上に出た。 今まで彼方此方の二階でさらふ三味線もぱつたり音をとゞめ、何處の家でも内風呂のわく刻限と見えて物干の浴衣を飜す夕風につれてコークスの臭氣盛に漲り電話の鈴次第にいそがしく鳴出す色町の夕まぐれ。 吳山は物干の上から空一面棚曳渡る鱗雲の[Pg 83]うつくしさ。 朝顏の蕾數へる事も打忘れしばしはお濱御殿の森さして歸り行く鴉を眺めてゐた。
その晩駒代は丁度花助と因業家から歸つて來て、煙草を一服してゐる處へ心待に待つてゐた嬉しい宜春のお座敷。 行くとすぐに花助を呼び瀨川の兄さんに引會はせて面白可笑しく十時過まで遊んだ。 花助は後から掛つた他のお座敷へ廻る。 駒代は兄さんとそれなり奧座敷へ引けて、十二時頃には起るつもりの處、何を云ふにも色になり立ての若い同志、つい別れにくゝて其の儘泊れば翌日は丁度稽古が一日休みと云ふ嬉しさ。 晝寐の夢から覺めてすき腹に一二杯酌みかはした時である。
「駒代さん電話…………。 」と知らせに來た女中もさすが氣の毒さうに聲をひそめた。
駒代は電話口へ出てお座敷はどこだと聞くと對月と云ふ待合だと箱屋[Pg 84]の返事に、一先づ斷つたが、またもや呼びに來る電話。
「兄さん、どこか遠出に行きたいわねへ。
」と云ひながらも商賣なれば是非もなく、駒代は再び電話へ出ると、今度は花助の聲で、是非お前さんが見たいと云ふお客樣が居らつしやるんだから、鳥渡でいゝから貰つて來てくれとの事、そして出先は
駒代は是非なく承知して瀨川には一時間ほどすればきつと歸つて來るからどうか待つてゐるやうにと賴んで、しぶ〳〵車を呼び鳥渡家へ歸つて化粧を仕直し着物を着換へて對月へ出掛けた。
風通しのいゝ二階の十疊に、御客は一人、藝者は家の姐さんの十吉に房八といふ少し年下の老妓、それに花助、稻香、萩葉、杵子、おぼろなんぞと云ふ二十三四の年增四五人に半玉二人を交へた賑な座敷である。 これなら直に貰つて歸れると駒代は内心喜びながらも、家の姐さん十吉がゐてはさすがにさう我儘も出來ぬと思つてゐる中、十吉はそれぢや又お近い中にと丁寧に挨拶して何處か外の座敷へ廻つて行つた。
[Pg 85]お客は五十年配の色の眞黑な海坊主のやうな大男である。
羽織は拔いで紺飛白の帷子に角帶を〆め、右の小指に認印の指環、兜町のお客かとも思はれる樣子。
一座の老妓房八と花助とを兩傍に麥酒の酌をさせながら、別に話をするでもなく唯にや〳〵笑つて、杵子、萩葉、稻香なんぞいふ色盛の藝者が手放しの
駒代は時分を計つて座敷を貰はうと何氣なく立つて
駒代は何の事かと花助の顏を見る。 花助はぢつと近く寄添つて、「昨夜ね、實は宜春さんから貰つて廻るとあの方のお座敷なんだよ。 その時是非お前さんをと仰有つたんだけれど、昨夜はお前さんも兄さんがおゐでだし、其れにもう時間が時間だつたから、いゝやうに云つて置いたのさ。 ところが[Pg 86]又今夜お出でになつて是非私からツて仰有るのさ。 橫濱の大きな骨董屋さんなんだよ。 以前日本橋にお店があつた時分から、葭町でちよい〳〵お目にかゝつたんだよ。 此方へ來てからも時々お目にかゝるんだけれど、此方にやまだ誰もお馴染はないらしいんだよ。 」
花助は一足二足と押すやうにいつか廊下の角の丁度空いてゐる座敷へと駒代を誘ひ入れ、どうやら卽座に話をつけてしまはうとするらしい。
駒代は何しろ今夜初めて呼ばれたお客の事、さすがによいとも云はれず、さうかと云つて昨夜も昨夜わざ〳〵花助を連出してビステキを食ひながら、何も彼も打明けて賴んだ事があるので、今夜になつてあれはみんな譃だとも云はれず、返事に
「駒ちやん、あの方なら萬が一瀨川さんの事がばれたつて、少しも心配する事はないんだよ。
役者買をするやうな藝者でなくつちや世話しても面白くないつて、いつでもさう云つておゐでなさる位な、何しろ
「あら。
」と駒代は思はず顏を眞赤にして眼には淚を浮べた。
然し空いた座敷は廊下の電燈に薄明く照らされてゐるばかりなので、花助には駒代の顏色も眼の中もよくは見えない。
それに一體が早呑込の世話好で麁々ツかしい花助の事、駒代が思はずアラと云つたのは同じ驚いたにしてもそれは意外な好運に驚喜したものと一圖に早合點する方の組なので、この場合駒代がどうやら
「それぢや賴んでよ。 よくつて。 」と花助はそれなり駒代を空いた座敷へ殘して階子段の方へ行つてしまつた早業に、駒代はまアお待ちよと云ふ暇もなく、唯胸のみどき〳〵させながら途法に暮れてしまつたが、いつまでも此の空座敷にぼんやりしてもゐられず、折から丁度廊下に女中らしい足音が聞出した處から詮方なくもとの座敷へ立戾つた。 見ると、老妓の房八はとうに居ず、稻香、おぼろ、杵子、萩葉なぞ揃ひも揃つていつの間にか引[Pg 89]さがり、居殘つたのは僅に飛丸といふ半玉一人、海坊主のやうな骨董屋の旦那は女中に脊中をあふがせながら、相變らず悠然として大杯を傾けてゐた。
每年の春秋三日間歌舞伎座で催す新橋藝者の演藝會もいよ〳〵秋期大會の初日となつて番組の第一番目花やかな總踊が今方丁度幕になつた處である。
「あなた、早く來てようござんしたわ。
[Pg 90]「あら、奧さん、どうも恐入りました。 」と宇治の師匠らしい女は茶碗を受取り、「もう十年近くになりませうね。 たしか先代の瀨川さんがおやんなすつたんでしたね。 あの淨瑠璃で御在ませう。 」
「さうですよ。 近年はどうした事か、折々時ならない時分に私の書いた碌でもない狂言や淨瑠璃が出るんで實は閉口してゐるんです。 何しろ氣まりが惡くていけません。 」
「宅ではいつでも御自分のものが出ると御氣嫌が惡いんですよ。 その位なら始めからお書きにならなけれアいゝのに…………ほゝゝゝほ。 」と丸髷は笑ながらお孃さんのつまめるやうにと大きな羊羹を楊枝でちぎり始める。
「はゝゝゝは。
」と南巢は番組の摺物を眺めて唯可笑しさうに笑つた。
番組には其の三番目に南巢が舊作なるお玉ケ池由來聞書といふ淨瑠璃名題その下に常磐津連中と踊る藝者の名が三人並べてあつたが、南巢は一向氣にも留めぬらしい樣子で直樣あたりの混雜に眼を移した。
劇場は今しも[Pg 91]追々おくれ走せに押掛けて來る看客に廊下運動場は勿論東西の花道平土間の間の
倉山南巢は自作の淨瑠璃や狂言の演ぜられるのを看るよりも今は唯芝居の中の混雜や見物人の衣裳髮形の流行なんぞを何の氣もなく打眺めるのを遙に面白いと思つてゐるので、劇場から劇評家として或は作者として招待される事があれば場末の小芝居だらうが本場の檜舞臺だらうが、そんな事には一向頓着せず必ず義理堅く見物に來る。
然し十年前のやうにもう力瘤を入れて議論はしない。
實際見てゐられぬ程下手だと思ふ藝にも何とか愛嬌をつけて褒めた批評を書かうと勉めるが、折々褒めそこなつては
「おきねさん。
」と南巢は
「あらお萬さんが來てゐますか。 奧さん一寸眼鏡を拜借します…………成程々々お萬さんですよ。 見ちがへるやうになりましたね。 その手前の桟敷にゐなさるのはアレは對月の女將ですね。 」
「家の親爺が盛んに呑んだ頃にや、あんなに肥つてやしなかつたが金が出來るとえらいもんだな。 まるで相撲だな。 」
見てゐると土地に勢力のある女將の處へはしつきりなしに藝者が四人五人と打連れて挨拶に來る。 役者も藝人も幇間も通りかゝりに腰をかゞめる。 お遣物の水菓子鮓のたぐひが引かへ取りかへ引きも切らず運ばれる有樣、打眺める南巢の眼には舞臺の演藝よりも遙に面白く見えるのであつた。 殊に、今日の見物と云へば平素興行の劇場とは又一種ちがつて、東西の桟敷鶉へずらりと並んでゐるのは新橋を中心にして、新橋への義[Pg 94]理で東京中の重立つた茶屋待合の女將や藝者を網羅したと云つてもよい。 それに加へて役者に役者のかみさん、音曲諸流の家元師匠の連中から相撲取もゐれば幇間もゐる。 さう云ふ仲間から敬い尊ばれてゐる紳士旦那方御前なんぞ云ふ人逹の顏も見える。 或はそれと反對に花柳界の寄生蟲とも云ふべきセルの袴や洋服を着た一種の人間もうろ〳〵徘徊してゐる。 藝者家の亭主親方女中箱屋もしくは藝者の身寄のものは先づ大抵平土間の末の方に寄集つてゐた。
南巢はかう云ふ人逹を見るため獨り廊下へ出てぶら〴〵してゐると往交ふ人の中から花やかな聲で、
「先生ようこそ。 」と呼びかけられ其の方を見返るとこれは白襟裾模樣髮は鬘下地にした尾花家の駒代であつた。
「お前さんの出し物は何だい。 」
「保名です。 」
「さうか、何番目だ。 」
[Pg 95]「まだなか〳〵ですよ。 五番目位でせう。 」
「いゝ處だな。 おそからず早からず、見物が一番氣乗りのする時分だ。 」
「あら大變だわ。 猶心配になつちまふわ。 」
「吳山さんはお逹者か。 」
「ありがたう。 もうその中參りませうよ。 姐さんと一所に出掛けるツてさう云つて居りました。 」
通りかゝる同じ鬘下地の藝者が駒代の姿を見て、「駒代姐さん、さつき御師匠さんがさがしてゐてよ。 」
「あらさう、先生それぢや又後ほど。
どうぞ御ゆるり。
」と云捨てゝ駒代は人込の廊下を小走に馳けて行く折から、舞臺では番組の第二番目が始まると見え拍子木の音が聞えて、廊下の往来は
[Pg 97]廊下のはづれの出入口からすぐ舞臺の裏へ出て、駒代はいつも芝居のある折には大抵瀨川の部屋に定められてある二階の一室へ急いだ。
駒代はこの三日の間瀨川の兄さんの部屋を借り
「何だい。 あんなに電話で人をいそがして置いて、お前今來たのか。 」
「お氣の毒さま。
