The Project Gutenberg EBook of Saiban, by Elmer Rice

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Title: Saiban

Author: Elmer Rice

Translator: Kiyotoshi Hayashi

Release Date: September 17, 2012 [EBook #36976]

Language: Japanese

Character set encoding: UTF-8

*** START OF THIS PROJECT GUTENBERG EBOOK SAIBAN ***




Produced by Kiyotoshi Hayashi





Title: 裁判(Saiban)

Author: Elmer Rice

Translator: 林清俊(Kiyotoshi Hayashi)

Character set encoding: UTF-8

裁判

エルマー・ライス

各場面概要

プロローグ 法廷

第一幕

第一場 一九一三年六月二十四日午後九時三十分 ジェラルド・トラスク家の書斎

第二場 法廷

第二幕

第一場 法廷

第二場 一九一三年六月二十四日午後七時三十分 ロバート・ストリックランド家の居間

第三場 法廷

裁判二日目

第三幕

第一場 法廷

第二場 十三年前、ロング・アイランドのホテルの一室

第三場 法廷

エピローグ

第一場 陪審室

第二場 法廷

――――

いずれの幕も観客が席に着いてから幕を開けることが肝要。

第一幕と第二幕のあいだには五分間隔を置くこと。

第二幕と第三幕のあいだには九分間隔を置くこと。

第三幕とエピローグのあいだには五分間隔を置くこと。

プロローグ

場面 法廷。裁判官席に座る裁判官、等々。陪審員席には十二名の男。

書記

ミスタ・サマーズ、陪審員席の空いているところにお座りください。(足音)

グレイ

お名前は?

サマーズ

ジョン・サマーズです。

(幕が上がる)

グレイ

ミスタ・サマーズ、ご職業は?

サマーズ

電気技師です。

グレイ

個人でお仕事を?

サマーズ

ええ。マジソン・アヴェニュの一番地で。

グレイ

ミスタ・サマーズ、あなたは死刑に反対ですか?

サマーズ

いいえ。

グレイ

あなたはこの裁判の被告人、ロバート・ストリックランドをご存じですか。

(ストリックランド、立ちあがる。右腕を三角巾でつっている)

サマーズ

いいえ。

(ストリックランド、着席)

グレイ

彼と関わりのある人を誰か知っていますか。

サマーズ

いいえ。

グレイ

ジェラルド・トラスクはご存じですか。その殺害容疑でストリックランドは裁判にかけられるのですが。

サマーズ

いいえ。お名前は新聞でよく見かけますが、会ったことはありません。

グレイ

殺された男性の未亡人、ミセス・トラスクはご存じですか。

サマーズ

いいえ。

グレイ

スタンレー・グローバーはご存じですか。ミスタ・トラスクが亡くなったとき、彼の私設秘書を務めていたのですが。

サマーズ

(自信なげに)グローバーですか? どうでしょうか。

グレイ

ミスタ・グローバーを呼んでください。

廷吏

(上手のドアを開ける)スタンレー・グローバー。

(グローバー、上手よりあらわれる)

グレイ

こちらがミスタ・グローバーです。

サマーズ

いいえ。存じ上げません。

グレイ

お戻りください、ミスタ・グローバー。

(グローバー、上手に去る)

グレイ

あなたは地区検事の仕事に関わる人、あるいは被告人の弁護士、ミスタ・アーバックルの仕事に関わる人を誰かご存じですか。

サマーズ

いいえ。

グレイ

この事件の詳細をご存じですか。

サマーズ

ほんの少しだけ。殺人事件の記事なんていちいち細かく読むことはありませんよ!

グレイ

公平で厳正な評決を下す際、妨げになるような意見をお持ちですか。

サマーズ

いいえ、持っていません。

グレイ

以上です。質問がありますか、ミスタ・アーバックル?

アーバックル

(テーブルの上手側に座っていたが、立ち上がり)ミスタ・サマーズ、あなたは結婚していますか。

サマーズ

ええ、してますよ。

アーバックル

結婚して何年になりますか。

サマーズ

十五年です、次の三月で。

アーバックル

お子さんは?

サマーズ

います。男の子が二人、女の子が一人。

アーバックル

陪審団に不満はありません、裁判官。(着席)

ディンズモア

あなたのほうも不満はないかね、ミスタ・グレイ。

グレイ

はい、ございません。

ディンズモア

(書記にむかって)宣誓させなさい。

書記

(陪審員にむかって)皆さん、ご起立願います。右手を挙げてください。(陪審員、言われた通りにする)ここにいる陪審員はひとりひとりが、ロバート・ストリックランドに対するニューヨーク州検察局の告発を充分かつ適切に審理し、証拠に従って正しい評決を下すことを、永遠の神の前におごそかに誓います。

ディンズモア

始めたまえ、ミスタ・グレイ。

グレイ

(陪審団にむかって)では、おそれながら。陪審員の皆さん、本件は非常に単純な事件です。ときどき新聞に発表された事実を、皆さんはきっとよくご存じでしょう。のちほど証拠を提出しますが、ここでは皆さんの記憶をあらたにするため、ごくかいつまんで状況を説明いたします。 ミスタ・ジェラルド・トラスクは、ご存じのように、この街では著名な銀行家でした。この土地の名士であり、社交界と金融界において重要な地位に就いていたのです。ミスタ・トラスクの知り合いのなかに被告のロバート・ストリックランドがいました。二人が知り合った頃、ストリックランドはビジネスマンとしてそこそこ成功を収めていて、彼とミスタ・トラスクは頻繁に顔を合わせていました。ところが数ヶ月前からストリックランドは事業が行き詰まり始めたのです。トラブルの原因はここでは問題ではありません。 しかしわれわれの関心を引く点は、皆さん、ストリックランドがますます財政困難に陥り、友人のジェラルド・トラスクに金銭的な助けを求めなければならなくなったことです。ミスタ・トラスクはいつもの気前のよさで、約束手形を担保に受け取り、即座に一万ドルをストリックランドに貸し与えました。しかしストリックランドの事業は好転せず、彼は西部に移住することを決心したのです。約束手形は六月二十二日、殺人の二日前が支払期日になっていました。 二十二日の日、ストリックランドはオハイオ州クリーブランドで自分と家族のために、引っ越しの支度を整えていました。しかし二十四日、殺人のあった日の晩、ミスタ・トラスクを呼んで、約束手形と引き替えに借金を返済したのです。皆さん、注意していただきたいのは、ストリックランドが借金を現金で払ったという事実です。彼はビジネスマンだったのですよ。(アーバックルがストリックランドに耳打ちする)それなのに小切手や為替ではなく、現金で支払ったのです!  一万ドルを現金で! ミスタ・トラスクは立ち直ることができるまで貸した金を返さなくてもいいと申し出たのですが、ストリックランドはそれを無視しました。皆さん、彼がなぜそんなに熱心に借金を返そうとしたのか、ここですぐお聞かせしましょう。彼は一セントも金を払わずに負債をちゃらにしてしまう、ちょっとした計画を練り上げていたからです。 別に手の込んだ計画ではありません。彼はミスタ・トラスクがその晩、一万ドルを自宅に保管するだろうと考えていました。きっと書斎の金庫に入れるだろうと思っていたのです。しかも、皆さん、彼はミスタ・トラスクの金庫の数字を知っていました。いいですか、金庫を開ける数字の組み合わせを知っている人は二人しかいませんでした。ミスタ・トラスクとストリックランドです。しかしストリックランドにはその仕事を一人でやる度胸がなかった。 そこで手伝ってくれる人間を呼び入れたのです。かくして彼と共犯者は、借金を返済した数時間後にミスタ・トラスクの家に忍び込みました。共犯者が金庫を開け、ストリックランドが見張りに立ちました。泥棒はさして苦もなく金庫を開け、一万ドルを取り出しました。一方、ストリックランドはその仕事ぶりを監督していたわけです。 ところが逃げようとするときに邪魔が入りました。最初にミセス・トラスクが、次に彼女の夫があらわれたのです。共犯者は盗品を抱えたままあわてて逃げ出しました。皆さん、共犯者の消息はそこまでしかつかめていません。彼が誰なのか、どこに行ったのか、今のところ分かっていないのです。しかしミスタ・ストリックランドは盗みの現場を見られてしまった。そして彼は、死人に口なしとばかりに、ミスタ・トラスクを冷血にも射殺したのです。 皆さん、これが事件のあらましです。ミセス・トラスク、つまり殺人被害者の未亡人が、皆さんに詳しい話を聞かせてくれるでしょう。彼女の証言はミスタ・グローバー、ミスタ・トラスクの秘書によって裏付けられるはずです。この秘書の勇気ある行動のおかげで、殺人者は武器を奪われ逮捕されたのです。そしてこの秘書が彼を有罪に結びつける一連の証拠を積みあげるのに大いに力を貸してくれたのです。被告の行為は逐一、疑いの余地なく明らかにされています。ストリックランドは弁護をしてもむだと悟り、一切の……。

アーバックル

異議あり。(立ちあがる)

ディンズモア

弁護側は口をはさまないでください。

(アーバックル、着席)

グレイ

ストリックランドは一切の自己弁護を拒否してきたのです。罪状認否を問われたとき……

アーバックル

異議あり。(立ちあがる)

ディンズモア

弁護側は口をはさまぬよう。

(アーバックル、着席)

グレイ

罪状認否を問われたとき、彼は第一級殺人という起訴に対してみずから有罪を認めたのです。もしかすると皆さんはこうお尋ねになるかも知れない。もしもそうなら、なぜわれわれはここに集まったのか、と。なぜ郡はわざわざ費用を払ってまで裁判をするのか。その費用は結局は納税者の負担になるというのに。なぜビジネスマンであるあなたがたは仕事を休まなければならないのか。貴重な時間を奪われるというのに。 なぜ殺人者に与えられるべき刑罰が被告人に課せられないのか。皆さん、その答えを申し上げましょう。それは国家が市民の生命を大切に守っているからなのです。国家にとって個人の存在は神聖なものなのです。その人がどれほど腐敗堕落し、犯罪的で社会の脅威になろうとも。みずから殺人者を名乗る者にすら、十二人の同じ市民が厳かな裁判の場で、冷静沈着に事実を聞いて比較検討し、その者が犯罪の報いをうけてしかるべきだと決するまで国家は処刑を認めないのです。それゆえに皆さんは今日ここにいるのです。それゆえに裁判官はストリックランドに立派な弁護士をつけたのです。 そしてそれゆえに、被告に加えられて当然の罰が皆さんによって加えられる前に、検察は非の打ち所のない目撃者の証言を提示して、皆さんに被告の罪を確信させようとしているのです。不運なことに、被告の共犯者には逃げられてしまいました。しかし、皆さん、主犯格は捕えられています。われわれは彼に、法の定める罰を与えるつもりです。これ以上は何も申しません。事実はおのずから明らかになるはずです。(陪審団を見まわす。テーブルの下手側に着席)

アーバックル

(起立し、テーブルの脇に立って陪審員にむかって話しかける)では、おそれながら。陪審員の皆さん、裁判官からこの事件の弁護を命じられたとき、わたしは検察の主張はとても認めることができないと思いました。わたしはストリックランド氏の評判を知っています。強盗に入ったなど、見当違いの憶説であります。この信念はミスタ・ストリックランドを親しく知るにつれ、ますます強まっていきました。 彼はこの上なく名誉を重んじる誠実な人間です。すばらしい知性と立派な評判の持ち主です。そして悪癖や贅沢にふけることなく、妻と子供を深く愛していらっしゃる。このような人物が物取り目当てに友人宅に押し入るわけがない。この事件は、検察のミスタ・グレイが信じさせようとするほど明快でも単純でもないように思われます。しかしこの残忍な事件には謎が潜んでいるという確信にもかかわらず、わたしはその証拠を何一つ見つけられませんでした。 検察が言ったように、ミスタ・ストリックランドは最初から頑固に、堅く口を閉ざしつづけています。弁護士を始めてから、このように断固として説得に応じない人は見たことがありません。脅しにも懇願にも理屈にも、同じように彼は無関心です。その結果、わたしはストリックランドが誰かをかばっているのではないか、という結論に達しました。いちばん考えられるのはミセス・トラスクを襲い、金庫をこじ開けた正体不明の共犯者です。 この人物の正体を突き止め、ストリックランドがこの男をかばう理由を知ろうと、わたしは被告の家族を捜しました。皆さん、わたしはそこで愕然としました。悲劇のあった晩から被告の妻は姿を消し、以来消息不明になっていたのです。彼女を捜し出そうと手を尽しましたが、すべてが無駄に終わりました。わたしは(間を置き、ストリックランドを見る)彼女が自殺したと信じざるを得ません。しかしながら被告の幼い娘であるドリスは見つけることができました。皆さん、彼女の話を聞けば、ストリックランドを死刑台に送ることがとんでもない誤りであると、納得していただけると思います。今はこれだけにしておきます。(着席)

ストリックランド

(上手のテーブル手前に坐っていたが立ち上がる)裁判官、やめてください。娘をこの事件に引っ張りこむのはやめてください。わたしは有罪を認めたのです。喜んでその償いをします。

(アーバックルがストリックランドに着席するように言う)

ディンズモア

申し立てはあなたの弁護人がします。

ストリックランド

弁護人なんていらない。弁護することなんてないんです。どうして判決を言い渡さないんです? どうして?

ディンズモア

続けてください、ミスタ・グレイ。

ストリックランド

裁判官――。

ディンズモア

静粛に!

(ストリックランド、着席する)

グレイ

ミセス・トラスクを呼んでください。(廷吏が上手のドアから退場、ミセス・トラスクの名を呼ぶ。彼女が上手から登場)ミセス・トラスク、どうぞ証人台へ。

書記

右手をあげてください。これからあなたが行う証言はすべて例外なく真実であることを神に誓いますか?(彼女はうなずく)お名前は?