」と人前はゞからず其の側に坐つて「いま表へ御挨拶に行つてゐたのよ。
兄さん、
「何だい、そら〴〵しく御禮を云ふぢやないか。 それアさうと、まだなかなかお前の番ぢや無いだらう。 」
「えゝ。 」
「表に誰か來てゐるかい。 」
[Pg 98]「○○さんも□□さんも(役者の本名を云ふと知るべし)みんな居らしつてよ。 」
「さうかい。 」
「みんなお二人づれよ。 」と駒代は何といふ譯もなくつい言葉に力を入れて云つたのを自分ながら心付いて「岡燒したつて始まらないわね。 ほゝゝゝほ。 」
その時床山が駒代の鬘を見せに來た。
吉岡さんは會社の江田と一所に駒代の保名が出るすこし前に、待合濱崎のおかみと駒代の家の花助と半玉の花子をつれて東の鶉へ見物に來た。
實はこの夏の末駒代が身受の相談に乗らなかつた時、吉岡は腹立ちまぎれに手を切らうと思つたが、さて差當つて駒代に代るべき氣に入つた藝者が見當らないので一
拍子木が鳴つていよ〳〵駒代の踊るべき幕があいた。
淸元の太夫が聲を揃へて
「保名だわ。 ちよいと。 」
「駒代姐さんの保名、そりやいゝ事よ。 」
「それア當然だわ。 瀨川さんがついてゐるんですもの。 」
「隨分大變なんだつてね。 」
然し吉岡にはふいと耳に這入つた最後の一
舞臺では右手の淨瑠璃臺の上に居並んだ太夫が聲を揃へて――岩せく水とわが胸にくだけておつる淚にはかたしくそでの片おもひと丁度置淨瑠璃を語り終つた處で、調べ始める皷の音に場内の氣を引き締めていよいよ保名の
「どうもおそくなりまして。
」と挨拶して
菊千代は今日の演藝會の第二番目に傀儡師のワキを語つたので、高島田に裾模樣の衣裳は襟のあたりへまで金糸の繍を入れた模樣を見せ、日頃の厚化粧を一層濃くさせてゐたので、鶉の戶のあく音にふと何の氣なく振返つた吉岡の眼には、つと首を
吉岡は菊千代と駒代との間の兎角何かにつけて競爭の氣味合になりたがつて居る事をば思ひ返した。
現に今日の演藝會についても、
〽月夜烏にだまされて、いつそ流して居つゞけは、日の出るまでもそれなりに、寢やうとすれど寢られねば、寢ぬを恨みの旅の空――
踊は正に佳境に進んだ。
濱崎のおかみと花助は旦那への御世辞「しつかりした好い藝になつたわねえ。
何によらず勉强が肝腎だね。
何しろちつとも厭な癖がないんだからね。
」と頻にほめたゝへるのを聞くと、菊千代は唯溜息をつくばかり、吉岡はもう無暗に腹が立つて來て、無理遣にもこの菊千代を拉し去つて駒代に鼻をあかしてやりたいと思ふ心は次第に烈しく[Pg 106]なる。
踊は「葉越しの葉ごしの幕の中」と云ふあたり吉岡は菊千代の手をば何といふ事もなく
演藝會は三日間大入を取つて目出度く千秋樂になつた其の翌日の事である。
新橋の藝者町は年が年中朝早くから家每に聞え出す稽古三味線の音今日ばかりはぱつたり途絕えて、稽古に通ふ女の往來もわけて少い處から、金春通を始め仲通板新道から向側の信樂新道まで祭のあとの町内も同樣何やらひつそりと疲れたやうに見えた。
そして時たま忙しさうに步き廻る
苦情と不平は事ある每に必ず此の仲間のつき物。
但し政治家のやうに詭計を廻して紛擾を釀させ之を利用して私腹を肥さうと云ふ程惡賢くな[Pg 107]いのが、まだしも藝者の議員より品格ある處かも知れぬ。
されば此日は朝湯の
駒代は皆の出て行つた
駒代は一昨々夜演藝會の初日の晩、いつもならば濱崎へお寄りになるべき筈の吉岡さんが、自分の出し物の濟むかすまぬ中に急用とやらでお歸りになつてしまつた其の事について、何か譯があるのでは無いかと、駒[Pg 109]代は瀨川との關係から何かにつけて疵もつ足。 その時から頻に心配してゐながら、然しその夜は吉岡がゐなければ結局瀨川とゆつくり出逢つて、舞臺の出來のよしあしをきゝ、直すべき處はそのやうに手を取つて敎へて貰へる嬉しさに、濱崎へはとう〳〵電話もかけずにしまつた始末。 二日目は對月のお客橫濱の骨董屋の旦那で全つぶれ、昨夜三日目の晩は突然思ひもかけない杉島さんと云ふ大連のお客――此の春弘めの當時頻に口說くのを無理に振つてしまつた其の人に呼ばれ、矢張體のいゝ事を云つて逃げるのに骨が折れた爲め今日まで心ならずのび〳〵になつてゐたのである。
濱崎の女將は其の夜吉岡さんは別に怒つた御樣子もなく、江田さんに何かお話しなすつて先へお歸りになつた、全く何か急な御用があつたらしい。 江田さんはそれからお前さんも知つての通り後一幕見て獨りでお歸りになつたと云ふ。 駒代はまア〳〵よかつたと窃に胸を撫ぜ〳〵歸つて來て、用簞笥の上に安置したお稻荷樣へ途中で買つた金つばを二ツ供[Pg 110]へて一心にその御利益を念じた。
その夜は無事お座敷に行つて歸つて來たが、いつものやうに菊千代は泊込みと見えて姿を見せなかつた。
その翌日になつても皆がそろ〳〵夕化粧にかゝる時分まで、まだどこからも居處を知らして來ないと云ふので、箱屋のお定は萬が一の事でもありはしないかと心配し出す。
身受の話はどうやら逃亡か自由廢業の風說に變じかけて來た。
尤もこれまでも度々菊千代はお座敷からいきなり家へは何とも斷らずにお客のいふまゝ箱根伊香保はおろか、京都まで行つてしまつた事さへある位なので、姐さんの十吉は案外驚かず唯菊千代のだらしが無さ加減、他のものゝ手前もあればどうにか爲なければ仕樣がないと愚痴をこぼすばかり。
身受がきいて呆れると云つてゐる處へ、ふらりと菊千代は根の拔け切つた大丸髷崩れ放題こわれ放題、眞赤な手柄がよくまだ落ちずにゐると思はれるのを平氣でぐら〳〵させながら、顏は日頃厚化粧の白粉ところ
「姐さん、鳥渡お話があるんですよ。 」
さては身受の噂は滿更の譃でもないのかと、十吉は早くも推察して二度びつくり。 しげ〴〵と菊千代の顏を見直しながら人のゐない奧の間へと立つた。
小半時して菊千代は丸髷ぐら〴〵前さがりの裾だらしなく、
「私も
[Pg 112]「
「えゝ。 おかげ樣で。 」と誰に云ふのやら分らぬ挨拶。 「花ちやん。 家がきまつたら遊びにおゐでよ。 」
さすが
「
「引いたつて、つまらないから自前でやるつもりなのよ。 」
「あゝそれがいゝよ。 勝手づとめで出てゐる位面白い事はないからね。 」と駒代も云ひ添へた。
「
菊千代はうゝむと駄々兒のやうに頸を振りながら唯だ笑つてゐるので今度は駒代が、
「それぢや
[Pg 113]菊千代はやはり笑つてゐる。
「誰だよ。 菊ちやん。 朋輩のよしみぢやないか。 敎へたつていゝぢやないか。 」
「だつて氣まりがわるいからさ。 ほゝゝゝほ。 」
「どうも、御尋常でゐらつしやいますからね。 」
「だつて、みんなの知つてる人なんですもの。 隨分箒屋さんだからさ今にすぐ知れるわよ。 」
出先の茶屋からそろ〳〵御催促の電話に
[Pg 114]茶屋は濱崎、客は吉岡である。
吉岡は鳥渡
然し駒代は兎に角に吉岡さんが見えたのでお茶屋への手前もよく此れで演藝會初日の夜の心配もなくなり、快く菊千代への祝物もすました。 菊千代は板新道に頃合の空家を見つけて菊尾花と云ふ分看板を出した。 そして今まで結つけの同じ髮結さんへ來て時折駒代に逢へば別に以前と變つた樣子もなく相變らず取り留のない事を言つてゐるので、駒代は其後しばらくの間菊千代を身受した旦那が誰あらう自分の旦那の吉岡さんであらうとは全く氣がつかずにゐたのであつた。
一ツ小袖の陽氣はいつか過ぎた。
花月が膳には初茸しめぢの香も早や尊からず松茸は松本が椀にも惜氣なく煮込まれ、一トしきり、日比谷公園[Pg 115]に人足牽きつけた菊の花もいつの間にやら跡方なく、あたりの落葉
駒代はこの時分になつて始めて吉岡さんが其の後ぱつたりお出になら[Pg 116]ないが、どうなすつたのかと急に氣をもみ出したのである。 丁度折から吉岡さんの切廻してゐる保險會社の宴會があつて、每年きまつて呼ばれる藝者は大抵其の夜も呼ばれてゐたのに駒代だけには何とも沙汰がなかつた事を其の翌日聞き知つてさてはと一方ならず胸を惱したがもう何とも仕樣がない。
瀨川の
對月で花助が無理に取持つた
この口惜し淚――女が齒を喰縛りながら何とも出來ぬ見じめな樣を見[Pg 118]るのが潮門堂の主人の面白くてならぬ處なのである。
海坊主は自分から色の眞黑なのをよく承知して若い時から女には萬事
されば駒代が一方に瀨川と云ふ色のあるかぎりこの海坊主を振り切りたいにも振切り兼ねてゐるらしい樣子、海坊主には又とないお誂ひ向の藝者である。 海坊主は十二月の聲をきくと、誰しも道に落ちた金でもあら[Pg 119]ばと血眼になる時節柄と思へば、時分はよしとのそり〳〵對月へ出かけて駒代をかけた。 冬の日は短いながらまだ暮れきらぬ。 駒代は出入の小間物屋へと板新道を拔けて行く折から圖らず電燈に菊尾花とかいた家を見て自前になつてからついまだ一度も尋ねなかつたと思付き、門口から聲をかけた。 内からはお上んなさいよと云ふのを、玉仙まで買物に行くから歸りに寄らうよと、その儘步いて行く向から一挺の幌車、すれちがひに幌の間からチラと見えた橫顏はまさしく吉岡さんらしいのに駒代は振返つて佇む間もなく、車は菊尾花の門口に止つて幌の中から降りる洋服のヅボンの色には見覺えがある。 をかしいなと思ひながら、さすがに、まさかに、さうとも疑ひかね、駒代は兎に角樣子を窺ふにしくはないと、おそる〳〵門口へ立戾る途端、使か買物か十四五の女中らしい小娘格子戶がらりと明けて出るのを幸ひ、呼止めて、
「お客樣なの。 」
「えゝ。 」
[Pg 120]「あの方姐さんの旦那…………。 」
「えゝ。 」
「それぢや又來るわ。 姐さんによろしく…………。 」
「えゝ。 」
駒代は家へ歸つたがあまりの事に淚も出ない。 今日が今日まで知らねばこそ、のめ〳〵と門口を通つたついでに聲もかけた。 内では今頃さぞ馬鹿な奴だと腹をかゝえて笑つてゐるだらうと思ふと、實にもう何とも云ひ樣のない心持になつた。
丁度箱屋のお定が對月からお座敷だと知らせたが、對月と云へばお客はどうぜ海坊主と思へばまた更に腹が立つ。 駒代は心持が惡いから今夜は自分で仕舞つて休むからと、その儘二階へ上つたが、三十分程すると何かまた思返したらしく、箱屋を呼んでお座敷へ出て行つた。
[Pg 121]やがて間もなく燈火がつく時分、駒代は電話口へ花助を呼出した。 「私、これから水戶まで行つて來るわ。 お定さんにも姐さんにも何とかいゝやうに云つて置いて…………ね、お願いだから、たのんでよ。 」とその儘切つてしまいさうなのに花助はあわてながら、
「まア駒ちやん、お前さん、今どこにゐるんだよ、對月さんかい。 」
「いゝえ、對月さんは一寸顏を出して宜春さんにゐるのよ。 身體の事は宜春さんのおかみさんにお話したのよ。 だけれども私から家へ電話をかけてさう云ふと面倒だからさ。 明日か明後日の中には歸つて來るわよ。 鳥渡兄さんに逢つて話したい事が出來たんだから。 よくつて、後生だから、たのんでよ。 」
駒代は何と云ふ譯もなく唯無暗に兄さんの顏が見たくなつたのである。 この口惜しさ無念さ――腹の中が煑くり返つてしまひさうなのに、誰一人たよるものもない、云慰めてくれるものもない悲しさ心細さ。 駒代は瀨川一糸が水戶の興行先へと前後の思慮なく駈けつける氣になつたので[Pg 122]ある。
鶺鴒や藪鶯の來る頃にも植込のかげには縞の股引はいた藪蚊の潛むかはり、池の水をば書齋の窓ぎはへと小流のやうに引入れる風流も何の譯はなく、眞菰花さく夏の夕は簾に雨なす螢を眺め、秋は机の頰杖に葦の葉のそよぐ響居ながらにして水鄉のさびしさを知る根岸の閑居。 主人倉山南巢は早くも初老の年を越えてより朝夕眺暮らす庭中の草木にも唯呆るゝは月日のたつ事の早さである。
夕立は珠を轉ばす蓮の葉忽ち破るゝと見れば耳立つ風の響葦を戰がせて、葉雞頭より菊の秋、時雨に楓散盡せば早や冬至梅の蕾數へる年の暮。
老樹をいたはる
春夏秋冬はまことに俳諧の歳時記一息に讀み下すに異ならず、今年もまた去年の藪鶯いつか植込の奧に笹啼きわたり、池のみぎはに見馴れし鶺鴒の長き尾振り步く頃となつた。
南巢は風俗人情日に變り行く世の中なるをこれは每年々々時節をたがへず我が家の庭に訪れ來る小鳥のなつかしさ。
そこらの枯枝伐除く花鋏の響にさへ心しつゝ植込の間をくゞりくゞりいつか隣と地境の垣根際へ出る。
見ればところ〴〵烏瓜の下つた建仁寺垣の破れ目から隣の庭は一面に日のあたつた明さに、泉水をひかへた
南巢はこの地境へ步み
[Pg 127]かくて今、南巢の身に取つて根岸の古家と古庭は何物にも換へがたい寶物となつた。
近隣は追々に開けて吳竹の根岸らしい趣は全くなくなるにつけ、南巢はわが家の既に處々蟲の喰つた緣側も、こゝには天明の昔、曾祖父が池邊の梅花を眺めて國風を吟じ、繼いで祖父は傾きかゝつたこの土庇にさす仲秋の月を見て狂歌を咏じたかと思へば、たとへ如何程無駄な經費を要しても、又いか程住ひにくいにしても此の古家と古庭とは昔のまゝに保存して置きたい心持になる。
出入の大工は折々の雨漏其の他の修繕に來る度、いつそお建て替へになつた方が長い中にはお德になりますと云ふのであるが、南巢は唯笑ふのみで三年程前に
かくの如き愛惜の情は獨り我家のみならず、垣を越えて隣の庭にまで[Pg 128]及ぼしてゐるのである。
隣りは吉原の妓樓が潰れた後久しく空家になつたまゝ誰も買手が無かつた。
すると誰が云出すともなくこゝで死んだ華魁が雪女郞になつて化けて出るとか、或は狐狸がわるさをするとか色々の風說が立つていよ〳〵買手がつかなくなる。
然し昔から隣合になつた倉山の家では女子供を初として誰も不思議がるものはない。
南巢の父秀齋老人は月のよい晩なぞ、我が家の庭を步み盡して、垣根の破れから構はず隣の空庭に入込み池の廻りを徘徊しながら、少時不識月。
呼作白玉盤。
又疑瑤臺鏡。
飛在白雲端。
なぞと大きな聲で詩を吟ずる。
依賴された篆刻の催促を受け返事に困るやうな時には、父はいつもそつと我家を拔出して隣の庭へ隱れてしまふ。
すると取次の女中や細君が挨拶に困つて家中をさがした末、これもいつか隣りへと入り込む始末。
父は遂に池のほとりなる松の大木をばあの儘長く手入せずに捨てゝ置いては折角の枝振も
南巢の父秀齋は菊如の歿する數年前既に亡き人の數に入つたのであるが、隣家との交際は南巢の代になつて更に親密の度を加へた。 南巢は夙に劇評家としても其の名を知られてゐたので、菊如なき後其の養子一糸は每日のやうに南巢の家に遊びに來る。 南巢もその頃は内々劇壇に野心があつたので大に之を歡迎したのであつた。
然し養母が築地へ引移つてから二人の交際は次第に疎くなつた。 一糸は道が遠いので亡父の舊邸へ來る事も殆ど稀に、又南巢は年々文學演劇の興味に乏しくなつて、朝夕隣の古庭を垣間見するのも獨り窃に昔なつかしい思ひに耽らうが爲で、今は別に若手の役者に逢つて話をしたいと云ふ氣も出なくなつた。
さうかうする中住む人なき隣の庭は年と共にます〳〵森閑として落葉[Pg 131]のみ
南巢は劇壇の野心を全く去つてしまつたものゝ猶新聞社との關係から時折劇評だけは書かなければならないので、たま〳〵一糸の出てゐる芝居へ行當る時、樂屋の部屋をたづねて久振咄もしたい、それとなく隣の寮の處分をも聞いて見たい。 折好くば一步進んで、同じ人出に渡すとしても、成らう事なら幾分か物の分つた人に賣拂ふがよい。 兎に角あの古庭の松、あの柴折門は父が生前そつと人知れず手入れまでした位のものだからと、懇意づくに忠吿もしてやりたいと思ふのであつたが、又考直していや[Pg 132]いやそんな餘計な差出口をしたとて何の役に立たう。 近頃は歷とした華族方でも、仙臺の伊逹樣を始め、さして困りもせぬのに御家代々の寶物を惜し氣もなく賣飛して、お金にする事が流行る世の中だからと其のまゝ默して、唯朝夕の垣間見にのみ、今日は新しい買手が來はせまいか、明日は池の松が取拂はれはせまいかと心を惱しながら月日を過してゐるのであつた。
窓の外なる
近處に三味線の音は元より珍しいと云ふではない。 南巢が不審に思つたのは三味線の曲である。 仇つぽい女の聲で薗八節らしいものを語つてゐたからである。 聲曲の嗜ある南巢は丸窓の戶を明けて見て更に驚いた。 今まで空家だとのみ思込んでゐた隣の寮に灯影が見え、哀れ深い薗八の[Pg 133]一段鳥部山はそこから時雨そぼ降る庭越しに分けてもしめやかな音〆を聞かせてゐるのであつた。
あまりの不思議に南巢はこの時ばかりは眞實隣の屋敷には幽靈が出るのかも知れぬといふやうな心持になつた。
淸元か長唄ならば如何に寂しい時雨の夜でもさういふ氣のする氣遣はないのであるが、淨瑠璃の中でも一番陰氣な哀ツぽい聲調で夢か
「あなた。
お茶がはいりました。
」と靜に書齋の襖を明ける妻の聲に南巢は振返つて
「お千代。 成程怪しいな。 」
「何です。 」
「いよ〳〵幽靈だよ…………。 」
「いやですよ。 あなた。 」
[Pg 134]「お聞きよ。 そら、お隣りの空屋敷で薗八を語つてゐるぢやないか。 」
妻のお千代は俄に安心した顏付、「いけませんよ。 もうおどかしても駄目で御座います。 あなたよりも私の方がよく知つてゐるんですから。 」
南巢は日頃臆病なお千代が忽ちいつもと違つた平氣な樣子に合點が行かず、「お前、知つてゐるのか。 あの幽靈を。 」
「知つてますとも。 あなた、まだ御覽なさらないの。 」
「まだ見ない。 」
「さうねえ。
二十四五位でせうか。
若く見えるけれどもつと取つてゐるかも知れません。
下ぶくれの色の淺黑い、あなたなんぞが御覽になつたらきつとお
お千代は全くの
「お千代、お前どうして、そんなに委しい事を知つてゐるんだい。
「いゝえ。
ちやんと知つてゐる譯がありますの。
たゞぢや敎へません。
」と笑つたが、やがて座をすゝめて、今日の夕方表へ買物に行つた歸りがけ、
[Pg 136]「さうさ。 うまい事を考へたな。 濱村屋もこの頃は大變な人氣だつて云ふからね。 はゝゝゝゝは。 」
「藝者衆でせうか、それとも
「大分小降りになつたやうだ。 雪洞をつけてくれ。 一ツのぞいて來やう。 」
「まア、御苦勞ですねえ。 」と云つたが、お千代は直樣立つて緣側の押入から雪洞を取出して灯をつけた。
「子供はもう寢たらうな。 」
「えゝ、とうに
「さうか。 ぢやお前も一所に來ないか。 提灯持は先だよ。 」
「あなた、
「
「聞えますよ。 そんな大きな聲でお笑ひなすつちや。 」
「かわいさうに、まだ蟋蟀が大分死なずに鳴いてゐるな。
お千代、そつちは通れない。
二人は飛石づたひに軈て植込の中へ
然し翌る朝。
雨後の空一段鮮に晴れ渡つて
「先生々々。 相變らずお丹精ですね。 」と呼びかけた。 南巢は土まみれの手に[Pg 138]冠つてゐた古帽子を取りながら、聲する方に進み、
「さつぱり掛けちがつてお目にかゝりませんでしたな。
いつから
「いえ、昨日から一寸遊びがてら宿りに來たんで、まだ御挨拶にも伺ひません。 」
「久振り、おはなしに
「實は昨夜しみ〴〵身につまされました。 いゝ音〆でしたな。 」