ミセス・トラスク

ジョーン・トラスクです。

グレイ

ミセス・トラスク、あなたはジェラルド・トラスクの未亡人ですね。

ミセス・トラスク

さようでございます。

グレイ

ミスタ・トラスクと結婚してどれくらいになりますか。

ミセス・トラスク

ほぼ十五年です。

グレイ

六月二十四日の晩のことを覚えていますか。

ミセス・トラスク

もちろん覚えています。

グレイ

あの晩、どちらにいらっしゃいましたか。

ミセス・トラスク

友達と外で食事をしていました。

グレイ

何時に家に戻りましたか。

ミセス・トラスク

九時半頃でした。

グレイ

では、ミセス・トラスク。法廷と陪審員に、帰宅してから起きたことをすべてお話しください。

ミセス・トラスク

家のなかに入るとすぐに書斎の電話が鳴りました。

(暗転。幕)

第一幕

第一場

場面 トラスクの書斎。上手に入り口。下手にミセス・トラスクの部屋に通じるドア。舞台奥にはフレンチ・ウインドウ。上手に金庫。

幕が上がると同時に電話が鳴る。ミセス・トラスクが上手後方から登場、電話のほうへむかう。

ミセス・トラスク

(下手の電話を取り)もしもし。はい、はい、こちらはリバー182番ですが。いいえ、主人はおりません。どちら様でしょうか。わたしは妻ですが。お名前をいただけますか。どういったご用件でしょう。主人のことならわたしが承りますわ。ああ、そうですか。いつ戻るか分かりませんが。さあ、どうでしょう。結構ですわ。失礼します。(見るからに動揺した様子で電話から離れる)

グローバー

(下手から登場。電話のほうにむかう)電話が鳴ったと思ったんですが。

ミセス・トラスク

ええ。わたしが出ました。(上手に行く)

グローバー

ああ、奥様に来たんですか。

ミセス・トラスク

いいえ、夫に。

グローバー

誰からです?

ミセス・トラスク

(上手ドアのところで)女よ、いつものように。

グローバー

そうでしたか。(下手テーブルに着く)

ミセス・トラスク

(中央上手寄りにむかい)誰か知っている?

グローバー

いいえ、まったく。

ミセス・トラスク

でしょうね。夫が秘書にそんなことまで打ち明けるとは思えないから。でもとくに隠そうともしないなんて、恥知らずもいいところだわ。

グローバー

そのような話しはどうかご容赦を――。

ミセス・トラスク

そうよね。普通はこんなこと話さないんだけど、でもわたしだって我慢に限界があるわ。(上手前方でケープをソファに置く)

グローバー

奥様、本当にどうか――。

ミセス・トラスク

十五年、耐えてきたのよ。ああ、わたしはなんて馬鹿なのかしら、こんな我慢の生活。

グローバー

奥様、わたしの立場もご理解ください。(彼女のほうへむかう)

ミセス・トラスク

(上手ソファに座る)ええ、その通りね。許してちょうだい。あなたにぐちを言ったりして悪かったわ。

グローバー

いいえ、ちっとも。ただ――。

ミセス・トラスク

ときどきこらえられなくなるの。でも、こんな話しはもうやめましょう。夫は今晩帰ってくるのかしら。

グローバー

(下手にむかい、時計を見る)はい。今朝電話で、ロングブランチから九時十二分の汽車で帰るとおっしゃいました。今九時半ですから、もう着いてもいい頃合いです。(テーブルの下手側に座る)

ミセス・トラスク

二日間、あちらで何をしていたのかしら。

グローバー

ゴルフと釣りじゃないでしょうか。

ミセス・トラスク

来週まで待ってもよかったのに。そのあとは夏のあいだじゅう、むこうにいるんだから。そうそう、店屋の請求書を見ておいてちょうだい。わたしたちが街をはなれる前に。

グローバー

すぐにやりましょう。会計簿はどこです?

ミセス・トラスク

金庫のなかよ。

グローバー

(金庫のところへ行き、開けようとする)鍵が掛かっていますね。コンビネーションはご存じですか。

ミセス・トラスク

いいえ。新しい金庫のは知らないわ。あなたは知らないの?

グローバー

ええ。ミスタ・トラスクがいらっしゃらないときに金庫を開けたことはありません。

ミセス・トラスク

コンビネーションを教えてもらわないとだめね。(中央上手寄り後方へ)

(中央上手寄りからトラスク登場)

トラスク

ただいま、ジョーン!(ミセス・トラスクは彼に背をむけ、上手前方へ)やあ、グローバー!

グローバー

お帰りなさい、ミスタ・トラスク。

(ミセス・トラスクは返事をしない)

トラスク

(ミセス・トラスクに)どうしたんだい?(上手前方へ)

ミセス・トラスク

なんでもないわ。(ソファに座る)

トラスク

おや、挨拶はそれだけかい?

グローバー

(立ち上がる)わたしにお貸しください。(トラスクから帽子とコートを受け取り、下手後方の椅子にかける)

トラスク

留守中、なにかあったか、グローバー。

グローバー

(下手のテーブルのほうに行き、座る)いいえ、なにも。

ミセス・トラスク

女から電話があったわ。

トラスク

ほう。誰からだった?

ミセス・トラスク

よくご存じでしょうに。

トラスク

知っていたら訊きはしないよ。誰だったんだ?

ミセス・トラスク

知らないわ。

トラスク

名前を訊かなかったのか?

ミセス・トラスク

名前を言うはずがないじゃない。

トラスク

また電話するといっていたか?

ミセス・トラスク

知らないわ。

グローバー

(あわてて立ち上がり)ミスタ・トラスク、金庫を開けてもらえませんか。奥様の会計簿がいりますので。

トラスク

分かった。(ポケットを探る)どこにやったんだっけ。

グローバー

なにか無くし物でも?

トラスク

(まだ探している)ああ。名刺にコンビネーションを書きつけておいたんだ。おかしいな。

グローバー

内ポケットじゃないですか。

トラスク

(内ポケットを探る)いや、ないな。いったいどこに突っ込んだんだろう。

ミセス・トラスク

別のスーツじゃない?

トラスク

(いらいらと)違う、違う。このポケットに入れたんだ。

グローバー

最後に見たのはいつです?

トラスク

昨日の朝、出発する前だ。小切手帳を取り出すために金庫を開けた。

ミセス・トラスク

ロングブランチに置いてきたんじゃない?

トラスク

そんなはずないさ。ロングブランチに金庫のコンビネーションを置いてきてどうする?

グローバー

ほかのものと一緒に引っ張り出したのかもしれませんね。

トラスク

いや、ポケットにはほかに何も入っていない。(舞台後方に行きかけ、立ち止まる)そうだ。思い出したぞ。

グローバー

どうしたんです?

トラスク

ストリックランドにやったんだ。

グローバー

ストリックランドに?

トラスク

そうだ。いまあいつの家から帰ってきたんだ。日曜日にロングブランチに来いと言って、名刺に住所を書いたんだ。

グローバー

名刺にコンビネーションが書いてあったことは間違いありませんか?

トラスク

ああ。裏側をひっくり返して見ようともしなかった。まったく不注意だな。会計簿は明日まで待ってくれ。(上手後方に行きかけ、中央下手寄りへむかう)

グローバー

まあ、急ぐことはありませんから。

トラスク

(考えながら)待てよ。コンビネーションを思い出せそうだな。(金庫のほうに行き、ダイヤルをいじくる)いや、これじゃないか。

グローバー

朝まで待ってもかまいませんよ。

トラスク

君、話しかけられると番号が思いだせんじゃないか。分かった。ほら。(金庫を開ける)さあ、どうぞ。(上手に行き、本棚の加湿器をいじくる)

グローバー

ありがとうございます。(金庫のところに行き、会計簿を取り出す)今晩はお仕事をなさいますか?(テーブルの下手側に座る)

トラスク

いや、そのつもりはない。早めに寝たいんだ。一日中ゴルフで疲れたよ。

ミセス・トラスク

少し出発を日延べしてくれたらよかったのに。みんなでロングブランチに行けたじゃない。

トラスク

いつ行くんだい?(中央上手寄りに移動)

ミセス・トラスク

月曜日。一緒に行かないの?

トラスク

土曜日の晩に行くよ。

ミセス・トラスク

どうして?

トラスク

日曜日に仲間と釣りに行くんだ。君も来るか、グローバー?

グローバー

ありがとうございます。喜んで。

トラスク

ストリックランドも来るよ。

グローバー

いつ西部から戻ったんです?

トラスク

今晩さ。電報でうちに来いと言われてね。

グローバー

例の手形はどうなさるんですか。支払期限は二十二日だったのに。

トラスク

払ってくれたよ。(テーブルの上手側に座る)

グローバー

払ったんですか?

トラスク

ああ。ここに一万ドルがある。(ポケットから金を取り出し数える)

グローバー

驚きましたね。払えないだろうと思っていたから。

トラスク

クリーブランドの取引先からかき集めたらしい。今晩あいつの家に行ったら、この一万ドルを用意していてね。無理にもらいたくはなかったから、困っているなら、返すのはもう少し先でもかまわないって言ったんだ。

グローバー

彼はなんて言いました?

トラスク

聞く耳持たずさ。返してきれいさっぱりになりたいんだと言っていた。

グローバー

ストリックランドらしいな。あくまで潔癖なところが。

トラスク

そうだな。

グローバー

彼はいい男ですよ。事業がうまくいかなかったのは気の毒だけど。

トラスク

まあ、ビジネスなんてそんなものさ。誰かが失敗しなきゃならない。

グローバー

ストリックランドはがっくりしてますよ。奥さんのことがあるせいでしょうね。大の愛妻家ですから。

ミセス・トラスク

奥さんて、すてきな人なの?

トラスク

(あくびしながら)さあなあ。会ったことがない。(グローバーに金を渡す)一万ドルは金庫にしまっておいてくれ、グローバー。(ミセス・トラスクはフレンチ・ウィンドウのほうへ行く)

グローバー

どうして現金なんです?(立ち上がる)

トラスク

それがね、かき集めるのにえらく苦労したから、千ドル札十枚で返して、わたしを驚かせたくなったらしいよ。明日の朝、銀行に預金しておいてくれ。

グローバー

分かりました。(金庫のところへ行く。そのそばで)鍵を掛けますか?(ダイヤルを回すあいだ、身体で金庫を隠す)

トラスク

うん。(上手後方に行く。棚の本をいじくる)

グローバー

(立ち上がり)ほかにご用は?

トラスク

とくにないよ。

グローバー

それじゃ部屋に帰ります。(会計簿を取り上げる)朝までに用意しておきますよ、ミセス・トラスク。

ミセス・トラスク

ありがとう、ミスタ・グローバー。お休みなさい。(上手前方へ。ソファに座る)

グローバー

お休みなさい。

トラスク

お休み。(上手前方へ)

ミセス・トラスク

お休み。

(グローバー、下手より退場)

トラスク

(グローバーに呼びかける)そうだ、グローバー。

グローバー

何でしょう。

トラスク

さっきの名刺だが、ストリックランドから返してもらうことを忘れちゃいけないから、明日、一言注意してくれ。

グローバー

分かりました。

トラスク

(あくびをしながらミセス・トラスクを見る)わたしは寝るよ。(帽子とコートを取り、下手へむかおうとする)

ミセス・トラスク

(立ち上がる)ジェラルド、あの女は誰なの?(中央にむかっていく)

トラスク

どの女だい?

ミセス・トラスク

さっき電話を掛けてきた人。

トラスク

まだ気が済まないのか? さっき言っただろう、知らないって。

ミセス・トラスク

知っているくせに。

トラスク

(下手へ行きながら)お休み!

ミセス・トラスク

逃げないで。あの女が誰なのか、知りたいわ。

トラスク

こんなふうにがみがみ言って、いったい何になるんだ? 知らないって言っているじゃないか。仕事の話でもあったんだろう。

ミセス・トラスク

夜中のこんな時間に仕事の電話なんかかかってこないわ。そんなこと、百も承知でしょうに。

トラスク

じゃあ、何だと言うんだね?(帽子とコートを下手の椅子に置き直す。テーブルの下手側に座る)

ミセス・トラスク

あなたはちっとも変わろうとしないのね。(テーブルの上手側に座る)

トラスク

わたしには一分間の平和もないんだな。女学生みたいにやきもちを焼いたりして。

ミセス・トラスク

やきもちですって!

トラスク

そうだよ。いつもたわいのないことで大騒ぎする。

ミセス・トラスク

あら、これがたわいのないことなの?

トラスク

わたしが女を見たり、女が話しかけてきただけで、相手の喉もとに飛び掛かろうとするじゃないか。

ミセス・トラスク

あなたがその原因をつくっていると思わないの? あなたのその振る舞いが。妻があることをお忘れのようね。

トラスク

おまえは忘れる暇も与えちゃくれない。二人きりになったら、いっつもこれだ。

ミセス・トラスク

じゃあ、どうしてわたしを妻として扱わないんです?

トラスク

いったい何が不満なのか、分からんね。わたしは殴ったりはしないだろう? 欲しいものは何でもあげている。おまえの好きなときに、好きなところへ行かせ、使い切れないくらいの小遣いもやっている。時間だってちっとも拘束しちゃいない。そんな女がどれだけいると思っているんだ?

ミセス・トラスク

わたしがそんなことしか気にかけないと思っているの? わたしにとって結婚がお金を使ったり、娯楽にふける以上のことを意味するとは考えないの? 夫に見放された結婚なんてなんの意味があるの?

トラスク

やめてくれよ、そんなしめっぽい話しは。

ミセス・トラスク

(上手に行く)いままで本当の意味で結婚するってどういうことか分からなかった。六年間、わたしは隠れるように生きてきた。あなたの家族に気に入られなかったから。

トラスク

しかし、それで損したわけじゃないだろう。おやじがわたしを勘当していたら、いま贅沢な生活はできなかっただろうからな。

ミセス・トラスク

あなたにとってはお金がすべてみたいね。結婚してからずっとそうだったわ。わたしは結婚のことを隠したくはなかった。でもあなたはわたしのことより遺産のほうを大切にした。

トラスク

おやじがわたしを一文無しにしていたら、そんなことは言わなかっただろうよ。

ミセス・トラスク

あなたのお金のすべてをもってしてもわたしを幸せにはできなかったわ。わたしが十五年間耐えてきたものを、ほかのどんな女が耐えられるというのでしょう。あなたに男らしさがひとかけらでもあったなら、もっとまともな生活を送っていたでしょうね。わたしのためとは言わないまでも、あなたの子供たちのために。

トラスク

また子供の話か!

ミセス・トラスク

(ソファに座る)あなたは子供たちのことなど考えてもいない。もうすぐ物心のつく年頃だというのに。

トラスク

(テーブルをたたいて立ち上がる)なんだ、それがどうした。子供たちにも欲しいものはなんでも与えている。(妻のほうへ歩み寄る)いい教育を受けさせ、小遣いもたっぷりやっているじゃないか。子供たちがわたしに要求できるのはそれだけだ。

ミセス・トラスク

子供を不名誉とともに世の中に送り出そうというのね――。

トラスク

不名誉だなんて馬鹿馬鹿しい。わたしはまっとうに生きているぞ。

ミセス・トラスク

よくそんなことが言えるわね!