「聞えましたか。 それぢやもう神妙に申上げてしまひませう。 」
「是非拜見したいね。 」
其の時緣側の方で、「
「先生後でゆつくりお
「あれですか、あれは新橋です。 御存じでせう。 駒代ツて云ふんです。 」
「尾花家の駒代か……どうも聞いた事のある聲柄だと思つた。 踊は度々見たが、薗八をやるとはたのもしい。 」
「この頃二三段稽古したんださうです。 」
「瀨川君、
「もうそろ〳〵持つて見やうかと思つてゐるんですが、然しお袋のゐる中はとてもまとまりませんよ。 」
「さうかね、然し君、女房になつて其の家の姑に從つて行けないやうな女[Pg 140]ならまづ亭主にも從はない女だよ。 其の邊は色戀を離れてよく考へないといけない。 」
「それア私も考へてます。
然し家ぢやお袋がまだ若いんですから、今年やつと五十一になつたのですから、どうも、うまく折合がつかなさうなんですよ。
實は二三度駒代を家へ連れて行つた事があるんですがね。
お袋の云ふには
「さうかも知れないな。 」
「地體死んだ親爺がわるいんですよ。
江戶ツ兒の面汚しでさ。
先の
「それアさうさね。
然し君、
「上方の女と來たら商賣人もあんまり當てにや成りませんよ。
一體女ツてえものは
「女子と小人養ひがたしかね。 」
「全くですね、實は駒代を女房にしやうかと思つたのも、あんまり
「惚れて女房にしやうと云ふのぢや無いのかね。 これア少し話がちがつて來た。 」
「別にいやな事はありません。
もと〳〵我慢して勤めたお客といふ譯ぢやなし、
「はゝゝは。 そいつは心細いな。 」
「何も彼も打明けてしまへばまアそんなものなんですが、然し私だつて一生獨りで暮らすときめた譯ぢやなし、頃合のがあつたら好加減な處で納まらうかと思つてゐるんです。
「後生の障りだな、色男にはなりたくない。 」
「先生までがそんな事を仰有つちや
「靜かでいゝやね。 時に瀨川さん實はとうからお聞き申さうと思つてゐたんだが、寮は矢ツ張あゝして別莊にして置くのかね。 」
「今の處では別に差當つて買手もありませんし、まアあのまゝにして置くより仕樣がありますまい。 お袋もうつかり賣るなぞと云つて惡い周旋屋の手なんぞに引掛ると大變だと云つてゐます。 」
「まア當分あゝしてお置きなさい。
賣らうと思へばいつでも賣れるんだから。
其の中に是非と云つて好んで望むやうな買手が出るまであゝして置く方が結句德ですよ。
周旋屋の手にかゝれば地坪がいくらいくらと勘定するばかりで、寮なんぞは
「御迷惑でなければ、實は先生にお任せしたいんです。 いつかもお袋がもし芝居か何かでお目にかゝつたら、御懇意づくにお賴みしてくれと云つてゐたんですが、つい私も忘れてしまひましてね。 」
「さうですか。 それなら私にお任せ下さい、決して惡いやうには計らひません。 」
南巢はもう駒代の事なぞは
瀨川は明い中に南巢の家を辭し、今夜は築地の家へ歸つてゆつくり寢て、明日から新富座の初日へ出勤するつもりであつたが、久振りの話につひ長居して、小春の日のいつか暮れ掛けて來たのに驚き、立ち掛けやうとした折から、晩飯の膳を出されて、すぐにも歸られず、食後
一糸は瀨川の家に養はれた役者として今でも女形を勤めてゐるのであるが、一時女形は女のすべき筈のもので、これを男がするのは女歌舞伎御禁止の爲めに止むを得ず生じた江戶時代の野蠻な遺風であると云つたやうな議論が盛に新聞や雜誌に出た頃には、只譯もなく女形がいやで、昔[Pg 146]氣質の養父とは度々衝突して、いつそ役者なんぞは止してしまはうかと考へた事もあり、又新派の組合に加入して洋行でもして見やうかと思つた事さへあるが、然しそれもこれも要するに根柢のない一時の野心、新聞かぶれの出來心に過ぎないので、演劇に對する世間の議論が下火になれば、忽ちそんな事は忘れるともなく忘れてしまつて一糸は矢張子供の時から習ひ覺えた女形の役者として、
「や、瀨川さん。
[Pg 147]電車に乗ると、入口の隅の方に腰をかけてゐた三十前後の眼鏡をかけ、セルの袴をはいた書生風の男が、茶天鵞絨の中折帽を一寸
「おや、山井さん。 吉原のお歸りですか。 」と瀨川は笑ひながら、丁度席が明いてゐたので其の傍へ腰を卸した。
「はゝゝゝは。 さう見えれば結構です。 新富の初日は明日でしたね。 」
「どうぞお遊びに…………。 」
「是非伺ひます。 」と山井は二重廻の袖の下に四五册抱えてゐた雜誌の一部を取出して、「まだお送りしませんでしたが、これがあの……いつかお話した雜誌です。 」
山井は二重廻のかくしから手帳を出して瀨川の番地を書き留めた。
山井は所謂新しい藝術家なので、雅號も戲名も何もない、唯本名の
然し山井は今年三十一歲になつても二十代の書生と同樣家もなく妻子もなく下宿屋を諸所方々食ひ倒して步く藝術家なので、
然し世間は狹いやうで又廣い。
冷酷なやうで又極めて寛容な處もある。
役者や藝者の中でもまだ山井の事をばそれ程無信用な危險な人間とは氣のつかないものもある。
一二度倒されても
「山井さん。 近頃は活動もさつぱり面白いのが有りませんね。 もういつかのやうな會員組織の封切はないでせうか。 」
「ありますよ。 尤もこん度のは私が幹事をしてゐるんぢやないんです。 」と山井は急に思出したらしく瀨川の顏を見て、「あなた。 新橋の尾花家の忰を知つておゐでゞせう。 その男が世話人なんです。 」
「尾花家の忰――知りませんよ。 先年死んだ市川雷七なら知つてますが、まだ外に兄弟があるんですか。 」
「
山井は吳山老人の二番目の忰のことをば長々と語り出した。
山井要が尾花家の忰と知合になつたのは淺草千束町の銘酒屋である。
山井は芝居や宴會の歸りは無論の事。
淺草公園花屋敷の裏手なる
山井は或時吉原の朝歸り、お
「隨分よ。
旦那。
あれツきりぢや
山井は銅貨銀貨取りまぜ、どうやらかうやら壹圓取りまとめて女に渡し、逃げるがやうに
卷煙草の一本もやがて吸ひ終らうとするまで茫然と佇んだまゝ觀音堂を打眺めてゐた山井は、突然後から、
「山井先生。 」と呼びかけられて驚いて振返つた。 そして呼びかけたものゝ顏を見るや山井は更に驚いたばかりか、其の瞬間一種不快な恐怖に打たれた。 呼びかけた男といふは今方銘酒屋鶴菱の長火鉢でお歲と茶漬を食べてゐた色の白い若い男であつたからである。
「何だ、僕に用があるのか。
」と山井は云ひながら頻に
「先生、突然お呼びして全く相濟みません。 」若い男はひよこ〳〵腰をかゞめ、「私はあの……投書家です……去年先生が選者になつてお居での時分、[Pg 156]□□雜誌で當選しました。 一度是非先生にお目に掛かりたい掛かりたいと思つてゐました。 」
山井は稍安心した體で近くのベンチへ腰を卸した。 この若い男が卽ち尾花家の忰の瀧次郞である事を山井は其の後委しく當人の口から話して聞かされたのである。
瀧次郞は十四の秋まで父なる講釋師楚雲軒吳山と母なる藝者十吉の
瀧次郞は博士先生の書生部屋に住込んで十六になるまで二年ほどの間は誠に行末賴母しい勉强家であつたが、其の年の暮に博士の家では奧樣が心臓病になつて
父の吳山は火のやうになつて怒る、母の十吉は何といふ
藝者家と云ふと
一體この尾花家は主人の吳山老人が
瀧次郞はかやうに家中皆それ〴〵いそがしがつてゐる中に、その身一人は其邊にちらかつてゐる新聞や雜誌をば
おとなしく勤めたのはほんの當座半年ばかりの事、瀧次郞は手近な蠣殻町の賣春婦を買ひ散らし店の金をすこしばかり使ひ込んだのを忽ち發見されて解雇となり、再び新橋の家へ引取られたが、おひ〳〵自暴自棄になり出した瀧次郞は、もう我慢にも三日と長く窮屈な兩親の元にゐる氣はなく、或夜の事無人な家の留守を幸ひ、母と抱えの藝者の衣類簪なぞをかつさらつて逃げてしまつた。
山井がなが〳〵と飽かずに語りつゞける尾花家の忰の話がまだ終らぬ中に、電車はいつか銀座通へ來た。 瀨川はつと席を立つて降りると山井も[Pg 164]つゞいて降りた。 そして瀨川が乗換の電車を待たうと服部時計店の前に佇むと、山井もいつか其の後について同じ處に立つてゐるので、
「お宅は。 」ときくと、
「家は芝白金です。 」
「矢張こゝで御乗換ですか。 」
「いえ、いつでも芝の金杉橋で乗換へます。 」と山井は云ひながら一步瀨川の方へ進寄り、「何時でせう。 まだ家へ歸るのは少し早いやうだ。 」
「まだ十時にやなりません。
」と瀨川は
「この頃新橋の景氣はどうです。 私はもうとんと近頃は遊びませんが……。 」と山井はつゞいて二輛ほど電車が來ても一向乗る樣子なくいつまでも立つてゐる。
瀨川は始めて山井の胸中を推察した。
どこかへ遊びに連れて行つて貰はうといふに違ひない。
困つたものだと思つたが、またこの場合知らぬ顏で[Pg 165]山井一人を殘して行くのも何となく
云ひながら向側へと線路を橫切つて行くと山井はもう喜悅滿面、この鳥を逃しては大變と追掛けるやうに其の後に從ひながら、然し殊勝にも向から來る自働車をば、
「あぶないですよ。 」と注意した。 瀨川はすた〳〵ライオンの前を行過ぎながら鳥渡振向き、
「山井さん、どこかお馴染のお茶屋はありませんか。 」
「無い事もありませんが、僕の知つてゐる家はとても
瀨川は一寸行先に迷つたらしく首を
「私の知つてる家もあんまり綺麗な方ぢやありませんよ。 然し遊びはあんまり豪勢な構ひよりか小じんまりした方が心持がいゝやうです。 」
瀨川は行きつけた待合宜春へ山井を連れて
「どこから。 」
「わかつてるぢやありませんか。 さう申しませうね。 」とお牧はもう立掛ける。
「おいお牧さん。 駒代は駒代でいゝから、その外に誰か呼んでおくれ。 」
「どなたにしませう。 」と女中は再び坐り直して瀨川と山井の顏を見た。
「山井さん、誰がいゝでせう。 」
「藝者はまア駒代さんが來てからでいゝでせう。 それよりかお酒を願ひませう。 」
[Pg 167]「只今。 畏りました。 」と女中は坐を立つた。
「藝者ツてものは妙なもんで、脈の合はない同志が一座すると却て座がしらけていけません。
」と山井はいよ〳〵腰を落付けやうと云ふ心が
「見かけによらず女は誰しも片意地なもんですね。 」
「それが女心と云ふんでせう。
」と山井は菓子鉢の
「駒代とですか。 」
「えゝ。 ちら〳〵さう云ふ噂を聞きます。 」
「さうですか、そんなに評判なんですか。
「何も困る事アないぢやありませんか。 結構ぢやありませんか。 」
「僕はまだ經驗がないんですが、結婚つて云ふものはあんまり面白いもんぢや無さゝうですね。 僕は何だかもう少し獨りで氣樂にして居たいや[Pg 168]うな氣がするんですよ。 何もあの女がいやと云ふ譯ぢやない、それとは全く別の話で……。 」と瀨川は獨りで申譯らしく云ひ添へた。
結婚といふ事が何と云ふ譯もなく妙に窮屈に感じられ、又これまでの自由な華やかな生涯の
「結婚しやうと思へばいつだつて出來る話なんですからな、何も急ぐにや當りません。 然しいづれ一度はこれも人生の經驗でせう。 」
女中のお牧が酒肴を運んで來た。
「駒代姐さん
「向で三十分と云へばまづ一時間半だね。
それぢやお牧さん
「待たせた揚句に、來ればすぐ電話で後口でせう。 はゝゝは。 」と方々倒して[Pg 169]步いたゞけ山井もなか〳〵の通人である。
「ほんとにねえ。
」とお牧は眞實らしく溜息をついたが急に思出して、「今日お弘めの
「それア奇妙だ。 どうして藝者なんぞになつたんだらう。 」
「人の話だから
「さうかい、それア見たいもんだ。 山井さん、さういふ女は矢張新しい女ツて云ふんですか。 」と瀨川は眞面目に質問する。
「さうでせうな。 私の處へ短歌の添刪を賴みに來る女には、隨分藝者になり兼ねないやうなのがあります。 」
「何しろあなた方の商賣は羨しい。 第一時間で身體を縛られるツて云ふことがないし、それに又遊びに行つても内所で好きな事ができるけれど、[Pg 170]そこへ行くと私逹はすぐに顏で知られてしまふから……さう馬鹿な騷ぎ方も出來ないしつまりません。 」
「その代何處へ行つても吾々のやうに冷遇される氣遣はない……。 」
「何ぼ役者だつてさうは行きませんよ。 」
二人は唯面白さうに笑つた。
やがて靜に襖があいて敷居際に挨拶する島田が見えた。
お牧が話をした弘めの藝者といふのはこれであらう。
白襟に裾模樣の紋付を着た年は二十前後。
癖のない髮と濃い眉毛、黑目勝の大きな目には申分がないが、額は大分廣く頤の短い圓顏。
そして手の太い肉付のいゝ大柄の身體には
「急いで來たもんだから呼吸が切れて仕樣がありません。
」と飮み干して英語で「
「何て云ふ名だえ。 」
「
「蘭花――支那の女の名見たいぢやないか。 なぜもつとハイカラなのにしなかつたんだ。 」
「
「今まで
「いゝえ。
あなた。
」と蘭花はどういふ譯か急に
「それぢや女優か。 」
「いゝえ、然し私女優さんには成つて見たうござんすわ。 藝者でもし賣れなかつたら女優さんになりますわ。 」
瀨川は山井と顏を見合せて覺えず
[Pg 172]「女優になつたら蘭
「わたしジユリエツトがして見たうござんすわ。
シエーキスピアの――あの窓の處でロメオと鳥の聲を聽きながら
瀨川は少々煙に卷かれた體で
「蘭花さん、あなたは實に藝者には惜しい。 思切つて女優におなんなさい。 さうすれば僕も及ばずながら力になります。 僕だつて藝術家の一人です。 藝術の爲なら自他の區別はないです。 」
「あら、あなた藝術家でゐらしつたの。
何と
[Pg 173]「山井要といふのは僕です。 」
「あら山井先生でゐらつしツたの。
それぢや先生の歌集はわたくし
「さうですか。 」と山井はます〳〵悅に入つて、「ぢや、あなたも何か創作があるでせう。 え、蘭花さん。 聞かして下さい。 」
「いゝえ、とてもむづかしくつて出來ません。 ですけれど煩悶のある時は歌でも讀むのが一番慰藉ですわねえ。 」
瀨川はいよ〳〵呆れて唯煙草をぱく〳〵其の煙の中から山井と蘭花の顏を
新富座は定めの時間午後の一時に初日の
駒代は樂屋で着到の大太鼓が鳴る時分既に本家茶屋の一間に詰めかけて、茶屋の出方の中で顏の知れたもの三四人に祝儀をやり、又瀨川の男衆
駒代は朋輩の花助をさそつて東の鶉の三に陣取つて、今方馬盥が切れ[Pg 175]た後場内滿員となつた景氣を見ると、これは誰の力でもない、瀨川一糸一人の人氣の爲めだといふ氣がするのである。
そしてこの
「
「先程太夫さんがお
「さう。
濟みませんね。
」と駒代は云ひながら煙草入を帶に納め、「花ちやん、
「や、駒代さん。 」と聲をかけたのは脊の低い眼鏡の洋服。
「おや、山井さん。
「いや、どうも、大變な藝者に
「隨分見せつけましたね。
今日はたゞぢや濟みませんよ。
」と笑つた。
駒代は實の處山井を知つたのは昨夜始ての事であるが瀨川の
山井は駒代と共に同じく奈落へ降りながら、「實は瀨川君に
ところ〴〵瓦斯の火がぼんやり
瀨川は八反の褞袍に平ぐけを〆め、朱塗の鏡臺の前に緋綸子の大きな厚い座蒲團を敷き
[Pg 178]「昨晩はどうも。 」とまづ山井先生へ挨拶。 それと共に如才なく花助の方へも愛嬌を見せて、
「お敷きなさい。 」
「花ちやん。 お敷きなさいよ。 」と駒代も花助に座蒲團を勸めながら、然しわざと自分は敷かず少し下座へ下つて綱吉が持つて來る茶をばまづ山井の前へすゝめるなぞ、萬事すつかり女房氣取である。
瀨川は白粉を溶いた指先を手拭でふきながら、「昨夜あれからどうしました。 お泊りでせう。 」
「いや、歸るにや歸りました。 」と山井はにや〳〵笑ひながら、「歸つたら三時です。 」
「どうですか、怪しいもんですね。 」
「あの鹽梅ぢや、
「申譯をしてもいけませんかな。 はゝゝは。 兎に角變つてましたな。 新橋にや時々不思議な藝者が現れますな。 あなたの役者だつて云ふ事はとうと[Pg 179]う知れずじまひでした。 」
「あらまア。
」と駒代は
「そいつアいゝ。 」と瀨川は啣へてゐた卷煙草を火鉢へさして褞袍の兩肌をぬぎ譯もなく兩手で顏から頸へと白粉を塗りはじめたので、一同は自然と話を途絕して鏡の面を眺める中にも、駒代はもう總身に力瘤を入れぬばかり一心に眼を据ゑるのである。
「山井さん。
是非また出掛けませう。
」と瀨川は云ひながら手早く眉を作り口紅をつけると、先刻から衣裳小道具を揃へてゐた男衆の綱吉は瀨川の立上るのを待つて、すぐと桔梗の紋を金絲で縫つた奇麗な裃を着せかける。
床山は髷の大きい前髮のある鬘を持つて
「綱吉、まだ廻りにやならないか。 」と駄々ツ子のやうに云捨て呑みさしの卷煙草を口へ啣へて立上る。
其時出入口に草履を揃へてゐた黑衣の弟子が何やら丁寧に挨拶してゐる樣子に、一同は誰かと振返ると、髮を切下にして鐵無地の被布を着た品のいゝ女が、「お目出度う。
」と云ひながら這入つて來たのに、駒代は
「お目出度う御座います。 其後はつい御無沙汰を致しまして。 」と丁寧にお辭儀をした。
先代の菊如の後妻、今の一糸が繼母に當るお半である。
お半は目のぱつちりした鼻の高い瓜實顏。
髮こそ切つてゐるが色の白[Pg 181]いつや〳〵と
「いつもえらいお骨折で。 」と愛想よく駒代の方に笑顏を見せて、「大層よく出來ましたね。 矢張佐渡屋ですか。 何しろ毛がいゝんだから、何に結つてもよくお似合ひだ。 」
「あら大變。 」と駒代は餘義なさうに笑つて、「かもじでどうやら斯うやら結つてゐるんですよ。 」
舞臺の方で拍子木が聞える。
瀨川は一同へ「御ゆるり。
」と云ひながら突と座を立つた。
男衆の綱吉は朱塗の蓋のある湯呑を持つて後から廊下へ出る。
山井は駒代と花助の顏を見
「肝腎な瀨川君の初役を見そくなつちや大變だ。 」と獨言のやうに座を立つので、二人は渡りに船とお半へ挨拶もそこ〳〵つゞいて廊下へ出た。 そ[Pg 182]して一同元來た奈落へ降りかけた時、花助は小聲で、
「駒ちやん、あの方が
「さうだよ。 」
「品のいゝ綺麗な方ねえ。 私お花かお茶の先生かと思つたわ。 」
「何かゞ萬事あの通り綺麗にきちんとしてゐるから私逹のやうながさつな者ぢや、とても駄目なんだよ。 だからさ。 」と駒代は覺えず聲を高めたのに氣がついて後を振返つたが、薄暗い奈落には誰も通らず、舞臺の上の方で大道具の金槌の音が陰に籠つて反響するばかり。 幕はまだ明かぬらしい。
「だからさ。
いくらどうしようたつて駄目なのよ。
第一あの
「まだ表向さうと極りもしない中から姑根性を出すのかね。
」と花助は事の是非に關らず相手の話に調子を合せるのが癖なので、内心では瀨川の兄さんはあれでなか〳〵浮氣者だから阿母さんばかりがさう惡いときまつたものでもなからうと思ひながら、そんな事を云つたつて夢中にのぼせ[Pg 183]切つてゐる駒代の耳に這入るわけはない。
なまじつまらない事を云つて人の氣を惡くさせた上恨まれてはつまらないと、唯その場合〳〵いゝやうな事を云つてゐるのである。
駒代は全くその通。
二人の仲は誰も知つての通これほど深くなつて居ながら、今だにどうともきまりが付かないのは内輪にあの