トラスク

いや、まっとうに生きているさ。まさか暇をもてあました男みたいに、暖炉のそばで両手の親指をくるくる回すことなど、わたしに期待はしていないだろう? そんなことは三十年後にたっぷりやる時間がある。もっともその頃には子供たちのほうがわたしに生活を合わせようとしないだろうがね。違うかい。

ミセス・トラスク

あなたは何度も変わるって約束したわ。

トラスク

そうしなけりゃ平和は得られないからな。(テーブルの上手側に座る)

ミセス・トラスク

これ以上は耐えられない。

トラスク

じゃあ、どうするんだい。

ミセス・トラスク

離婚よ。(夫のほうにむかっていく)

トラスク

じゃあ、そうしろよ。止めはしない。

ミセス・トラスク

でしょうね。そうなったら喜ぶでしょうね。(中央上手寄り後方へ行き、そこから下手側へ)

トラスク

わたしは後悔なんかしない。そいつは間違いないね。

ミセス・トラスク

あなたみたいな人といままで一緒だったなんて!

トラスク

ふん、なんだって一緒だったんだ?

ミセス・トラスク

(テーブルの下手側に座る)分かっているでしょう。子供たちのために体面を保たなければならなかったのよ。子供たちの評判のためよ。

トラスク

そしてわたしが君のめんどうをよく見たからだ。

ミセス・トラスク

その言い方、まるでわたしに自尊心を捨てさせるために今までお金を払ってきたみたい。もう我慢できないわ。(下手側へ)

トラスク

好きなようにするさ。

ミセス・トラスク

そうするわよ。明日あなたを告訴する。

トラスク

さっそくどうぞ。

ミセス・トラスク

ずっと前にそうするべきだった。

トラスク

どうしてしなかったんだ?

ミセス・トラスク

(夫のほうにむかってくる)あなたの言葉をいつも信じていたから。いつも自分をごまかすように、あなたは変わるものと信じていた。待つのが長すぎたわ、十三年も。グレート・ネックの事件のあと、気がつくべきだった――。

トラスク

おいおい。

ミセス・トラスク

わたしは忘れていないわ。十三年前のことだけれど。あのいじらしい純真なミス・ディーンのこと。あんな事があったあとも、あなたと一緒に暮らしてきたなんて。(上手側へ)

トラスク

過去を蒸し返すのはやめろよ。(彼女のほうに歩いて行く)

ミセス・トラスク

いいえ、蒸し返すわ。包み隠さず全部話してやる。

トラスク

聞けよ、ジョーン、騒動を起こして何の得があるんだ? 一緒に仲良くやっていけない理由なんか何もありはしないよ。(妻の手を取ろうとする)

ミセス・トラスク

いいえ、あなたには愛想が尽きました。(上手ソファに座る)十回以上許してあげたのに、また同じことの繰り返し。

トラスク

(彼女におおいかぶさるようにソファに座る)もう二度としないよ。わたしにどうして欲しいんだね?

ミセス・トラスク

(夫のほうを振りむく)わたしが望んでいるのは――。いいえ、無駄だわ。結局は何も変わらない。

トラスク

そんなことはない。この上さらに君が望むものとはなんだい? その通りにすると約束する。

ミセス・トラスク

前にもそういって約束を破ったわね。

トラスク

でも今度は真剣なんだ。

ミセス・トラスク

いつもそう言うわ。

トラスク

じゃあ、君を納得させるチャンスをくれ。今度ばかりはまじめに言ってるんだ。わたしを離婚裁判所にひきずりこんで何になるって言うんだ? 君が苦しむだけだよ――君と子供たちが。スキャンダラスな新聞ネタになるだけ。もう一度やり直そうじゃないか。

ミセス・トラスク

ジェラルド、そうするとしても、これが最後よ。

トラスク

(彼女の手を取り)よかった! 初めからやり直すんだね?

ミセス・トラスク

ええ。

トラスク

過去のことは水に流して?

ミセス・トラスク

そうね――。

トラスク

(キスをする。立ち上がって下手へ行き、帽子とコートを取って下手のドアにむかう)よし、これで片がついた。

ミセス・トラスク

ジェラルド、約束は守るわね?(立ち上がって中央へ)

トラスク

守ると言ったじゃないか。

ミセス・トラスク

じゃあ、あの女と別れると約束して。

トラスク

どの女だ?

ミセス・トラスク

電話の女よ。

トラスク

(彼女のほうへ歩いてくる)おいおい、勘違いしているぜ。今度ばかりは邪推だよ。

ミセス・トラスク

誓える?

トラスク

もちろん。

ミセス・トラスク

それなら謝るわ。(夫の肩に手を置く)

トラスク

気にしちゃいないよ。

ミセス・トラスク

今度はうまくいくように努力しましょう。(二人はキスをする)

トラスク

ああ、よかった! じゃ、寝るとしよう。くたくたに疲れたよ。お休み。(下手に行く)明かりはつけておくかい?

ミセス・トラスク

消してちょうだい。お休み!(上手に行く)

トラスク

(電気を消す)お休み。(舞台暗くなる。トラスクは寝室に入る)

ミセス・トラスク

お休み。

(暗転)

(ミセス・トラスクは上手の寝室へ。舞台は暗い。グローバー、中央上手寄りから登場。金庫のほうへ行き、扉を開け、現金箱から金を取り出そうとし――箱を落とす。ミセス・トラスクがドアノブをがたがた鳴らして上手より登場)

ミセス・トラスク

そこにいるのは誰? 誰かいるの?

(その瞬間にグローバーは彼女をソファに押し倒す。争っているところへストリックランドが後方の窓から入ってくる。グローバーが物音を聞きつけ顔を上げる。ストリックランド、部屋の中に入り、グローバーは上手側の暗闇に消える。ストリックランドはミセス・トラスクのもとへ行き、呆然と彼女を見る。電話が鳴る。トラスクがふらふらと寝室からあらわれ電気をつける。――明転――ミセス・トラスクは床の上に横たわっている。ストリックランドは彼女の脇にしゃがんで、拳銃をむけている)

トラスク

(電話にむかって)もしもし! ああ、トラスクです。メイ、君か?

ストリックランド

き――貴様――(発砲するが狙いはそれる。同時にミセス・トラスクが悲鳴をあげる。トラスクは受話器を落とし、くるりと反対をむく。ストリックランドは再び銃を撃ち、トラスクは絶命して倒れる。グローバーが下手より重い杖を持って飛び出し、ストリックランドに打ちかかろうとする。彼が杖を振りかざすと、ストリックランドは反射的に腕を上げる。杖はストリックランドの前腕をしたたか打つ。拳銃は手から落ち、腕は脇にだらりと垂れ下がる。彼はうめき、床にうずくまる)

ミセス・トラスク

(中央へ)大変、ジェラルドが殺されたわ!

グローバー

医者を呼んでください。(電話をかける音)

ミセス・トラスク

ジェラルド! ジェラルド!

(暗転。幕)

第二場

法廷

グレイ

なるほど、それで?

ミセス・トラスク

数分後に警察が来ました。

グレイ

ご主人はその時にはもう絶命していたのですね。

ミセス・トラスク

さようでございます。お医者様は即死だったと。

グレイ

さて、ミセス・トラスク、あなたは警察が到着する前に金庫をご覧になりましたか。

ミセス・トラスク

ええ。開いておりました。

グレイ

なくなっている物がありましたか。

ミセス・トラスク

はい。一万ドルがなくなっていました。

グレイ

以上です、ミセス・トラスク。(着席する)反対尋問をどうぞ、ミスタ・アーバックル。

アーバックル

(立ち上がる)ミセス・トラスク、あなたを襲った男を見ましたか――金庫を開けた男を?

ミセス・トラスク

いいえ。いきなり襲われましたし、部屋の中は真っ暗でした。

アーバックル

ミスタ・トラスク以外、誰も金庫のコンビネーションを知らないということは間違いないですか。

ミセス・トラスク

ミスタ・ストリックランドが知っていました。

アーバックル

質問に対する答えをなしていません。削除の動議を提出します。

グレイ

(飛び上がって)なんですと――? 裁判官。

ディンズモア

動議を却下します。

アーバックル

異議を申し上げます。ミセス・トラスク、ストリックランドとあなたの助手のあいだで言葉のやりとりがありましたか。

ミセス・トラスク

よく憶えていません。耳鳴りがして。絞め殺されそうになったのです。

アーバックル

あなたの知るかぎり、二人は話しをしなかったと?

ミセス・トラスク

どちらとも言えませんわ。

アーバックル

ミセス・トラスク、「メイ」というのは誰かご存じですか。

ミセス・トラスク

いいえ。まったく知りません。

アーバックル

これ以上質問はありません、裁判官。

グレイ

これで終りです、ミセス・トラスク。(彼女は証人台を降り、上手に行くが、退場する前に立ち止まってストリックランドを見る)ドクタ・モーガンは証人控え室にいるかね?

廷吏

(ドアを開け退場)ドクタ・モーガン!(返事がない)

グレイ

(ミセス・トラスクが退場するまで待ち、裁判官ディンズモアにむかって)ドクタ・モーガンはミスタ・トラスクの死体を検視した医者であります、裁判官。遅れるかも知れないとのことでした。

(廷吏入場)

廷吏

ドクタ・モーガンは来ていません。

グレイ

裁判官のお許しがあれば、裁判に遅れをきたさないよう、ミスタ・グローバーを喚問したいと思いますが。

ディンズモア

いいでしょう。

グレイ

ミスタ・スタンレー・グローバーを呼びたまえ!

廷吏

(上手のドアを開け、呼びかける)スタンレー・グローバー。

(グローバー、上手より登場)

グレイ

ミスタ・グローバー。証人台に立っていただけますか。

(グローバー、証人台に立つ)

書記

右手をあげてください。これからあなたが行う証言はすべて例外なく真実であることを神に誓いますか? お名前は?

グローバー

スタンレー・グローバーです。

グレイ

(舞台前方で)ミスタ・グローバー、あなたはミスタ・トラスクの私設秘書を勤めていましたね。

グローバー

そうです。

グレイ

六月二十四日の晩、ミセス・トラスクの会計簿を持って書斎を出てから、あなたは何をしましたか。

グローバー

すぐに自室に行きました。

グレイ

それから起きたことを説明してください。

グローバー

会計簿を調べ始めて半時間ぐらい経ったとき、ピストルの音がしました。それからミセス・トラスクの悲鳴が聞こえ、そのあとでもう一度ピストルの音がしました。わたしは部屋にあった太い杖を持って下の書斎に駆け下りました。ミスタ・トラスクの身体が床に横たわり、ストリックランドが銃を手にして部屋の反対側に立っていました。

グレイ

それから何をしたのです?

グローバー

ストリックランドにむかって突進し、杖で腕を打ちました。彼は拳銃を落とし、床に倒れました。

グレイ

部屋に入ったとき、ほかに人がいるようでしたか。

グローバー

いいえ。後ろのフレンチ・ウィンドウは開いていました。そこから逃げたに違いありません。

グレイ

で、そのあと何があったんです?

グローバー

ミセス・トラスクが警察に電話しているあいだ、わたしはストリックランドを見張っていました。そのときミスタ・トラスクが金庫のコンビネーションを書き記した名刺をストリックランドに渡したと言っていたことを思い出したんです。それで、もしかしたら名刺を持っているんじゃないだろうか、(アーバックル、陳述をさえぎる)持っていたら、証拠として警察の役に立つだろうなと思ったんです。

アーバックル

異議あり。証人は自分が思ったことを証言しています。

ディンズモア

認めます。その部分は削除してください。

(速記者、削除する)

グレイ

(舞台後方で)あなたがしたこと、見たことだけをお話しください、ミスタ・グローバー。

グローバー

ええと、わたしはストリックランドのポケットを探り始めました。

グレイ

それは警察が到着する前ですね?

グローバー

そうです。証拠を湮滅してしまうんじゃないかと思いまして。

アーバックル

(飛び上がって)裁判官、質問されたこと以外は発言しないよう証人に指示することを要求します。

ディンズモア

認めます。ただいまの返答を削除してください。(グローバーにむかって)聞かれたことだけについて発言してください。自分からは何も言ってはいけません。また心のなかで思ったことを話してはいけません。よろしいですか。

グローバー

分かりました、裁判官。

ディンズモア

続けてください、ミスタ・グレイ。

グレイ

ミスタ・グローバー、あなたはストリックランドのポケットから名刺を取り出しましたか。(上手テーブル上の綴じ込みから名刺を取り出す)

グローバー

はい。

グレイ

これですか?(グローバーに名刺を手渡す)

グローバー

(調べながら)はい。

グレイ

(グローバーから名刺を受け取る)これを証拠として提出します、裁判官。(速記者に名刺を渡すと、速記者はそれに印をつけグレイに返す)

グレイ

(上手中央へ――陪審員にむかって)この検察側証拠物件Aは名刺であります。表には古い活字体で「ミスタ・ジェラルド・トラスク」と名前が刻まれ、その下には「ロングブランチ、ヘンダーソン・プレイス206番地」と鉛筆書きされています。裏側には言葉と数字が書かれています。「14右2,27左3」とです。筆跡についてご質問がありますか、ミスタ・アーバックル?

アーバックル

それが本物だということを示してください。

グレイ

(舞台前方へ)ミスタ・グローバー、あなたはミスタ・トラスクの筆跡をよくご存じですか。

グローバー

ええ、確実に判定できますよ。

グレイ

手紙や書類でよく見ていたんですね?

グローバー

何百回も。

グレイ

(グローバーに名刺を渡す)名刺をお見せしますので、「ロングブランチ、ヘンダーソン・プレイス206番地」という住所がミスタ・トラスクの筆跡がどうか答えてください。

グローバー

彼の筆跡です。

グレイ

では名刺を裏返してください。「14右2,27左3」という言葉と数字はミスタ・トラスクの筆跡ですか。

グローバー

そうです。

グレイ

間違いありませんか。(名刺を受け取る)

グローバー

絶対間違いありません。

グレイ

「14右2,27左3」という記号の意味を知っていますか。

グローバー

はい。ミスタ・トラスクの金庫のコンビネーションです。

グレイ

どうして知っているのです?

グローバー

警察が来たとき、わたしがこの名刺を差し出したんです。警察は金庫を閉め、それからこのコンビネーションで開けました。

グレイ

さて、ミスタ・グローバー、名刺がほぼ二つに引き裂かれていることに注意してください。どうしてこうなったのか、説明できますか。

(ゆっくりと幕)

グローバー

はい。ストリックランドのポケットから名刺を取り出したとき、彼にひったくられ、半分に裂かれそうになったんです。その前にわたしがなんとか取り返したのですが。

グレイ

なるほど! で、そのあと何があったのですか。

(註 グレイの台詞はカーテンが降りたあとに発せられる)

第二幕

第一場

法廷

グレイ

ドクタ・モーガン、ミスタ・トラスクの遺体の状態を説明してください。

モーガン

(証人台に立っている)銃創が二つありました。

グレイ

詳しく説明してください。

モーガン

一つは銃弾が右肩をかすってできた軽い傷です。

グレイ

もう一つは?

モーガン

もう一発は左の胸から貫入し、心臓に達していました。

グレイ

以上です、ドクタ・モーガン。

アーバックル

反対尋問はありません、裁判官。

(モーガン、証人台を降り、上手へ)

グレイ

検察側の証人喚問は以上です、裁判官。

ディンズモア

弁護側どうぞ、ミスタ・アーバックル。

アーバックル

ミス・ドリス・ストリックランドを喚問します。

(廷吏、上手から出ていき「ドリス・ストリックランド」と呼ばわる)

ストリックランド

(飛び上がって)やめてください、裁判官――証言させないでください。わたしの娘なんです。彼女だけなんです、わたしに残されているのは。証言はやめさせてください。

ディンズモア

本件に関することは弁護士にお任せなさい。弁護士があなたの権利を守ります。

(アーバックル、ストリックランドを座らせようとする)

ストリックランド

わたしは守られたくはない。娘を守ってください。ここに引きずり込まないでください。(座る)

(ドリス、上手から登場。ストリックランドに近づくと両腕を巻き付ける)

アーバックル

ほら、ストリックランド、放してあげなさい。ドリス、あそこの椅子に座るんだ。

ストリックランド

(立ち上がって)やめてくれ。彼女をここから出してくれ。わたしには娘しかないんだ。

アーバックル

ここだよ、ドリス。(ドリスを証人台に立たせる)

ストリックランド

裁判官、娘を巻き込まないでください。そのほかのことは何も要求しません。あなただって人の子でしょう、裁判官、恐らく父親でもあるでしょう――。

ディンズモア

わたしにはどうすることもできません。あなたに裁きを下す法の執行人にすぎないのですから。法の命ずるところに従うまでです。続けなさい、ミスタ・アーバックル。

(ストリックランド、椅子に沈み込み、顔を腕のなかに埋める。アーバックル、上手のテーブルのほうへ行く)

グレイ

(立ち上がる)裁判官、恐れながら、この子供の証言能力をご確認いただきたいと思います。

アーバックル

異存ありません、裁判官。

(グレイ、座る)

ディンズモア

いまいくつかね、ドリス?

ドリス

十一月六日で九つになります。

ディンズモア

学校には行っているかね?

ドリス

はい。わたし、進級したんです。いまは初等中学に行っています。

ディンズモア

日曜学校には行ったことがあるかな?

ドリス

はい。お母さんがいなくなる前は毎週日曜日に行っていました。でもいまはヘレンおばさんが許してくれないんです。みんながわたしのことを噂するし、泣かそうとするから。

ディンズモア

人はいつも真実を話さなければならないということを、日曜学校で習ったかね?

ドリス

はい。十戒の一つにあります。「あなたは隣人について偽証してはならない」嘘をついてはいけません、という意味です。ウエストン先生がおっしゃいました。

ディンズモア

ウエストン先生とは誰ですか?

ドリス

日曜学校の先生です。十戒をぜんぶ教えてくれました。暗唱しましょうか。

ディンズモア

いまはいいですよ。(グレイに)証言できると思います。続けてください、ミスタ・アーバックル。

アーバックル

ドリス、フルネームをいってください。

ドリス

ドリス・ヘレン・ストリックランド。

アーバックル

お父さんは誰ですか。

ドリス

お父さんはあそこ。(彼女は台から降りようとするが、アーバックルが押さえる)

アーバックル

ロバート・ストリックランドがお父さんですね?

ドリス

そうです。

アーバックル

ドリス、ミスタ・トラスクが撃たれた晩のことを覚えていますか。

ドリス

はい、覚えてます。(間があく)

アーバックル

お父さんは出かけていましたか?

ドリス

そうです。クリーブランドでわたしたちが住む家を買っていました。

アーバックル

そしてその晩に帰ってきたんだね?

ドリス

はい。

アーバックル

お父さんが帰ってくる前、あなたはどこにいましたか。

ドリス

居間にいました。

アーバックル

七時半頃だね?

ドリス

はい。

アーバックル

何をしていましたか。

ドリス

お父さんを待っていました。

アーバックル

ああ、そうだね。でも本を読んでいたのかな? 遊んでいたのかな? それともじっと座っていたのかな?

ドリス

ピアノのけいこをしていました。

第二場

(舞台は暗く、ピアノの音が聞こえる。明転するとストリックランドの家の書斎。下手の近くに出入り口。上手後方にドリスの部屋につながるドア。ドリス、ピアノを弾いている。下手側ソファの後ろの小さい椅子に座り、人形と遊ぶ。メイが下手から登場。電話のところへ行き、持っている名刺に書かれた番号を見る)

メイ

(電話のそば。ソファに背中をむけて)もしもし。ジャージー・シティ4000番をお願い……もしもし。ジャージー鉄道ですか?……落とし物の係をお願いします……もしもし。わたし、ニューヨーク・シティのミセス・ロバート・ストリックランドと申します……そうです。わたしのお財布、見つかりましたか……間違いありません?……さあ、分かりませんわ。昨日の午後、ロング・ブランチから乗ってきたんです。 そうしたら、汽車を降りたとき、ハンドバッグが開いていることに気づいて。きっとお財布を落としたんだと思います……ええ、ロング・ブランチの駅長さんに何度か電話しました……いいえ、ありませんでした……駅長さんがそちらに問い合わせるようにと……(ドリス、ソファに座る)昨日ロング・ブランチから四時十七分に出発した汽車なんですが。……小さい黒いベルベットのお財布です……お札で四十ドルくらい、それからわたしの名前と住所を記した名刺と、とても大切なメモ帳と……そうだといいのですが……分かりましたわ。失礼します。(電話を切り、振り返ってソファの後ろからあらわれたドリスを見る)ドリス! どこから出て来たの?

ドリス

ソファの後ろに座っていたの。

メイ

(テーブルの下手側に座る)あんなところでいったい何をしていたのよ。

ドリス

お人形さんと遊んでいたの。(メイに近寄る)お母さん、落とし物って、あのすてきな、ふわふわした、黒い財布?

メイ

よくお聞き、ドリス。お父さんが帰ってきたとき、財布のことは何も言っちゃだめよ。

ドリス

どうして?(母の横にひざまずく)

メイ

なくしたことが分かったらお父さんが怒って、心配するから。お父さんを心配させたくないでしょう?

ドリス

うん。でも、お母さん、きのうはお買い物じゃなかったの?

メイ

もちろんよ。

ドリス

でもロング・ブランチに行っていたって言ってたじゃない。

メイ

お友達が行っていたのよ。わたしは彼女にお財布を貸して、なくされちゃったの。

ドリス

お友達ってだれ?

メイ

あなたの知らない人。

ドリス

どうしてお財布を貸したの?

メイ

自分のお金を持ってなかったからよ。

ドリス

でも、お母さん、それって電話の相手に嘘をつくことにならない……?

メイ

いいえ。そのことはいつか説明するわね。何も言わないってお母さんに約束してちょうだい。(下手からドアのバタンと閉まる音)

ドリス

約束する。

ストリックランド

(舞台の外で)ただいま、バーサ、元気かい?

バーサ

おや、お帰りなさい、ご主人様。

ストリックランド

何もなかったかな?

ドリス

お父さんだわ、お母さん! お父さん!(走って舞台の外へ)

(メイ、名刺をドレスの胸元に隠し、人形を椅子の上に置く。中央下手寄りへ移動)

ストリックランド

(呼びかける)そうら、お父さんが帰ってきたよ。ただいま、お嬢ちゃん!

ドリス

おかえり、お父さん! おみやげは?

ストリックランド

すてきなおみやげがあるぞ。もう一回キスしておくれ。お父さんが帰ってきてうれしいかい?

ドリス

お母さんもわたしもさびしかったわ。

ストリックランド

お母さんはどこだい?

ドリス

中よ。(ドリスとストリックランド登場。メイは待っているしぐさ)

ストリックランド

ただいま、メイ!

(ドリス、テーブルにバッグを置き、二人の後ろに回る)

メイ

(駆け寄る。興奮している)まあ、あなた! お帰りなさい。

ストリックランド

帰るとほっとするなあ。家が恋しくってたまらなかったよ。

メイ

たった数日のことなのに何年も過ぎたみたい。長く感じなかった、ドリス?

ドリス

すっごく長かったわ。

ストリックランド

お父さんがいなくてさびしかったかい?

ドリス

うん、毎晩泣いちゃったの。ね、お母さん。

メイ

そう、泣いてたわね。

ドリス

今日は時計が鳴るたびに、お父さんが帰る時間まだかなって思っていたの。ね、お母さん。

ストリックランド

今度でかけるときは、みんな一緒さ。

メイ

じゃ、何もかもうまく片付いたのね。

ストリックランド

ああ、手紙に書いたとおりさ。

メイ

よかったわ。

(ドリス、舞台後方へ)

ストリックランド

ぼくもほっとしたよ。

メイ

お食事はなさったの、ロバート?

ストリックランド

いや、早く家に帰りたくて、途中どこにも寄らなかったんだ。

メイ

あらあら、飢え死にしちゃうわよ。

ストリックランド

何か食べてもいいな。

メイ

バーサに用意させるわ。すぐできるわよ。

ストリックランド

ありがとう。(ドリスに)そら、こっちにおいで!(テーブルの下手側に着く)

メイ

あなたのお世話は優秀なお守りにおまかせするわね。

ストリックランド

(ドリス、膝の上に座る)ああ、ドリスとはたくさん話すことがあるんだ。

(メイ、下手から退場)

ストリックランド

さあ、お嬢ちゃん、お父さんがいなかったまるまる四日間、何をしていたかくわしく話してくれるかな。

ドリス

(漠然と)いろんなことがあったのよ。

ストリックランド

じゃあ、最初からいこう。月曜日は学校に行ったね。

ドリス

うん。それからお母さんに連れられて、ヘレン叔母さんのところで夕ご飯を食べたの。

ストリックランド

火曜日は学校に行ったのかい?

ドリス

うん。火曜日が終業式だったの。そうだ、お父さん、わたし進級したのよ!

ストリックランド

当然じゃないか。かならず進級すると思っていたよ。もう初等中学だね。

ドリス

(得意げに)そうなのよ。

ストリックランド

ああ、早いものだなあ。この調子じゃ、すぐに大学卒業だ。

ドリス

大学には行きたくないわ。コックさんになりたいの。おっきな白いエプロンを着けて、ぴかぴかの鍋をたくさん持ってるコックさん。

ストリックランド

どうしてコックさんになりたいんだい?

ドリス

だってクッキーやパイやパンを作って異教徒にあげられるもん。

ストリックランド

異教徒にか!

ドリス

そう。わたし、お料理を習っているのよ、お父さん。

ストリックランド

本当かい?

ドリス

うん。きのう、ヘレン叔母さんのお手伝いをしたの。

ストリックランド

きのう、ヘレン叔母さんの家に行ったのかい?

ドリス

うん。一日中。だってお母さんが下町に買い物に行ったから。

ストリックランド

今日は何をしたのかな?

ドリス

今日は、おうちでままごとしたの。公園に行くはずだったんだけど、お母さんが休みたいって。それで行かなかったのよ。

ストリックランド

お母さんは気分がよくないのかい?

ドリス

頭が痛いそうだけど。

ストリックランド

頭痛は長く続いているのかな?

ドリス

ううん。今日だけ。おうちは買ったの、お父さん?

ストリックランド

ああ。白いすてきなおうちだよ。大きな庭もあるんだ。

ドリス

(手をはたいて)お牛さんは?

ストリックランド

牛はいないよ。でも花がたくさん咲いていて、犬が一匹いるよ。

ドリス

まあ! 大きい犬?

ストリックランド

そうだよ。さあ、お父さんがおみやげに持ってきたものを見せてあげよう。

ドリス

わたしに?(テーブルの上手側に移動する)

ストリックランド

そうだよ。

バーサ

(下手から登場)ミスタ・トラスクがいらっしゃいました。

ストリックランド

来たか! うん、ご案内してくれ。

(バーサ、下手より退場)

ドリス

ね、お父さん、この光っているのはなに?(バッグから拳銃を取り出す)

ストリックランド

(バッグから人形を取り出す)それは拳銃だよ。さわっちゃいけない。(バッグに戻す。人形の包みを解く)ほら、どうだい?

ドリス

うわあ、お父さん、かわいいわ。なんて名前をつけるの?

ストリックランド

そうだね。ドイツから来たから、ハーマンと呼ぼうか。

トラスク

(下手後方から登場)やあ、ボブ!

(トラスクとストリックランド、握手を交わす)

ストリックランド

やあ、ジェリー。元気かい?

トラスク

ぴんぴんしているよ。いま戻ったところか?

(ドリス、二人のあいだに割ってはいる)

ストリックランド

ああ。十五分くらい前に。

トラスク

準備は整ったのか?

ストリックランド

うん。そうだ、ドリスにまだ会っていなかったね。ドリス、ミスタ・トラスクと握手なさい。

トラスク

お嬢ちゃんがドリスなんだね。

ドリス

(恥ずかしそうに)ええ、そうよ。

トラスク

このお人形さんはなんていうのかな?

ドリス

ハーマン。

トラスク

はじめまして、ハーマン。アメリカはどうですか。大きなお嬢ちゃんだねえ。

ストリックランド

そりゃそうさ。もう初等中学だからね。

トラスク

たいしたもんだ。

ストリックランド

それより、ジェリー、座りたまえ。

(トラスク、テーブルの下手側に座る。ドリスは中央下手寄り後方に座る)

トラスク

万事順調にいっているのか、ボブ?

ストリックランド

ああ、ブリッグスの連中とかなり有利な条件で協定を結んだんだ。

トラスク

いつ始めるんだ?

ストリックランド

数週間後さ。目の覚めるような家も手に入れたし。(ピアノの椅子の上にバッグを置く)

トラスク

じゃ、すぐ引っ越しするのかい?

ストリックランド

ああ。電報は受け取っただろう?

トラスク

うん。

ストリックランド

手形を買い戻したいんだ。

トラスク

そんな余裕があるのか? 困っているなら――。

ストリックランド

気を遣ってくれてありがとう。しかし払ってしまいたいんだ。

トラスク

こっちは数ヶ月待ったってかまわないんだ。一万ドルくらいで商売がつぶれることはないから。

ストリックランド

いや、借金を残していくのがいやなんだ。期限を延期してもらおうかとも思ったんだが、なんとか金をかき集めることができた。ブリッグスの連中が助けてくれてね。

トラスク

しかしその金が入り用になることもあるだろう。事業が立ち直るまで待つよ。

ストリックランド

ありがとう、ジェリー。でもきれいさっぱり返したいんだ。そのほうが落ち着くから。(テーブルの背後に回る)

トラスク

そうかい。じゃ、好きなようにするさ。そら、手形だよ。(ストリックランドに手形を渡す――やり取りのしぐさ)

ストリックランド

さ、お金だ。(財布から金を取り出し、トラスクに渡す)

トラスク

どうして札束で?