「世の中ツてものはどうして
重次郞の花やかな姿はやがて着替へる緋縅の鎧にまた一段見榮して羽子板の押繪を其の儘の美しさ。
贔負の見物一齊に重次郞が勇しく花道へ引込む後姿を見送る
やがて夕顏棚の彼方より市山重藏の武智光秀が立現れる頃、丸髷の美人は突然年上の銀杏返の手を握り小聲ながら力をこめて、「姐さん、私もう岡惚だけぢや濟まないわ。 」
「それぢや何處でもお前さんのいゝ處へ呼んだらいゝぢや無いか。 」
「呼べる位なら苦勞しやしないわ。
出てゐる時分なら
[Pg 186]「ふツ駒代かい。
」と年上の銀杏返はいかにも卑しむやうな調子で、「腕がいいんだつて云ふからね。
お前さん見たやうな御孃さまぢや
「だから
舞臺は手負の老母が述懷から少しだれ氣味になつて來るのを丁度いゝ事に、二人は舞臺をそつちのけにして何か頻と小聲に話し始めた。 重次郞が手負になつて花道から出て來る時二人は目がさめたやうに再び舞臺の方に向直り双眼鏡を取上げたが重次郞が落入つてしまふと直樣もう舞臺に用はないと云ふ風で又ひそ〳〵話をつゞけるのであつた。
十段目が幕になると初日の事とて琵琶湖の乗切はあづかりとなり直に中幕の二十四孝。
これは瀨川一糸が奧庭狐火の宙乗まで大喝采の中に幕になると丁度時分時とて食堂は今が一番込み合ふ最中、三人の女客は出[Pg 187]入口に近いテーブルに坐を占め、
「力次
云はれて其の方を見ると駒代に花助その後に
すると銀杏返の力次はさも〳〵憎らしさうに後姿を見送りながら鼻の先で笑つて、「御覽よ。 いゝ女ぶつてさ。 たまらないねえ。 」と聞えはせぬかと思ふほどの聲。
力次は年も違へば貫目もぐつと
すると斯う云ふ事には馴切つてゐる桔梗の女將の取なし、案ずるより產むが安く、二番目の狂言河庄が切れる頃に嬉しい返事は早くも丸髷の君龍と銀杏返の力次が胸を躍らせたのであつた。 一座した久津輪の女將はこの返事を聞いて一足先へ歸り仕度をして待つてゐるからと炬燵の場が明くか明かない中に君龍の脊中をぽんと一ツ喰はしながら鶉を出て行つた。 君龍はいざ話がきまつたとなると以前の大口には似もつかず俄に心配らしく考へ込んでばかりゐるので、女將にからかはれても唯顏を眞赤に何とも云ひ得ない始末である。 されば幕が明いて瀨川の小春が舞臺へ出ると君龍はおのづと後じさりに力次の身體を楯に手にしたハンケチで半分顏をかくしながらも、人知れず眼を据ゑ息を凝して瀨川の小春ばかりをぢつと見詰めるのである。 する中に突然力次に袖を引かれハツと思はず又顏を赤く息をはづませた――力次はまるでおのれが事のやうに、
[Pg 191]「そら
君龍も瀨川が藝をしながら折々向を見る振でそつと
いつも嬉しい逢瀨の場所と二人の中にきめられてゐる宜春の四疊半。
瀨川一糸は江戸小紋の二枚重、結綿の三紋を
「お駒、それぢや鳥渡行つて來るぜ。
一時間か二時間たつたらきつと返つて來るから。
いゝかい、だまつてちや
駒代は黑縮緬の羽織もまだ拔かず火鉢の灰へぢれつたさうに火箸を突さしながら、俯向いたまゝ、
「えゝ。
待つてます。
」とすげなく云つたが、
「どうしたんだよ。
今もあれ程云ふのにお前にも似合はないぢやないか。
先から親爺の時分から贔負になる大阪のお客だ。
袖崎さんが今度久振で
「そんなら、
「それぢや、どうしても不承知なんだね。
不承知なら不承知でいゝさ。
行かないばかりだ。
」と瀨川はぐつと
「お前さんが行くなと云へば行かないまでの事さ。 先樣をしくじれば其れでいゝんだ。 」と烟管をはたいて、「お前さんも大事な吉岡さんをしくじつたんだからね、私の方もしくじりさへすれやアそれでお互に恩も恨もなくなる譯だ。 」
瀨川はどうでも勝手にしろと云ふ風にごろりと橫になつた。
かうなつては惚れた弱味のある女の方から是非どうか行つて下さいと賴むより外はない。
色の
駒代はどうあつても今夜は放すまいと思ふものゝ若しこの上我儘を云つて無理に瀨川を引留めたなら
「
「
「それぢや私がこまつてよ。
もう十一時過よ。
「さうかい。
それぢや濟まないけれどさうしておくれ。
」と瀨川はわざと
[Pg 196]もう
「ぢや。 いゝねえ。 きつと待つておゐで。 」
其のまゝ襖へ手をかける。 駒代は廣ぶたに載せた男の二重廻と帽子襟卷を持つて續いて廊下へ出た。
「それぢや後程。
」とおかみや女中の聲を後に瀨川は抱車の幌深く宜春の
駒代は宜春の帳場でおかみさんに暫く遊んでおゐでよ。 その中に私が電話を掛けるからとまで言はれたが、到底落ちついて坐つてはゐられぬので、ぶら〴〵銀座まで步いて歸つて來ますと、其のまゝ車も呼ばずぶらりと外へ出ると、門並待合のつゞいた狹い橫町、後にも先にも自働車が一[Pg 198]二臺に人力車の四五臺道をふさぐばかりに供待してゐる間を、駒代は誰にも姿を見られぬやうにと急いで農商務省の方へ出た。
蒼然とけぶり渡つた初冬の夜は地震でもゆりはせぬかと思ふほど妙に暖く、照輝く月の光に物の影はつきりと、乾いた道の上に橫るさま何となく夏らしい心地して、鬢の毛撫る微風の
それは晝間の殘暑も夜と共に袂を拂ふ秋風の心地よく
自働車が砂をあげて馳過ると耳元近く犬の吠出す聲に、駒代は已むを得ず露地口を立出で足の向く方へと歩きかけたが、するとつい二三間先[Pg 201]へお座敷の歸りと覺しい藝者二人、何の話かわからぬが、駒代の耳にはつきり聞えた「濱村屋の
「たしかに濱村屋さんの兄さんよ。
羨しいわね。
「それぢや
「それぢや私が負けたら私の方がおごるわ。
「さうねえ。
一
問はれて一人は何と答へるかと駒代は覺えず片唾を呑んだかひもなく、又向から
然し流石に聲だけは落ちつかせて、「久津輪家さんですか。
鳥渡恐れ入りますが瀨川さんを電話口まで……
暫く待つても返事がない。
遂に癇癪を起して無暗に相手を呼出すと折惡く混線と云ふ始末。
側にゐた女中のお牧が見兼ねて代り合つて掛け直すと、「もうお宅へつく時分で御座いませう。
」と云ふ返事。
瀨川一糸が行衞はこゝで全く不明になつてしまつた。
兎に角十二時になつては待合の門は
「おい〳〵待つてくれ。 僕ぢや駒代さんは來てゐないか。 」
「あら
[Pg 204]「僕だよ。
山井だよ。
」と云ふより早く馴れたもので山井はお座敷が
二三日たつと都新聞に「狂亂心の駒代」といふ見出しで一段半程の艷種が出た。
去年の秋歌舞伎座の演藝會で保名の狂亂今年の春は隅田川、二度つゞいての狂亂に當りを取りめつきり賣出して今では新橋中この名妓ありと誰知らぬはなき尾花家の駒代が、しかも芝居の初日の夜、大事な〳〵濱村屋の太夫を橫取りせられ寢やうとすれど寢られねば日の出るまでも待ち明かす、あらうつゝなの妹瀨川、土人形にあらざれば悋氣もせずにおとなしう此の儘だまつちや居られぬと、舞のお扇子踏みしだき狂ひ狂ひし一夜の始末、すべて保名の淨瑠璃
この最後の噂は誰の耳にも至極尤らしく聞えた。 と云ふのは昨日の浮いた噂が今日の結婚談になるのには何ぼ何でも事があんまり早過るやうに思つた連中もこれによつて始めてどうやら合點が行くからである。
駒代はこの噂を聞くと共にいよ〳〵もう自分は駄目だと覺悟した。
瀨川の方では此上もない便利な口實として此の噂を申譯にした。
されば二人の間にはこの噂が果して事實であつたか否かについては一度も爭論されずにしまつたのである。
一圖にさうと思ひ詰めて
「世間ぢや專ら僕逹は結婚するんだつて言つてるぜ。 何かと云ふとすぐ[Pg 207]結婚の評判だ。 」
「ほんとに御氣の毒さまですね。 」
「お前さんこそさぞ御迷惑でせう。 相濟みません。 」
「あら。 どうして私が迷惑なんです。 伺ひたいもんですね。 」
「かう評判になつちまつちや、當分お前さんこそ何處へも行かれやしないぢやないか。 」
「ですからさ。 私はまことに兄さんに御氣の毒だと此方からさう云つてゐるんぢやありませんか。 折角駒代さんと云ふ方がおあんなさるのに私が出た爲めに、その方の事がどうかなるやうだつたら私はほんとに申譯がありませんわ。 」
「駒じるしの話は禁句だよ。
だが不思議な話があるもんだね。
お前さんと私とはずつと以前に、お前さんが力次さんの家にゐた時分夫婦約束をしたんだツて云ふ評判だよ。
お前さんは其中旦那が出來て身受をされたんで一時別れ〳〵になつてゐたんだとさ。
力次さんもなか〳〵人が惡いよ。
[Pg 208]現にその事を力次さんに
「さうしたら、どうしました。 」
「どうしたか、それきり逢はないから知らない。 」
「全く不思議ねえ。 全く昨日今日のやうな氣がしないわね。 どうしてこんなに成つてしまつたんでせう。 兄さん。 」
「何だい。 」
「
瀨川は其夜誘はれるまゝに以前は妾宅であつた濱町なる君龍の家に泊ると、一晩が二晩三晩になり遂に其のまゝ其處から芝居へ出勤するやうになつた。
すると男衆の綱吉に車夫の熊公二人がつゞいて
すると繼母のお半は何がさて置き君龍の財產を賴母しく思つた爲か、わざ〳〵濱町の方へ出向いて來て何分にもどうぞ忰をよろしくとの賴み、やがて返禮に來た君龍をば下へも置かずもてなした處から、君龍の方でも實の母同樣に慕はしく思込むと云ふ風、二人は忽連立つて新富座のみならず帝國劇場や市村座なんぞ他の芝居へも見物に行く間柄になつた。
此の間に湊屋の力次は新橋の茶屋々々藝妓仲間を始めとして知合の役者藝人逹へも何とつかず遠廻しに君龍の方へ利益のあるやうな、同情のよるやうな噂の種をば絕えず振り蒔いてゐた。