ストリックランド

うん、これをかき集めるのは並大抵の苦労じゃなかったので、千ドル札十枚を渡してびっくりさせてみたくなったんだ。ただそれだけのことさ。数えたほうがいいよ。

トラスク

君は数えたか?

ストリックランド

ああ。

トラスク

じゃ、わたしは数えなくたっていい。

ストリックランド

君のおかげでおおいに助かったよ。(トラスクの背中をたたく)感謝しきれないくらいだ。

トラスク

必要ならいつだってお手伝いするよ。(立ち上がり、テーブルの上手側に回り、座る)

ストリックランド

ああ、君がいいやつだってことは知っているさ。しかし今度こそ、万事うまくいけばいいがなあ。

トラスク

行ってしまうなんて残念だよ。しかし君にとっては新規まき直しの大事な時だからな。

ストリックランド

(テーブルの前面に腰掛ける)とっくの昔に行くべきだったんだ。メイには一年以上前からそうするようにせきたてられていたんだが。

トラスク

予感が働いていたんだよ。

ストリックランド

そうだな。女はこういうことに関しちゃ勘が働くからな。実際、ジェリー、彼女は一万人に一人の女性だよ。どんなときでも曹長みたいにわたしを見捨てずついてくる。ちっとも泣き言を言わない。不平を鳴らすことも、怒ることもないんだ。彼女は最高だよ。

トラスク

そうだろうな。

ストリックランド

君がメイに会ってないのは残念だな。ぜひ知り合いになってくれよ。(中央下手寄り後方に行く)ドリス、お母さんにミスタ・トラスクが来ていると言ってくれないかい。

トラスク

また別の機会にしよう、ボブ。急いで帰らなければならないんだ。ところで日曜日、ロング・ブランチの別荘に来ないか。七八人連れだって釣りに行く予定なんだ。今はバスが川を上ってきている。

ストリックランド

喜んで行くよ。(中央前方へ)

トラスク

住所を書いておくよ。(ポケットから名刺を取り出し、メモする)ヘンダーソン・プレイスにあるんだ。駅から三ブロック離れている。左手の最初の家だ。

(ストリックランド、名刺をポケットに入れる)

ストリックランド

ありがとう。

トラスク

土曜日の晩に来たほうがいいな。日曜の朝五時には出発したいから。

ストリックランド

分かった。行くよ。

トラスク

さあ、急いで帰るか。(テーブルの後ろを通り中央下手寄りへ、そして中央後方へ退く)

(メイが下手から登場、トラスクを見て引っ込もうとするが、ストリックランドが彼女を見つける)

ストリックランド

入ってこいよ。(メイ、下手から登場)ミスタ・トラスクに紹介したいんだ、メイ。ジェリー、妻だよ。

トラスク

(礼をする)お目にかかれて幸いです、ミセス・ストリックランド。(メイは無言のまま礼をする)ボブからお噂はうかがっています。

ストリックランド

(笑いながら)そうだね。ジェリーにも君のことはさんざん話したんだよ。

トラスク

さて、わたしは急がなけりゃ。(下手の出口のほうにむかう)

ストリックランド

(中央下手寄り後方へ)おいおい、ちょっと待てよ。どうしたんだい。メイに君のことを教えてやりたいんだが。

トラスク

すまんね。ゆっくりしてられないんだ。別の機会にゆずろう。お休みなさい、ミセス・ストリックランド。

メイ

(低く)お休みなさい。

トラスク

またお会いできる機会を楽しみにしてますよ、ミセス・ストリックランド。お休みなさい。お休み、ドリス。(外に出る。ストリックランド、あとを追う)

ドリス

ねえ、お母さん、お父さんのおみやげ見て。(メイ、舞台中央へ)お母さんたら、見て。

メイ

(ドリスをテーブルの所へ連れて行く――ドリスに)ドリス、あの人、ミスタ・トラスクはずっとここにいたの?

ドリス

うん。ずいぶん話していたわ。お父さん、ロング・ブランチに釣りに行くんですって。

メイ

どういうこと?

ドリス

ミスタ・トラスクはロング・ブランチに住んでいて、お父さんは日曜日に一緒に釣りに行くの。ミスタ・トラスクがお財布を見つけたら面白いと思わない、お母さん?

メイ

お黙り、ドリス。

ストリックランド

(下手後方から登場)いいやつだろう? でも、あまりしゃべろうとしなかったね、おまえ。

メイ

びっくりしちゃったのよ。知らない人がいるなんて思ってなかったから。

ストリックランド

ようやく二人の顔合わせができてよかった。もっと早くに会わせてやりたかったんだが。

(ドリス、テーブルの背後のピアノのほうへ行く)

メイ

あの人はどうしてここに?

ストリックランド

ぼくが来るように電報を打ったんだ。手形を取り戻したよ。

メイ

手形?

ストリックランド

ああ。借りていた一万ドル。

メイ

お返しになったの?

ストリックランド

そうさ。おい、どうしたんだい?

メイ

なんでもないの。でも返済できてうれしいわ。

ストリックランド

うん。ぼくも気分がいい。ジェリーは必要なだけ猶予してやると言ってくれたが。気前のいい男だよ。

メイ

そうね。

ストリックランド

日曜日にロング・ブランチに釣りに来いと誘ってくれてね。

メイ

でも、ヘレンが夕食に来ると思っているんじゃないかしら。

ストリックランド

そうだ! そのことはぜんぜん思い浮かばなかったよ。よし、それなら行くのはやめよう。

メイ

ええ、やめてちょうだい。それにボートで遠乗りなんていやだわ。

ストリックランド

分かったよ。明日の朝、ジェリーに電話する。(ピアノの上の入れ物からタバコを取り出し、火をつける。そのあいだずっと鼻歌を歌う。それから下手前方へ移動)

メイ

ええ、そうしてちょうだい。(上手、ドリスのほうへ行く)ドリス、もう寝なさい。

ドリス

でも、お母さん、お願いだから。

メイ

だめよ。とっくに寝る時間なんだから。

ドリス

五分だけ。

メイ

いいえ、一秒もだめ。ほら、すぐ行きなさい。

ドリス

でもお父さんと話がしたいんだもの。

メイ

明日の朝話せばいいじゃない。お父さんも疲れているのよ。さ、お休みのキスをなさい。

ドリス

(下手へ)お休みなさい、お父さん。

ストリックランド

お休み。(娘にキスをする)ぐっすりお休み。おっと、これを掛けておいてくれるかな。(彼女に自分のベストを渡し、下手のソファに座る)

ドリス

(メイにキスをしながら)お休み、お母さん。

メイ

お休み。さ、お部屋に行きなさい。

ドリス

おいで、ハーマン。(人形を持って、上手から退場)

メイ

お母さんがあとで見に行くわ。

ドリス

ドアを閉めないでね。

メイ

分かったわ。(下手へ行く)ああ、ロバート。あなたの手紙を十回以上読んだわ。新しいおうちの隅々まで知り尽くしてしまうくらい。早く移りたくってたまらない。ここが新居だったらいいのに。(ソファのほうへ行き座る)

ストリックランド

すぐ移るよ。

メイ

すぐって、どれくらい?

ストリックランド

用意ができ次第だよ。まあ、二週間てところかな。

メイ

まあ、そんなに長いの?

ストリックランド

じゃあ、十日でもいいよ。

メイ

来週にしましょうよ。ニューヨークがいやになったわ。

ストリックランド

でもずっと待ってきたんだからね。二三日くらい――。

メイ

そこなのよ。ずっと待ってきたから、いらいらしちゃうのよ。

ストリックランド

気分が悪いのかい?

メイ

そんなことないわよ。どうして?

ストリックランド

今日、気分が悪かったって、ドリスが言っていたよ。

メイ

あの子の思い違いよ。あなたが帰ってくるので少し興奮していただけ。別れ別れになったのは初めてだったんだもの。

ストリックランド

そうだね。別れ別れになるのはこれが最後だといいが。

メイ

じゃ、来週引っ越しでいいわね?

ストリックランド

おいおい、時間が足りなすぎるよ。買うものだってあるし。

メイ

必要な物はむこうに行ってからだってだいたい買えるわ。

ストリックランド

でも家が変わるときはいつも、なんやかや、雑用ができるからねえ。

メイ

そんなの長くはかからないわ。一日か二日のことよ。

ストリックランド

旅行用の服も必要になるよ。

メイ

既製品を買うわ。

ストリックランド

もう見てきたんだろう? きのう買い物に行ったってドリスが教えてくれたよ。

メイ

ええ。旅行用の服を探していたの。でもちょうどいいのがなかったわ。

ストリックランド

そうだ。ちょっと待ってくれよ。ぼくもささやかな買い物をしてきたんだ。(バッグから箱を取り出す)

メイ

わたしのために?(夫の所へ)

ストリックランド

そうだよ。君のために。

メイ

まあ、ロバート。ここから引っ越すことができて、わたし本当にうれしい。あしたから荷造りをはじめるわ。

(バーサ、下手後方から登場)

バーサ

ミスタ・バークとおっしゃる方がお見えになっています、ミセス・ストリックランド。

ストリックランド

(テーブルの後ろのメイのそばへ行く)ミスタ・バークって誰だい?

メイ

さあ、知らないわ。

ストリックランド

入ってもらいなさい、バーサ。

バーサ

どうぞこちらへ。

(バーク登場、バーサ退場)

メイ

ミスタ・バークですか。

バーク

はい、さようでございます、奥様。ミセス・ロバート・ストリックランドでいらっしゃいますね。

メイ

はい。

バーク

お騒がせしたくはなかったのですが、奥様――。

ストリックランド

どうぞお座りください、ミスタ・バーク。

バーク

(ソファの下手側に座り)恐れ入ります。奥様の財布が見つかりましてね。

メイ

ロバート、夕ご飯がもうできていると思うわ。冷めないうちに召し上がったら。

ストリックランド

もうちょっとあとでもかまわないさ。

メイ

席を外しても失礼にはならないと思うわ。

バーク

二三分ですみますよ、奥様。はるばるロング・ブランチから来たんです。

ストリックランド

財布をなくしたのかい、メイ?(箱からひもを取る)

メイ

いいえ、そんなことないわ。(舞台中央前面に)

バーク

それは確かですか、奥様?

メイ

間違いないわ。

ストリックランド

どこで財布を見つけたんですか、ミスタ・バーク?

バーク

ロング・ブランチ駅のプラットフォームですよ。昨日の晩のことです。わたしはそこで新聞を売っているのです。

ストリックランド

ロング・ブランチ? じゃあ、君の財布なわけはないな、メイ?

メイ

もちろんよ。間違いに決まっているわ。

バーク

なかに名刺が六枚入っていまして、あなたの名前と住所が記されています。

バーク

そりゃ変だな。

メイ

もしかしたら友達のかしら。

ストリックランド

どんな財布なんですか、ミスタ・バーク。

バーク

いや、おなくしでないというのであれば。(立ち上がって帰りかける)

ストリックランド

(下手へ行く)君の勘違いってこともあり得るよ、メイ。妻にその財布を見せてもらえませんか。

バーク

最初に財布の特徴をおっしゃっていただけないでしょうか。

ストリックランド

ああ、そりゃそうだ。財布は二つか三つしかなかったね、メイ。ミスタ・バークに特徴をお話ししてさしあげなさい。

メイ

でも財布なんてなくしてないわ。

ストリックランド

(上手側へ。箱の包装を解く)分かってるよ。でも説明するったって一分もかからないし。

メイ

(中央下手寄りへ)いぶし銀の色をしたメッシュのがあるわ。

バーク

いや、違いますな。

メイ

そうだわ! ロバート、誕生日にくれた緑の革の財布があったわね。

バーク

(立ち上がりながら)どうも奥様のではないようです。(中央後方へ行く)

メイ

ええ、違うと思っていたわ。(中央前方へ)

ストリックランド

(中央下手寄りへ)待てよ。いつも持ち歩いているフランス風の黒いベルベットのやつを忘れているよ。

バーク

どんなものですか?

ストリックランド

黒のベルベット製で金の留め金がついている。

バーク

(下手前方に来て、ポケットから財布を取り出す。持ち上げながら)これでしょうか。

ストリックランド

やあ、それだよ。そうだろう、メイ?(財布を受け取る)

メイ

(かすかに)ええ、そうみたい。わたし――。

ストリックランド

君があんまり自信を持って言うから――。

メイ

どういうことか、分からないわ。

バーク

お金はどのくらい入っていますか、奥様?

メイ

四十ドルくらいだと思うけど。

バーク

おっしゃる通りです。三十八ドルと七十五セント。数えていただけますか、旦那様。

ストリックランド

(数える)それだけここに入っているんだね。間違いないね、メイ?

メイ

そ、そうだと思うけど。

ストリックランド

(お金を財布に戻し口を閉める)ロング・ブランチで見つけたということですね、ミスタ・バーク。

バーク

ええ。きのうの晩、プラットフォームで。紙切れが一枚入っていて、ロング・ブランチの住所が記されていました。ヘンダーソン・プレイス206番地。通勤路からかなり離れているので、今日の夕方になるまで行く機会がなかったんですが、行ってみたら年老いた家政婦しかいないんですよ。ストリックランドなんて人はいない、けれども前の日に女の人が訪ねてきたというんです。それで名刺に出ている住所に行こうと思ったんですよ。

ストリックランド

なるほど。とにかくお礼申し上げます、ミスタ・バーク。

(バーク、退場しようとする)

ストリックランド

待ってください。あなたのご親切に、ほんの心ばかりですが。(お札を数枚渡す)

バーク

(にこにこと)ありがとうございます。

ストリックランド

とんでもない。わたしたちのほうこそお礼を言わなければ。

バーク

わたしは、正直は最上の策、といつも言ってるんですよ。

ストリックランド

その通りです。

バーク

ええ、その通りだということが分かりました。それでは失礼します、奥様。お休みなさい、旦那様。

ストリックランド

玄関まで案内しましょう。(下手へ)

バーク

ありがとうございます。(退場。ストリックランドもあとを追って退場)

(ドリス、上手から登場)

ドリス

お母さん、お財布見つかった?

メイ

ええ、見つかったわ。さ、ベッドに入りなさい。

ドリス

でも眠くないんだもの。

メイ

寝なくちゃだめよ。しばらく目をつぶっていてごらんなさい。さ、いい子だから。(ドリスを上手に連れて行く。ドリス、上手のドアから退場)

(ストリックランド、再び登場。財布をテーブルに置く)

ストリックランド

財布をなくしたことに気づかないなんて変だね。もうちょっとで追い返すところだったじゃないか。どうしてあんなに言い張ったんだい?