[Pg 210]
「
然し寶家の方ではそれほど嫌はれてゐるとは氣のつかぬか、或は氣がついてゐても押の太いと如才ないとが成功の秘訣と
「先生、席亭の方はあれ以來ずつと御休業ですか。 」と湯船の中から話しかける。
「もう此の年になつちや出たくも出られませんや。 」と老人は流しへ坐つてあばら骨の出た橫腹を洗ひながら、「出た日にや席亭は迷惑、御定連は猶御迷惑だ。 」
[Pg 213]「近頃はいゝものが掛らないせいか寄席は淋しくなりましたな。 時に先生、實は其中御相談に上らう〳〵と思つてそのまゝ私もいそがしいもんで……。 」と寶屋はそれとなく四邊を見廻したが、元より男湯には二人きり、女湯は寂として物音なく、番臺の上には婆さんが眼鏡をかけて一心にときものをしてゐる。
「實は何ですよ。
是非一つ世話人になつてお貰ひ申さうと云ふんです。
席亭の方をお休みなら自然お暇もありませう、是非一ツ吾々の事業を助けて頂きたいんだが……。
」とそろ〳〵例の演舌口調。
寶家は組合中へ自分の勢力を張るには自分より古顏の世話人を段々によさせて、其代りに毒にも藥にもならない人物を推薦しつまり自分一人いゝやうにしようといふ下心。
吳山は新橋中では一二と數へられる古看板尾花家の名前主、頑固一點張の意地の惡い爺で通つてゐるが、然し其の代に極く淡泊で慾と云ふもの微塵もない善人である事も土地のものはよく知つてゐるので、寶家は自分の舌三寸で云ひまるめこの爺を世話人の數に入れゝば、こまかい[Pg 214]事は却て面倒がつて口を出さぬは知れてゐるので結句なまじつかな者に出られて權力爭ひをされるよりは餘程ましだと考へてゐる。
それと知つてか吳山は
「いや、そいつア御免を蒙りたいよ。
「
其時三助が「大分お寒くなりました。
」と寶家の脊中を流しに出て來たので、寶家はそれなり話を中止する。
折から相前後して這入つて來る浴客の一人は金緣の眼鏡をかけた色の生白い三十年輩、土地で金滿家と云ふ評判の女髮結お幸さんの男妾同樣の亭主。
「近頃は新橋にもさう云ふ藝者が現はれたんで、實は内々組合の中でも土地の名譽にかゝはると云つて苦情を云ふものも有る始末さ。 」
「へえ、何て云ふ藝者だね。 」
「まだ御存じがないのかね。 蘭花ツて云ふのさ。 」
「どこの
「弘めをしてからまだ物の一月もたちやしないんだが、もう新橋中知らねえ者はねえ位だ。 」
「へえゝ。
話を聞いたゞけでも
「いけない〳〵うつかり好いなんぞと云はうものなら、後でお
「さう云はれると猶の事見たくなるねえ。 」
[Pg 216]「はゝゝゝは。
「一體どんな事をするんだい、裸體踊か。 」
「
「へえ、大變なものが現はれたもんだな。 ぢや、兎に角僕も一ツ美術的修養をしに行かうや。 」
「
「この兒も今年十二ですがこの始末ぢやア仕樣がありやせん。 此頃ぢや小學校もよさせました。 」と市十は靑ざめた忰の背中を流してやりながら、「やつぱり殺生の報なんでせう馬鹿にや出來ません。 」
子供は足のわるいばかりでなく全身の發育も甚だ不充分精神の働きも餘程萎微してゐるものと見え、氣のぬけたやうにぼんやりして別に物も[Pg 218]言はねば
「昔からよくそんなことを云ふが、それがほんとうだつたら魚河岸の若衆はみんな片輪でなくちや成らねえ筈だ。 鰻屋をすると矢張いけないと云ふものがあるが、鰻も肴も生物に變りはねえ。 氣は病ひだよ。 現に私なんぞも矢張忰の事ぢや今だに泣かされてゐるのさ。 」
「瀧次郞さんと云ひなすつたツけね。 どうしましたい。 」
「いやはやお話にやなりません。
三年前にちよつと噂をきいた時にや、何でも公園の銘酒屋にゐると云ふ話だつたから、
「ふむ。 親の身になりや誰しも同じ事だ。 」
「
「へえ、どんな事ですえ。 」
「いやはや、話にも何にもなりやしません。
瀧の野郞は一ツ家に寢起してゐれアまア何が何だらうとまアおのが女房も同樣だ。
その女房同樣の女がお客を取るのを見ても平氣の平左衞門どころの事ぢや無え。
その時表の硝子戶をあわたゞしく引明けて、駈け込む女中らしい女、息をせい〳〵切らしながら、
「旦那、旦那、尾花家から參りました。 」
「何だ〳〵。 いけ騷々しいな。 」
「姐さんが大變です。 」
「何だ急病か。
よし〳〵
尾花家の姐さん十吉は既に今年の春輕くはあつたが腦溢血で出先の茶屋で倒れた事があつた。
それ以來好きな酒もぱつたり止め煙草も成りたけ吸はないやうにしてゐたのであるが、今日しも
内箱のお定は丁度出先の茶屋待合へと勘定取に出步いてゐる最中、お酌二人は稽古に、花助はお參りに行つた後なので、家にゐたのは御飯焚のお重と駒代だけ、駒代も今日は新富座が千秋樂なので、そろ〳〵湯にでも行つて來やうかと鏡臺から鬘揚げを取出さうとした處へ、御飯焚が「誰か來て下さいよ」と大聲に呼び騷ぐのにびつくりして駈降るとこの始末。
駒代はうろ〳〵してゐるお重をば錢湯へ走らして吳山を迎ひにやり、醫者へ電話を掛け、倒れた十吉をば居間へ連れて行きたいにも一人ではどうする事も出來ないので、奧から
「駒ちやん。 今の中に何かさう云つてお腹をこしらへて置かうよ。 お前さん、何がいゝ。 」
「さうねえ。
今日は朝からまだ何にも食べなかつたんだよ。
何だか
「洋食にしよう、世話がないから。
」と立掛けた途端に電話が鳴り出した。
花助は進寄つてハイ〳〵と何か
[Pg 223]駒代は電話口へ出て、「あら、さうですか、何とも申譯がありません。
實はね、おかみさん、家にちつと取込みがあつて――
「駒ちやん、今日は新富の
「今、
「
「今日はまだお湯にも行かないし、髮もこんなだし……。
」と駒代はまだそれ程に亂れてもゐない銀杏返の眞中を指で摘んで、わざと
「お前さんはそれだからいけないんだよ。
そんな氣の弱い事を云つてゐるから、いゝ氣になつて勝手なまねをするんだよ。
私なら人の前だらうが何だらうが構やしない、どし〳〵
「いくら何をしたつて、心變りがしちまつたものは仕樣がありやしないわ。
私アもう、つく〴〵懲りたわ。
」と駒代はきつと思詰めたらしい調子で、「花ちやん、私ア
「まアこの人は、物事を惡い方にばつかり考へるんだよ。
男つてものは新色が出來ると其の當座は誰しも夢中になつて
駒代は行くの行かないのと口では云ふものゝ矢張行かない中はどうも氣がすまないので、花助にかう云はれて見ると今まで我慢して居たゞけに猶更矢も楯もたまらぬやうな氣がしだして、
「それぢや
「用があれば私がすぐ電話を掛けるよ。 」
「花ちやん、ほんとうにすまないわね。 」
駒代はそつと勝手へ行つて自分から癖直しの湯を取り靜に二階へ上つて鏡に向つたが、今日に限つていつも騷しくて仕樣のない程な二階に人氣のない淋しさ、煌々とつけ
駒代は足元に落ちた大事な糸車の帶留を取上げ締め直さうとしてよくよく見るといつどうしたものか裏座の具合が惡くなつてゐて、〆めても[Pg 227]すぐにはづれてしまふ。
何かとつまらぬ事が氣にかゝる矢先、駒代は云ふに云はれぬ淋しい
やがて向うへ行きつくと駒代はすぐに今日ほど間の惡い厭な日はない、
[Pg 229]尾花家の十吉は倒れてから三日目の曉方とう〳〵あの世の人になつた。
菩提所なる四谷鮫ケ橋の○○寺といふへ葬り初七日の法事もすまし香奠返の袱紗饅頭もくばり終つて萬事の後片附もやう〳〵濟んだかと思ふと、今度は忽ちさし迫る年の暮。
商賣の事は幸物馴れた箱屋がゐるとは云へど、何しろ姊さんがなくなつてしまつた後、吳山老人
出先の茶屋々々へ歲暮の進物は箱屋のお定が昨夜殆ど寢ずに始末をつけ、今日は午前の中にまづ重な處へ配つて步いた。 吳山は每日のやうに用簞笥や文庫の中の書付を調べるのに忙しい折から、冬の日ながらも額に[Pg 230]汗をかきつゝ歸つて來たお定の樣子。
「いろ〳〵御苦勞だつたな。
」と吳山は枠の太い眞鍮の老眼鏡をはづして、「大抵にして休むがいゝぜ、あんまり
「なんで御在ます、私で分ります事なら。 」
「實は藝者衆の始末だがな……二階ぢやアもう大槪の事は知つてゐるだらうな。 まだ改めて咄しはしねえのだが、てんでに何か相談でもしてゐる樣子か。 」
「花助さんは旦那からお話があれば何處か外の家へ住替へやうと云つてゐましたつけ。 」
「さうか。 菊千代は好鹽梅に去年身受になつたし、今のところは花助と駒代と二人、後は小さいのだから此アどうにでもなるだらう。 」
[Pg 231]「駒代さんは何ですか田舎へ行きたいつて云つてるさうです。 」
「なに、田舎へ行きたいつて。
氣でもちがつたんぢやねえか。
「あら旦那、もうそんな景氣のいゝ話ぢやありませんよ。 もうとつくに駄目なんですよ。 」
「へえ、さうかい。
切れたのかい。
「その
「さうかい。
これだから、萬事年を取つちや
「濱村屋さんのおかみさんには、何ですか、來春早々以前湊屋で君龍さん[Pg 232]と云つた人がなるんだつて、彼方でも此方でも大變な評判です。 」
「ふうむ。 さうか。 それで此の土地にや居られねえから田舎へ行かうと云ふんだな。 可哀さうに。 然し駒代もあんまり意氣地がなさ過るぢやねえか。 何か文句の一つも言つてやりやアいゝに。 」
「私もよくは知りませんが、花助さんの話じや一時はハタで心配する程大變な騷だつたさうですよ。
私も若しや萬一の事でもあつてはと内々心配してゐたんですが、
「
「
[Pg 233]「ふうむ。
さうか。
金に目がくれたのか。
そんな野郞なら
「旦那がさう仰有つてたと云つて聞かせたら駒代さんもどんなに嬉しいと思ふか知れやしません。