メイ

あなたに不注意だと思われたくなかったのよ。

ストリックランド

(驚いて)じゃ、財布をなくしたことは気づいていたんだね。

メイ

それは――。

ストリックランド

気づいていたんだね?

メイ

ええ。きのうの晩、なくしたわ。(夫とむかい合う)

ストリックランド

なのに、どうして気づいていないふりをしたんだ?

メイ

お財布をなくしたことを知ったら、あなたが怒ると思ったのよ。

ストリックランド

なんだって、そんな――。

メイ

なくすなんて、うかつだったわ。

ストリックランド

しかし、おまえ――。

メイ

ただ心配させたくなかったのよ。

ストリックランド

見つかったんだから心配なんかするわけないだろう?(テーブル下手側に座る)

メイ

馬鹿なことをしたわ。

ストリックランド

どうして財布がロング・ブランチなんかに。きのう、むこうに行ったわけじゃないだろう?(メイ、答えず)行ったのかい?

メイ

ええ。

ストリックランド

けど、さっき買い物をしていたって。

メイ

それはドリスへの言い訳よ。(テーブルのほうへやってくる)

ストリックランド

ドリスへの言い訳?

メイ

そう。わたしがどこに行くか、知りたがったの。(テーブルの上手側に座る)海岸に行くと言ったら、一緒に連れて行ってとしつこくせがまれるだろうと思って。

ストリックランド

でもドリスが寝たあとでも同じことを言ったじゃないか。

メイ

そうだった? わたし、自分でもなにをしゃべっているのか、分からなかったんだわ。

ストリックランド

旅行用の服を探していたとさえ言ったんだよ。

メイ

変ね。きっと今晩は頭が混乱しているんだわ。あなたが帰ってきて興奮しているのよ。(立ち上がる)

ストリックランド

ロング・ブランチになんの用があったんだい?

(バーサ登場)

メイ

なに、バーサ?

バーサ

ご主人様の夕食ができています。

ストリックランド

分かったよ、バーサ。すぐ行く。

(バーサ、下手後方から退場)

メイ

食事をしたほうがいいわ、ロバート。冷めてしまう。(テーブルの背後に回る)

ストリックランド

すぐ行くよ。

メイ

食べなきゃだめよ。でないと病気になるわ。

ストリックランド

ロング・ブランチのことだけ教えてくれないか。なんだか訳が分からない。

メイ

いつかお話しするわ。今は疲れているの。それにあなたは夕食がまだだし。

ストリックランド

なんであんなところに行ったのか、教えてくれないのかい?(妻は一歩上手に移動)あそこに行くなんて、手紙には書いてなかったね? どうして隠そうとするんだ?

メイ

隠してなんかいないわ。もちろん理由はお話しするわ。友だちに会いに行ったの。

ストリックランド

ロング・ブランチに友だちがいたとは知らなかった。

メイ

あなたの知らない人よ。

ストリックランド

誰だい、それは?

メイ

ルース・グリーンていう人。

ストリックランド

ルース・グリーンて誰だい?

メイ

学校が一緒だった古い友だち。

ストリックランド

ぼくは会ったことがあるかい?

メイ

いいえ。もう何年も会ってなかったのよ。

ストリックランド

じゃ、どうしてきのう会いに行くことになったんだ?

メイ

手紙が来たのよ。来てくれって。

ストリックランド

(下手に数歩歩く)何年も会っていなかった友だちから、突然ロング・ブランチまで来てくれと頼まれたのか。どうしてむこうのほうから会いに来ないんだね?

メイ

危篤状態で、もう一度わたしに会いたかったのよ。だから来てくれと言ったの。学校にいた頃はとても仲がよかったから。

ストリックランド

危篤状態なら、手紙なんか書けやしないだろう。

メイ

ほかの人に書いてもらったの。

ストリックランド

なんの病気なんだ?(妻のほうへ近づく)

メイ

そ、それは――肺炎。

ストリックランド

ああ、命に関わるんだね。

メイ

ええ、そう。

ストリックランド

しかしバークはそこには誰もいなかったって言っていたぞ。

メイ

バーク?

ストリックランド

ああ――ヘンダーソン・プレイスの住所にはね。つまり彼が訪ねた家だよ。年老いた家政婦がいるきりだって言っていた。

メイ

ああ、そうね、思い出したわ。今日、入院すると言っていた。

ストリックランド

肺炎で?

メイ

ええ――ひどい合併症が起きて。

ストリックランド

なるほど。(下手へ行き、ソファに座る)

メイ

夕ご飯がさめちゃうわ、ロバート。

ストリックランド

気にするなよ。腹は減ってないんだ。もうちょっと話をさせてくれ。

メイ

なにを考えていらっしゃるの、ロバート?(テーブルの上手側に座る)

ストリックランド

ミス・グリーンの手紙が見たいな。

メイ

それは見せられないわ。

ストリックランド

どうして?

メイ

だって、わたし以外には知られたくないような個人的なことが書いてあるんですもの。

ストリックランド

でも彼女が手紙を書いたわけじゃないだろう?

メイ

ええ。お母様がお書きになったのよ。

ストリックランド

ほう、お母さんがいるのか。

メイ

もちろんいるわ。

ストリックランド

(テーブルの端に腰掛ける)つまり、何年も会っていなかった君の友だちは危篤状態になり、母親に頼んで、夫であるぼくにも見せられないような内容の手紙を母親に書いてもらった、こういうことだね?

メイ

そうよ。ちっとも変なことはないでしょう?

ストリックランド

そうかもしれない。(中央下手寄りへ移動)だけど、それでも手紙は見たいな。中身は読まないよ。ただ見るだけだ。

メイ

どうして?

ストリックランド

(テーブルの下手側に座る)手紙にはその友だちの住所が書いてあるはずだよ。なのに、どうしてわざわざ別の紙に書き写したのか、それが知りたい。

メイ

別の紙に書き写したなんて、だれが言ったの?

ストリックランド

バークだよ。財布のなかにヘンダーソン・プレイスの住所が書かれた紙切れがあったと言っていた。

メイ

ああ、それは、その――わたしが――(立ち上がり、上手に一歩進む)

ストリックランド

(妻に近づいて肩に両手を置く)メイ、なにか隠しているね。

メイ

そんなこと言わないで、ロバート。どうして隠し事なんか。

ストリックランド

ぼくには分からないよ。でも君は隠している。なにを隠しているんだ、メイ?

メイ

なにも。

ストリックランド

いや、なにかある。こんな君は見たことがない。教えてくれないか。

メイ

なにもないのよ、あなた――なにも。(上手前方へ)

ストリックランド

それなら手紙を見せてくれたっていいじゃないか。

メイ

見せられないわ。

ストリックランド

見せられない?

メイ

ええ。焼いちゃったもの。

ストリックランド

おや、焼いたのか?

メイ

ええ。

ストリックランド

どうして?

メイ

手紙は取っておかない主義なの。

ストリックランド

どうして最初からそう言わなかったんだい?

メイ

なにを最初から言わなかったのよ。

ストリックランド

手紙を燃やしたことさ。

メイ

だって、犯罪者みたいに尋問するんだもの。頭のなかが独楽みたいに回っている。これ以上は耐えられない。(上手後方へ)

ストリックランド

(テーブルのほうへ)メイ、君を傷つけるつもりはないよ。悩んでいるなら話してくれ。いままでお互いに隠し事をしたことはなかったじゃないか。

メイ

でも話すことなんかないのよ――なにもないのよ。

ストリックランド

じゃ、自分で調べるしかないな。(テーブルの下手側にある椅子に座る)帰宅してこんなことになるとは思わなかった。(沈黙する)

メイ

(テーブルの背後で――間を置いて)なにを考えているの?(夫は返事をしない)つまらないことに興奮するよりお食事をなさったら。

ストリックランド

ヘンダーソン・プレイスか。トラスクがくれた名刺はどこだ?(ポケットを探る)

メイ

(テーブルの上手側へ)なんのこと?

ストリックランド

(名刺を見つける)あったぞ! なんだ、これは?「14,右、2,27――」いや、これじゃない。こっちだ――ヘンダーソン・プレイス206番地。206番地だと!(立ち上がる)バークが言っていた番地じゃないか?

メイ

知らないわ。わたしは知らない。

ストリックランド

(中央下手寄りへ)そうなのか、それとも違うのか?

メイ

知らないわ。

ストリックランド

すぐ分かるさ。(テーブルの財布に手を伸ばす。メイが先にひっつかむ)その財布を貸してごらん。

メイ

なんのために?

ストリックランド

住所を見たい。

メイ

住所なんて入ってないわ。

ストリックランド

財布をよこすんだ。

メイ

だめ、ロバート!

ストリックランド

財布を調べたいんだ。言うとおりにしたまえ。

メイ

ロバート!

ストリックランド

渡してくれるのか、それとも拒否するのか?

メイ

お願いよ、ロバート。

(妻から財布をひったくる。彼女は小さな叫び声をあげる。ストリックランド、財布を開け、中身をテーブルにぶちまける。そのなかから探していたものを見つける)

ストリックランド

これだ。ヘンダーソン・プレイス206番地。(テーブルの下手側へ)トラスクの住所だ。トラスクのところへ行っていたのか? なにか言うことはあるかね?

メイ

(上手前方へ。絶望的に)話すわ。

ストリックランド

ちょっと待て。トラスクの家に行ったんだね?

メイ

そうよ。

ストリックランド

じゃあ、友だちとか、母親とか、手紙を燃やしたとか、みんな嘘だったんだな?

メイ

そうよ。でも聞いてちょうだい。

ストリックランド

言ってごらん。聞いている。(テーブルの下手側に座る)どうしてトラスクの家に行ったのか知りたい。

メイ

せっつかないで聞いてくれるなら話すわ。

ストリックランド

話したまえ。

メイ

あなたはミスタ・トラスクがロング・ブランチにおうちを持っているって言っていたでしょう。

ストリックランド

それで?

メイ

家のことを手紙に書いてきたとき――。

ストリックランド

どうして話をやめちゃうんだい?

メイ

あなたが怖い顔をするから。

ストリックランド

先を続けろよ。

メイ

その、わたし、間取りのことはあまり知らないから、上手に間取りされた家を見たかったのよ。それでロング・ブランチまで行って、ミスタ・トラスクの家を見てきたの。

ストリックランド

彼と一緒にか?

メイ

いいえ、一人で。家政婦が見せてくれたわ。

ストリックランド

そんな理由で家を見に行ったのか。

メイ

そうよ。

ストリックランド

じゃ、なぜ嘘をついたりしたんだ?

メイ

あなたが怒るんじゃないかと思って。

ストリックランド

どうして怒るなどと?

メイ

分からないわ。知らない人の家に行くなんて馬鹿なことをしたわ。それにあなたが疑わしそうに見るから、嘘をつくしかなかったのよ。(上手に一歩進む)

ストリックランド

今晩、君を紹介したとき、お互いに会ったことのないふりをしたね。

メイ

会ったことないもの。

ストリックランド

じゃ、彼の住所をどうやって知った?

メイ

電話したの。

ストリックランド

電話したのか?

メイ

ええ。もちろん。許可なしに行けないわ。

ストリックランド

電話して家を訪ねる許可を求めた――会ったこともない人に。

メイ

彼はあなたの友だちじゃない――そうして悪いことはないと思うわ。

ストリックランド

彼はなんと言った?

メイ

かまわないって。

ストリックランド

それで住所を教えたのか?

メイ

そう。

ストリックランド

(半分狂ったように)嘘を言うのもいい加減にしろ。

メイ

どういうこと?

ストリックランド

いいか、この住所はトラスクの筆跡で書かれている。(妻のほうにむかって進む)

(メイは一声叫んでテーブルの上手側に座る)

ストリックランド

さあ、本当のことを話したまえ。トラスクに会ったことがあるんだな?

メイ

ええ。

ストリックランド

あいつもここに来たことがあるんだな。

メイ

ええ。

ストリックランド

いつ?

メイ

おとといの晩。

ストリックランド

そしてきのう、むこうに行くことに決めたんだな? あいつも行ったのか? あいつと会うためにあそこへ――なんてことだ!(中央下手寄り後方へ)

メイ

ロバート。

ストリックランド

メイ、なぜあんなところへ行った?――答えろよ。

メイ

それは――だめ、だめよ。話せない。話せないわ。(下手へむかう)

ストリックランド

メイ、ぼくを愛しているなら――ぼくを愛したことがあるなら――。

メイ

だめ――話せない。

ストリックランド

話せない? それはつまり――嘘だ! 嘘だと言ってくれ。(妻は答えない)それとも本当なのか?

メイ

ロバート、もうなにもお訊きにならないで。答えられないんですもの。あなたにお話しできないことがあるの。ただわたしを信用して、ロバート。いままでずっと愛し合ってきたじゃない。お互いを信じ合ってきた。あなたはわたしの人生のすべてよ――あなたとドリスは。わたしたちは引っ越しして、新しい生活を始めようとしている。たぶん、新しい家に落ち着いたら、いつか話すこともあると思うわ。でもいまはだめなの。ずっとわたしを信じてくれたじゃない。いまもわたしを信じて。

ストリックランド

信じるとも――信じるとも! しかしひとつだけ話してくれ。君とトラスクはどういう関係なんだ?

(メイ、ソファにくずおれ、すすり泣く。ストリックランド、突然中央にむかい、上手のドアを見、両手で顔をおおう――うめき声――突然下手の出口にむかい、立ち止まる――バッグのところへ飛んでいき、拳銃を取り出し、下手から飛び出す――ドアが閉まる大きな音)

メイ

(ソファで泣きながら――立ち上がり――中央後方へ)ロバート! ロバート! 行ってしまった! 行ってしまったわ! あの人を見つけたら、殺してしまう。一生が台無しになる。ロバート、あなた。(急いで電話へ)もしもし! 急いでつないでちょうだい、リバー182番――。

ドリス

(上手から急いでやってくる)ママ、怖いわ――わたし、怖いわ。

メイ

(娘を両腕で抱く)ああ、おまえ! かわいいわたしの子供!(ドリスを抱きしめる)もしもし! もしもし!――。

(幕)

第三場

(ドリスの泣き声が聞こえる)

ドリス

怖いわ。怖い。

(溶明。舞台は法廷)

ドリス

(泣きながら)怖いわ。怖い。(証人台で)

アーバックル

泣くんじゃない、ドリス。もうすぐ終わるから。お母さんが電話で呼び出したのは誰だね?

ドリス

ミスタ・トラスク。でもいなかった。

アーバックル

いないとどうして分かったのかね?

ドリス

だってお母さんが、またかけるって言ったもの。

アーバックル

それからお母さんはどうしたのだい?

ドリス

泣き叫んで、部屋のなかを行ったり来たりして、怖ろしいことをいっぱい言ったわ。

アーバックル

どんなことを?

ドリス

どうして話さなかったのだろう? どうして話さなかったのだろう、って。

アーバックル

それから?

ドリス

それからわたしも泣いたわ。怖かったんだもの。お母さんに話しかけようとしたけど、聞いてくれなかった。すごく怖くなった。いまも怖いくらい。(泣く)

アーバックル

泣くんじゃないよ、ドリス。あと二三分だから。それで終りだからね。

ドリス

(泣きながら)お母さんに会いたい。

アーバックル

泣かないでがんばるんだ。あとほんの少しだから。(顔にやった手を取りのける)さあ、いい子だ。わたしの言うことを聞くんだ。

ドリス

(嗚咽をこらえながら)はい。

アーバックル

お母さんはもう一度電話したかい?

ドリス

はい。「あなたなの? ジェラルド・トラスク?」って言いました。もうしゃべりたくない。頭が痛いし、怖いの。

アーバックル

怖くなんかないよ。すぐ終わるからね。お母さんは「あなたなの、ジェラルド・トラスク?」って言ったんだね。

ドリス

はい。

アーバックル

それからなにが起きたんだい?

ドリス

それから――それから――分からない。

アーバックル

そんなことはないはずだよ、ドリス。考えてごらん。何回も話してくれたじゃないか。

ドリス

覚えてない。

アーバックル

がんばって考えるんだ。勇気を持って。電話から音が聞こえたかい?

ドリス

はい。

グレイ

(立ち上がる)弁護側は誘導尋問を行わないよう、もう一度強く申し上げます。

アーバックル

裁判官、この子供は非常に緊張しながら証言しています。多少の逸脱は許されると思います。

ディンズモア

できるだけ証人を誘導しないようにしなさい。

(グレイ、座る)

アーバックル

音が聞こえたと言ったね、ドリス?

ドリス

はい。

アーバックル

どんな音だったかね?

ドリス

分かりません――変な音だったの――かんしゃく玉みたいな。

アーバックル

お母さんはその音を聞いたときどうしたのかね?

ドリス

悲鳴を上げて「神様、殺したんだわ!」と言いました。もう行かせてちょうだい。わたし、話したくない――。

アーバックル

最後に一つだけ質問したら終りだよ。

ドリス

もういや。

アーバックル

お母さんは「神様、殺したんだわ」と言ったあとどうしたんだい?

ドリス

わたしを抱いて、キスして、「さようなら」と言いました。わたしは泣きました。お母さんがキスしたとき痛かったから。

アーバックル

そしてお母さんは行ってしまったんだね?

ドリス

はい。

アーバックル

その晩からお母さんを見たことはあるかい?

ドリス

(すすり泣きながら)いいえ。お母さんに会いたい。

アーバックル

どこにいるか知っているかい?

ドリス

(すすり泣きながら)いいえ――どこにいるか、教えて。お母さんに会いたい。お母さんに会いたい。お父さん(幕が降り始める――彼女は証人台の段を駆け下りようとするが、アーバックルが両腕で彼女をつかまえる)どうしてお母さんを泣かせたの? どうしてわたしを見捨てて行かせちゃったの?

アーバックル

(彼女を両腕で押さえながら)この子の喚問を終わります、裁判官。

ストリックランド

いい加減にしろ、あんたは娘を苦しめているじゃないか。

グレイ

ただいまの子供の証言は削除するよう動議を提出します。

ディンズモア

(木槌を一度たたく)静粛に。

ストリックランド

(立ち上がる)あんたは娘を苦しめているんだぞ。

(幕)

第三幕

第一場

場面 法廷

ディンズモア

ミスタ・グレイ、今朝ミスタ・アーバックルを見たかね?

グレイ

いいえ、裁判官。

ディンズモア

(時計を見る。裁判官が時計を見ると陪審員も何名か時計を見る)十時二十分過ぎだ。ミスタ・ダニエルス!

廷吏

(立ち上がる)なんでしょう、裁判官。

ディンズモア

ミスタ・アーバックルの事務所に電話して、なぜ遅れているのか理由を聞いてくれないか。

廷吏

かしこまりました、裁判官。(下手へ行く。アーバックル登場。息を切らし、バッグを持っている。テーブルの上手側にバッグを置く)ミスタ・アーバックルが到着しました、裁判官。

ディンズモア

(とがめるように)本法廷は十時開廷の予定だったのですよ、ミスタ・アーバックル。

アーバックル

(中央に寄る)裁判官、お許しください。一晩中、この事件にかかりきりだったのです。昨晩のうちに思いがけない展開がありました。被告の妻、ミセス・ストリックランドが昨日の夕方、わたしの家を訪ねてきたのです。どうやら彼女は事件のあと重体に陥ったのですが、自分の証言の重要性に気がついて、証人台に立つため、気力を振りしぼってきたようです。裁判官、彼女の話しは事件の様相を一変させるものであります。

グレイ

異議あり。弁護側はまだ喚問されてもいない証人の証言について見解を述べています。

アーバックル

分かりました、裁判官。さっそくミセス・ストリックランドを喚問します。彼女の証言にわたしの見解は必要ありません。ミセス・ストリックランドを呼んでください。

(裁判官に話しかける。廷吏は上手のドアを開けて呼ばわる)

廷吏

ミセス・ストリックランド。

(メイが上手から登場。上手のテーブルの前に立つ)

アーバックル

(彼女のほうに近寄り、手を取って証人台に立たせようとする)証人台に立ってください。

(メイ、証人台に立つ)

書記

右手をあげてください。これからあなたが行う証言はすべて例外なく真実であることを神に誓いますか? お名前は?

メイ

メイ・ディーン・ストリックランドです。

アーバックル

ミセス・ストリックランド、あなたはロバート・ストリックランド、被告の妻ですね?

メイ

そうです。

アーバックル

いつ結婚しましたか。

メイ

一九〇三年七月十五日です。

アーバックル

ジェラルド・トラスクはご存じですか。

メイ

はい、知っております。

アーバックル

最初にミスタ・トラスクと会ったのはいつでしょうか。

メイ

一九〇〇年三月でした。

アーバックル

それはミスタ・ストリックランドを知る以前のことですね?

メイ

そうです。二年以上前のことです。

アーバックル

そのときあなたは何歳でしたか。

メイ

ちょうど十七でした。

アーバックル

どこでミスタ・トラスクと会ったのですか。

メイ

レイクウッドでした。

アーバックル

では、ミセス・ストリックランド、当時のあなたとミスタ・トラスクの関係を説明してください。

メイ

とても親切で、いろいろなところに連れて行ってくれました。彼と会って十日後に町へ帰ると、彼も戻ってきました。彼は相変わらず贈り物をよこしたり、わたしを外出に誘いました。そしてある日、結婚を申し込んできたのです。

アーバックル

それはいつのことでしたか。

メイ

一九〇〇年の四月のことです。

アーバックル

あなたは申し込みを受け入れたのですか。

メイ

最初は断りました。待って欲しいと頼んだのです。

アーバックル

彼はなんと返事を?

メイ

好きなだけ待ってあげようと言いました。でも会うたびにその話しをするんです。どんなにわたしを愛しているかとか、どんなにわたしが大切であるかとか。とても熱心で、まじめに見えたので、わたしはつい彼の言うことすべてを信じてしまいました。そしてとうとう根負けし、結婚を承諾したのです。

アーバックル

それはいつでしたか。

メイ

五月の十九日です。彼は翌日にも結婚したいと言いました。でも家族にはしばらくのあいだ知らせることができないというので、秘密裡に結婚しなければなりませんでした。次の日、彼は車でわたしを迎えに来ました。ロング・アイランドのグレート・ネックにあるホテルに行く、そこで牧師と会う手はずなのだと言うのです。わたしたちはその晩の七時頃にグレート・ネックに着きました。

アーバックル

(間を置いて)それで?

メイ

次の日の朝、わたしたちは部屋で朝食をいただくはずでした。

(幕が降り始める――暗転――幕)

第二場

(下手からノックの音が聞こえる。幕が上がる。明転。メイが上手から登場)

メイ

すぐ行きますから。すぐ。(下手のドアを開ける)どうぞお入りになって。

ウエイター

(朝食を持って入ってくる)朝食をお持ちしました、奥様。

メイ

そこに置いてくださいな。

ウエイター

食卓を整えましょうか、奥様。

メイ

結構よ。

(ラッセル、花束を持って登場。ウエイターは下手から退場)

ラッセル

おはようございます、ミセス・トラスク。

メイ

あら、おはようございます、ミスタ・ラッセル。

ラッセル

朝食の仕度を監督しに参りました。お祝いの席にしようと思いまして。

メイ

(笑いながら)そうね。これが最初の朝食なんですから。

ラッセル

料理長には腕によりをかけて作れと申しつけました。

メイ

まあ、ミスタ・ラッセル、気を遣っていただいて。

ラッセル

(花を差し出して)これは婚礼の花束です。お二人に幸せが訪れますように。

メイ

ありがとう、ミスタ・ラッセル。きれいだわ。

ラッセル

当ホテルの庭から取ったものです。どうかわたしにテーブルの仕度をさせてください。

メイ

あら、いけないわ。わたしにさせてくださいな。

ラッセル

それでは、どうぞ、朝食をお楽しみください。

メイ

そうさせていただくわ。もう一度お礼を言います。(花を手に持って)

トラスク

やあ、ラッセル!(下手から登場)

ラッセル

(ドアのところで)おはようございます、ミスタ・トラスク。(下手から退場)

メイ

ジェラルド、見て、このきれいなお花。ミスタ・ラッセルが持ってきてくれたの。すてきじゃない?

トラスク

いいね。

メイ

なんて親切な人なんでしょう。

トラスク

君を見ると親切にせずにはいられないのさ。

メイ

そのお世辞にお花を一本あげるわ。

(彼の上着に花をさす)

トラスク

あの朝飯はやけにいいにおいがするな。

メイ

今までどこに行っていたのか言わなきゃ食べさせてあげないわよ。

トラスク

車を直していたんだ。

メイ

ずいぶん長いことかかったわね。

トラスク

たった十五分さ。

メイ

たった十五分! まあ、一生分の長さだわ。戻ってこないのかと思ったくらい。

トラスク

(笑いながら)そんなこと考えたのかい?

メイ

ええ。そうなったら大変なことになるわね、新婚初日だというのに。

トラスク

ああ。祭壇の前でお別れじゃあな。

メイ

あんなに長い時間どこかへいっちゃうなんて、お仕置きものだわ。(花を花瓶に生ける)

トラスク

お仕置きは勘弁してくれ。腹のすいているときに叱られるのは大きらいさ。(テーブルクロスを手にする)

メイ

二度としないって約束する?

トラスク

ああ、約束する。

メイ

あら、それだけじゃだめよ。「絶対、絶対、絶対そばを離れません、命のあるかぎり」って言わなきゃ。さあ、言って。

トラスク

絶対、絶対、絶対離れません――なんだったっけ?(二人でテーブルクロスを敷く)

メイ

「命のあるかぎり」

トラスク

命のあるかぎり。これでいいかい?

メイ

いいわ。それから、「許してください」って言うの。

トラスク

許してください。

メイ

「いとしいメイ」。

トラスク

いとしいメイ。(キスをし、両者、テーブルの両側に立つ)

メイ

あら、あなたガソリンの味がする。

(朝食の準備)

トラスク

そうだろう。車を満タンにしていたから。(下手に行く)

メイ

どうして?(下手に行く)

トラスク

午後、出発するんだ。(グレープフルーツをテーブルに置く)

メイ

出発するって、どこへ?

トラスク

君の好きなところへ。

メイ

どうしてここを出るの?

トラスク

ここには面白いものなんかない。退屈だよ。

メイ

でもわたしは気に入ったわ。これからはずっとわたしにとって神聖な場所よ。わたしたちが結婚した所なんですもの。二人の人生でいちばん幸せに満ちた場所だわ。(ナイフ、フォーク、ナプキン、トーストを置き、テーブルの上手側に行き、食卓を整える)

トラスク

もちろん君の言うとおりさ。だけど、やっぱり活気がないな。(オムレツを取る)

メイ

ジェラルド、これからときどきこっそりここに来ましょうよ。あなたとわたしと二人きりで。そして今日のことを思い出して過ごすの。どう?

トラスク

ああ。そいつはいいな。(コップ、受け皿、大皿、クリーム、コーヒーを置く)

メイ

不思議な気がしない? きのうはここが変な名前の場所にすぎなかったのに、今は世界でいちばんいとしい場所なのよ。とっても幸せだわ、ジェラルド。まだ公表しちゃだめなの?(二人は抱擁する)

トラスク

ああ。まだまだだめだよ。

メイ

家族がこういうことに介入するのって間違っていると思うわ。二人が愛し合っているなら、ほかの人にいちいち相談する必要はないと思うの。(テーブルに花瓶を置く)

トラスク

みんながみんな、そういう考えじゃないのさ。(砂糖、塩、こしょうを置く)

メイ

公表できたらいいのに。(テーブルの上手側に座る)自分がどんなに幸せか、みんなに話したくてうずうずしているのよ。

トラスク

誰にも一言も言っちゃいかんよ。

メイ

ええ、言わない。約束したもの。でも牧師が誰かにしゃべるかも知れないわ、ジェラルド。牧師のなかには噂好きの人もいるから。

トラスク

話さないように言い含めておくさ。(バター皿を置く)

メイ

なんていう名前なの?

トラスク

牧師かい?(テーブルの下手側に座る)

メイ

ええ。

トラスク

ええと、スミス。ウォルター・スミス。

メイ

いい人?(コーヒーを注ぎ、砂糖、クリームを入れる)

トラスク

ああ、いいやつだよ。

メイ

親友なんでしょう?

トラスク

ああ、大学のクラスメートさ。

メイ

よかった。

トラスク

どうして?

メイ

知らない人よりずっといいわ。そう思わない?

トラスク

ああ、もちろんさ。だからあいつに頼んだんだ。

メイ

もうすぐ着くかしら。

トラスク

朝のうちにって言っていたがね。

メイ

きのうの晩、あなたが最初に出した知らせを受け取らなかったなんて、変な話だわ。

トラスク

変なことはないさ。女中が手渡すのを忘れたんだろう。それだけのことさ。

メイ

電話したときは、もう遅すぎて、ここに来られるような時間じゃなかったけど。

トラスク

うん、そうだったね。真夜中近くだったから。無理強いはできなかった。

メイ

きのうの晩に来てくれたらよかったんだけど。

トラスク

ああ、来られなかったのは残念だ。

メイ

なんとなくいやな感じがするわ。

トラスク

どうしてだね。ほんの数時間早かろうが遅かろうが、なんの違いがある?