」と云ふ折から電話の音に箱屋のお定は坐を立ち出入口の襖を閉めると、六疊の居間は日の短い盛りのころとてさき程午飯をすましたばかりなのに早や薄暗く、佛壇の燈明が金箔の新しい位牌へぴか〳〵映るのが忽ち目に立つ。
吳山は腰をさすりながら立上つて電氣を
「うむ、これア駒代の證文だ。 」と吳山は公正證書に添へた戶籍謄本を眺め眞佐木コマ、明治二十――年――月――日生、父亡、母亡と讀みながら、「兩親とも居ないのだな。 」
駒代は丁度小學校へ行きかけた頃母親に死別れてその後に來た繼母が邪見であつたとかと云ふので里方の祖母の方へ引取られ其處で成長する[Pg 234]中左官であつた實の父も死んでしまひ祖母も駒代が秋田へ片付いてゐる中に死んでしまつたので、今は兄弟も何もない全くの身一ツである。
吳山は此れまで藝者家の事一切は十吉のなすまゝにして、たまさか相談される事があつても、女の商賣に男が口を出しても仕樣がねえ、女の事は女同志で收めるがいゝと云つて深く立入つた事がないので抱の證文なぞ手に取つて見るのも全く今が始めて、駒代の寂しい身上を知つたのも從つて亦今日が始めてゞある。
吳山は女房の十吉が今度はもうとても助かるまいと思はれた時であつた。
かの家出した忰瀧次郞の事を思出して、母が呼吸ある中、もう
その日も暮れて、電線を吹鳴す木枯の響俄にすさまじく往來する車の鈴の音いかにも師走らしく耳立つ折から、吳山は二階の藝者半玉それぞれお座敷へ出てしまつた後、駒代一人氣分がわるいとて引込んでゐるのを幸、そつと居間の六疊へ呼寄せた。
「どうした、風邪でも引いたのか。 」
「たいした事はないんですけれど、唯鼻の
「氣は病と云ふ位だから元氣を出さなくつちやいけねえぜ。
時に外の事でもねえが、お前、田舎へ行きたいと云つてるさうぢや無いか。
おらア別に意見をするんぢやねえが、餘り後先見ずの不量見は出さねえがいゝぜ。
駒代はうつ向いたまゝ唯ハイ〳〵と
「實は今始めて證文を見て知つた事だが、お前は親も兄弟も何もねえ女の身一人ぢやねえか。 何ぼ意地だからといつて、何處を見ても知つた人のねえ田舎へ行つたつて心細いばかりで好い芽は吹くめえぜ。 それよりか此の土地でこゝの處暫くつらいところを辛棒したらどうだい。 實はもうお前逹も内々樣子は知つてるだらうが、乃公も十吉に逝かれちまつて男一人ぢやとても此の商賣は出來ねえし又家の忰にやアよし行衞が分つたところで矢張男ぢや仕樣がねえから、誰か相應な望手があらばこのまゝ[Pg 237]家の株をそつくり讓つてやりたいと決心した譯さ。 元より今さし當つて纏つた金がいると云ふ譯ぢやねえ、乃公一人は何處へ行かうがこの舌一枚で食つて行ける身だから、どうだい、お前一ツ奮發してこの尾花家の姐さんになつて、土地のものにそれ見ろと云ふやうに一ツ立派にやつて見る氣はないか。 どうだ。 」
あんまり思掛けない吳山の言葉に駒代は兎角の返事の出來やうもない。 吳山は氣短な老人の癖。 駒代が別にいやとも云はぬ樣子を見るともう何も彼も獨りできめてしまつて、
「藝者家に年寄のゐるのは色消しでいけねえから、乃公はどこか近所へ引移すとしやう。
なア、駒代。
その代、この
「旦那、それぢや何ぼ何でも、あんまりお話がよすぎて、私一存では到底御返事が出來ません。 」
「だから、何も彼も乃公がちやんと筋を立てゝやるんだわな。
兎に角話さへきまれば乃公も安心して肩が拔ける。
濟まねえが、お前、後で鳥渡按摩さんに電話をかけといてくれ。
吳山は呆れた顏の駒代を
駒代は電話をかけてから、火鉢に炭でもついで置いて上げやうものと靜に佛壇の前に坐つたが、すると突然嬉しいのやら悲しいのやら一
腕くらべ終
大正七年二月十一日印刷 | |||||||
定價金壹圓貳拾錢 | |||||||
大正七年二月十四日發行 | |||||||
著作者 荷風小史 | |||||||
東京市牛込區余丁町七十五番地 | |||||||
十 | | | | | 著 | 發行者 永井壯吉 | |||
里 | | | 腕 | | | 作 | 東京市牛込區余丁町七十五番地 | ||
香 | | | く | | | 權 | 永井方 | ||
館 | | | ら | | | 之 | 發行所 十里香館 | ||
藏 | | | べ | | | 章 | 東京市芝區愛宕町三丁目二番地 | ||
版 | | | | | 印刷者 植田庄助 | ||||
東京市芝區愛宕町三丁目二番地 | |||||||
印刷所 東洋印刷株式會社 | |||||||
發賣所 | 東京市京橋區出雲町一番地 電話 新橋 一九九一番 |
新橋堂 | 振替貯金二○○番 |
誤植と思われる箇所は日本現代文學全集13 永井荷風集(講談社 昭和44年)を参照した上で訂正した。
原文 なかつのである。 (p.4)
訂正 なかつたのである。
原文 寄付かないもの(p. 6)
訂正 寄付かないのも
原文
訂正
原文 御詮義(p.12)
訂正 御詮議
原文 這入つくる(p.13)
訂正 這入つてくる
原文 必要はない(p.21)
訂正 必要はない。
原文 なつたのよ(p.23)
訂正 なつたのよ。
原文 つけなければと。 (p. 28)
訂正 つけなければと、
原文 見える(p.44)
訂正 見える。
原文 出來てしまつ後(p.47)
訂正 出來てしまつた後
原文 ありやしない。 。 (p.49)
訂正 ありやしない……。
原文 一、時は(p.49)
訂正 一時は
原文 のみらず(p.50)
訂正 のみならず
原文 面白しさ(p.53)
訂正 面白さ
原文 なし
訂正 なし
原文 お云ひだらうわたしア(p.73)
訂正 お云ひだろう。 わたしア
原文 居らつしやるなんだよ(p.79)
訂正 居らつしやるんだよ
原文
訂正
原文 金が、出來ると(p.93)
訂正 金が出來ると
原文 これたけ(p.101)
訂正 これだけ
原文 ニヤ〳〵してゐるばかり來れば(p.117)
訂正 ニヤ〳〵してゐるばかり。 來れば
原文 鶺鴿(p.123)
訂正 鶺鴒
原文 倒れかゝた(pp.128-9)
訂正 倒れかゝつた
原文 片つけ(p.132)
訂正 片づけ
原文 あなたなんぞか(p.134)
訂正 あなたなんぞが
原文 南巢を家(p.144)
訂正 南巢の家
原文 書かず。 (p.149)
訂正 書かず、
原文 身だしみ(p.161)
訂正 身だしなみ
原文 柔らな(p.161)
訂正 柔らかな
原文 半年ばかりの事瀧次郞は(p.163)
訂正 半年ばかりの事、瀧次郞は
原文 極りもしい中(p.182)
訂正 極りもしない中
原文 二十四孝これは(p.186)
訂正 二十四孝。 これは
原文 意恨(p.188)
訂正 遺恨
原文 寄りかゝつ來さう(p.203)
訂正 寄りかゝつて來さう
原文 ちよと(p.218)
訂正 ちよつと
原文 丁度。 どこも(p.223)
訂正 丁度、どこも
原文 厭な日はない矢張(p.227)
訂正 厭な日はない、矢張
原文 ものがない仕方(p.227)
訂正 ものがない。 仕方
原文 取ちつや(p.231)
訂正 取つちや
原文 別賓(p.232)
訂正 別嬪
原文 しやうやそれで(p.237)
訂正 しやうや。 それで
End of the Project Gutenberg EBook of Udekurabe, by Kafu Nagai *** END OF THIS PROJECT GUTENBERG EBOOK UDEKURABE *** ***** This file should be named 34636-h.htm or 34636-h.zip ***** This and all associated files of various formats will be found in: https://www.gutenberg.org/3/4/6/3/34636/ Produced by Kaoru Tanaka and Sachiko Hill Updated editions will replace the previous one--the old editions will be renamed. Creating the works from public domain print editions means that no one owns a United States copyright in these works, so the Foundation (and you!) can copy and distribute it in the United States without permission and without paying copyright royalties. Special rules, set forth in the General Terms of Use part of this license, apply to copying and distributing Project Gutenberg-tm electronic works to protect the PROJECT GUTENBERG-tm concept and trademark. 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