メイ

そりゃ、そうだけど。でも近くの誰かで間に合わせてもよかったと思う。

トラスク

あたってみたって言ったじゃないか。結婚式を挙げられる牧師は一人しかいなくて、たまたま集会とかで、いま町にいないんだ。しかし君が気に病むと分かっていたら――。

メイ

あなた、怒っていないでしょう、ねえ。(立ち上がってテーブルの背後に立つ)

トラスク

もちろん、怒っちゃいないさ。君の気持ちは理解できるよ。しかしあんなものは結局、形式だからな。

メイ

それもそうだわ。わたしってばかね。でもそんなわたしをあなたは辛抱強く見守ってくれる。ねえ、ジェラルド、わたし、ときどきあなたが怖いような気がするの。

トラスク

とんでもないことを言うなあ! なぜだい?(オムレツを皿に取り分ける)

メイ

あなたはいろいろなことを知っているんだもの。(テーブルの上手側に座る)

トラスク

そんなの、怖がる理由にならないよ。(メイに皿を渡す)

メイ

それは分かっている。ジェラルド、ほかの女の子が好きになったことがないって本当?

トラスク

君、そのことはさんざん言ったじゃないか。信じられないのかい?

メイ

もちろん信じているわ。でもあなたがわたしと恋におちるなんて、すごくおかしな感じ。ほかにもたくさん女の子と会っているでしょうに。

トラスク

ああ。でも君のような人には会ったことがない。

メイ

うんと大切にしてくれるわね?(彼の手を取る)

トラスク

言ったじゃないか。

メイ

それから優しくしてくれるわね。

トラスク

わたしにできるかぎり。

メイ

そしてずっとわたしを愛してくれるわね。

トラスク

生きているかぎり。これも言ったね。

(二人、見つめ合いながら飲み物を飲む)

メイ

(間を置いてから、上手の窓辺に)ミスタ・スミスったら、早く来ないかしら。

トラスク

なんで遅れているんだろう。

メイ

電話したほうがいいんじゃない?

トラスク

いや。もうちょっと待とう。

メイ

来なかったら、どうするの?

トラスク

どっちにしろ、午後にはここを離れないとならないな。

メイ

でも結婚しないで離れるわけにいかないわ。

トラスク

どうしてだい?

メイ

どうしてって! ジェラルド、あなた、きっと結婚したくないのね。

トラスク

そのことは納得したと思ったんだけどな。

メイ

分かってるわ。でも――。

トラスク

いったいなにを心配しているんだね。たかが儀式じゃないか――形式にすぎないよ。

メイ

分かってる。でも女は男の人とは違う見方をするのよ。

トラスク

だがねえ、友だちが来ないなら、ここで結婚はできないじゃないか。

メイ

だれか見つからないの――。(テーブルの上手側に座る)

トラスク

無理だよ。誰もいないんだ。それにここじゃ指輪も買えやしない。

メイ

あら、指輪を用意してないの?

トラスク

ああ、忘れたんだ。でもだいじょうぶ。ウォレスに一つ持ってきてくれと頼んだから。

メイ

ウォレス? さっき名前はウォルターだって、言わなかった?

トラスク

そうだよ。ウォレスはわたしがつけたあだ名なんだ。あいつはスコットランドの先祖をえらく自慢しているからね。

メイ

そうだわ! ジェラルド、わたし、金のプレーン・リングを持っている。取ってくる。(上手から退場。間を置いて下手のドアをノックする音)

トラスク

入りたまえ。(ラッセル、電報を持って登場)やあ、ラッセル。そこに持っているのはなんだい? 戦地からの特電かい?

(メイ、上手から登場)

メイ

ジェラルド、見て。これで間に合うと思うわ。(中央上手寄り前方へ)

ラッセル

これを説明していただきたいですな。(電報を読む)「到着するまでメイ・ディーンを留め置かれたし。ジェラルド・トラスクと一緒にいる――ヘンリー・ディーン」

メイ

お父さんからだわ!

トラスク

(メイにむかって怒鳴る)どういうことだ?

メイ

分からないわ、ジェラルド。どういうことなのかしら。

トラスク

おやじにしゃべったのか。

メイ

言わなかったわ。

ラッセル

ミスタ・トラスク、どういうことです?

トラスク

なにがどういうことなんだ?

ラッセル

こちらの女性はあなたの奥さんなんですか、それとも違うのですか。

トラスク

そんなこと、君になんの関係がある?

ラッセル

おおいに関係があります。あなたがたは夫婦であると記載なさった。

トラスク

それでなにが心配なんだ?

メイ

ミスタ・ラッセルに説明してあげなさいよ、ジェラルド。(トラスク、上手の窓のほうへ行き、外を見る)わたしたち、これから結婚するんです、ミスタ・ラッセル。きのうの晩、式を挙げるはずだったんですけど、牧師さんがいなくて。

トラスク

黙っていろ、メイ!

ラッセル

そうでしょうな。ここから一マイル近辺に牧師は六人といないでしょうから。

メイ

どういうこと! ジェラルド――。

(ジェラルド、下手前方のラッセルの所へ行く)

トラスク

黙っていろと言ったんだ。わたしに任せろ。どうしろと言うんだ、ラッセル?

ラッセル

すぐ出ていってください。

トラスク

午後出ていく予定だ。

ラッセル

それではだめです。直ちに出ていってください。いま十一時です――お昼までには出ていってください。

トラスク

準備ができたら出て行ってやるさ。

ラッセル

いいえ、いま出ていってください。怪しい客をお泊めするわけにはいきません。

メイ

どうしてあんなことを言わせておくの?

トラスク

黙っていてくれ!

ラッセル

わたしは何年もかけてよい評判を築いてきたのです。あなたのためだろうが、誰のためだろうが、それを犠牲にするつもりはありません。

トラスク

自尊心の強いやつだな。ロング・アイランドの旅館はここだけじゃないんだぜ。

ラッセル

あなたのごひいきがなくてもやっていけます。とにかく、あなたみたいな人は虫が好きませんね。

トラスク

言いたいことは充分言っただろう、ラッセル。出ていってくれ。(上手に行き、それから舞台後方へ)

ラッセル

(下手のドアへ)いいでしょう。しかしお昼までに出ていってくださいよ、いいですか。お嬢さん、あなたのためにも、それまでにお父さんがここに到着することを祈りますよ。

トラスク

部屋から出て行かないなら、蹴り飛ばすぞ。

ラッセル

昼までに出ていかなかったなら警察を呼びますよ。(下手から退場)

(トラスク、下手へ。ドアに鍵をかける。メイ、そのあとを追う)

メイ

ジェラルド、彼はどうしてあんな口のきき方をするの? どうして説明しなかったの?

トラスク

まずいことになったな。

メイ

でも、ジェラルド、説明しさえすれば――。

トラスク

おやじに居場所を教えるなって言ったじゃないか。

メイ

教えてないわ。

トラスク

なんだと!

メイ

教えてないわよ。教えるなって言われなかったら、言っていただろうけど。

トラスク

だれにも言うなと五十回は言ったぞ。(上手前方へ)

メイ

でも、わたしはしゃべってないわ――絶対!

トラスク

じゃ、どうしてここが分かったんだ?

メイ

知らないわ――でもわたしから聞いたんじゃない。

トラスク

これだけは起きて欲しくなかったんだ。(下手へ)

メイ

でも、わたしのせいじゃない。

トラスク

君の親父がここに来る。一騒動あるぞ。

メイ

だいじょうぶだと分かれば何も起きないわ。でもどうしてまだ結婚してないって分かったのかしら。

トラスク

さあ、時間を無駄にするな。準備しろ。(上手へ)

メイ

なんの準備?

トラスク

出発のだよ。おやじが着くまでに抜け出すんだ。

メイ

そんなのだめよ、ジェラルド。ねえ――。

トラスク

わたしがなんとかする。準備しろ。(上手のドアへ――ノックの音)

メイ

きっとミスタ・スミスだわ。

トラスク

くそっ! 君のおやじだ。一悶着あるぞ――。

メイ

入ってもらってもいい?

トラスク

待て。君のおやじなら、わたしが会うのはまずい。

メイ

でも、ジェラルド――。

トラスク

よく聞くんだ。わたしは別の部屋に行く。君がおやじさんと話しているあいだそこで待っている。わたしを出せといわれたら、外出していると言うんだ。できるだけ急いで追い返せ。分かったな?

メイ

ええ。でももしミスタ・スミスだったら?

トラスク

いま指示したとおりにやれ、いいな?

(ノックの音。彼は寝室に入る。メイはぐずぐずと立ち止まっている。それから下手へ行き、ドアの鍵をはずす)

メイ

お父さん!(中央下手寄りにさがる)

ディーン

トラスクはどこだ?

メイ

どうして来たの、お父さん?

ディーン

やつはどこだ?(中央、テーブルの前に行く)

メイ

で、でかけているわ。

ディーン

どこに行った?

メイ

知らないわ――言わなかったから――でも、お父さん――。

ディーン

いつ戻る?

メイ

それは――しばらくは戻らないと思う。(間を置く)どうしてここだと分かったの、お父さん?

ディーン

いま、そんなことはどうでもいい。荷物をまとめなさい、メイ。(朝食を見る)

メイ

荷物? どうして?

ディーン

家に帰るんだ。

メイ

でも、お父さん、ジェラルドとわたしはきょう結婚するのよ。いま牧師を待っているの。(父のほうへ行く)

ディーン

やつは結婚できん。(娘を抱く)

メイ

できないって、どういうこと?

ディーン

もう結婚しているからだ。(背をむける)

メイ

(声を詰まらせて)結婚してる?

ディーン

やつの奥さんが今朝電話をしてきた。監視させていたらしい。

メイ

嘘よ! そんなの信じない。信じないわ!

ディーン

おいで、メイ。

メイ

(ドアに背をむけて)お父さん、分からないの? わたしたち、今日結婚するのよ。牧師が来るのよ。(ミセス・トラスク登場)きのうの晩、来るはずだったんだけど。お父さん、分からない?(メイは振り返ってミセス・トラスクを見る。間を置いて)あなたは、誰? なんの用? この人は誰なの?

ディーン

ミセス・トラスクだ。

ミセス・トラスク

お父さんと家に帰りなさい。

(メイ、呆然と二人を見る)

ディーン

(彼女のそばに寄り)さ、メイ、来るんだ。

(メイ、寝室のドアに駆け寄り、荒々しく開ける)

メイ

ジェラルド! ジェラルド!(部屋の中に入り、出てきて、ドア口に立つ。五つ数えたのち、車の音。彼女は窓辺に駆け寄る。ディーン、寝室に入る)ジェラルド! ジェラルド!(叫び声をあげて倒れる。ディーン、戻ってくる)

ディーン

メイ!

(暗転。幕)

第三場

(幕が上がり明転)

メイ

(証人台に立っている)それからなにが起きたのか、覚えていません。きっと気絶したのでしょう。でもあの自動車の音はその後、何週間も頭のなかで鳴り響いていました。そのすぐあとでした、父が亡くなったのは。それからロバート、わたしの夫に出会ったのです。彼がわたしに心を寄せていると知ったとき、わたしはあの――あの恐ろしい経験のことを話そうとしました。けれども彼の幸せを壊すのが怖かったのです。理解してもらえなかったかも知れません。男の人には理解できないことですし、わたしはあの人をとても愛していました。 彼にはわたしと、わたしを信頼することが必要のようでした。彼にしゃべることはできない、わたしはそう思うようになりました。彼はわたしの人生のすべて。どんなにささいな不幸からも彼を守るため全力を尽くすつもりでした。彼は強い男ですが、わたしが守ってあげる必要があるようでした。二年後、わたしたちは結婚し、あの恐ろしい経験は悪い夢にすぎなかったと考えるようになりました。それから赤ちゃん――ドリスが生まれました。わたしが見守るべき相手が二人になったのです。彼らの幸せがわたしの人生のたった一つの目的でした。 九年間、わたしたち三人は幸せに暮らしていました。ところが一年ほど前のある日、ロバートがあの男の名前を口にしたのです。どこかであの男に会ったのです。そのまま二度と会うことがなければいいと思っていたのですが、二人はますます親密になっていきました。ロバートは何度かわたしたちを引き合わせてやると言ったのですが、わたしは一年間それを避け続けました。そのあいだに、ロバートの事業に問題が生じ始めました。彼――あの男ですが――は夫にお金を貸したり、いろいろ救いの手をさしのべてくれました。彼らの友情が深くなるにつれ、わたしはわたしたちの幸せがめちゃくちゃにされるのではないかと恐れるようになりました。 そんなときに、あるビジネスチャンスが訪れたのです。それを利用すればニューヨークを離れることができる。わたしはロバートにこのチャンスを受け入れるよううながし、彼もとうとうそうする決心をしました。まるで神様が夫と子供の幸せを守ってくれているみたいでした。月曜日にロバートはクリーブランドへ行きました。そして火曜日の夜、あの男が来たのです。その日が支払期限になっている手形のことで。彼はわたしを見るとロバートにすべてを暴露すると脅しました。わたしをあざ笑い、わたしがずっと黙っていたから、かえってロバートはわたしに対する中傷をなんでも信じるだろうと言いました。彼は次の日、ロング・ブランチの彼の家に来いとわたしに要求しました。 わたしは慈悲を乞い、ひざまずき、何度も何度も懇願しました。彼は聞こうとすらしませんでした。ロバートを破滅させ、乞食にしてやると言うのです。わたしは恐ろしくて気が狂いそうになりました。自分のことなんかどうでもよかった。ただロバートと子供のことだけを考えていました。彼らの幸せはわたしの決断にかかっている。彼らを守るためならどんな犠牲も払うつもりでした。死ぬことで彼らが救えるなら、喜んで死んだでしょう。本当はそのほうがずっと易しかったのだけど――でもほかに方法はなかったし、わたしはなんとしてでも彼らを救わなければならなかった。 そのあとロバートに勘づかれてしまい、わたしの長年にわたるもくろみはついに打ち砕かれてしまいました。きのうの晩、病院で看護婦たちが小さな女の子の証言について話をしているのをぼんやりと聞きました。それがわたしの子供で、夫が殺人と窃盗の罪で裁判にかけられていることを知り、病院の人はいやがったのですが、わたしは真実を知らせなければ夫が死刑になるかも知れないと説き伏せて出てきたのです。わたしは真実をお話ししました。お分かりになりませんか? 夫は盗みに入ったのではないのです。お金など取りはしません。ロバートは泥棒じゃありません。非難されるべきなのはわたしです。罪はすべてわたしにあります。わたしは夫と子供の人生を台無しにしてしまいました。神様、どうぞお許しを!(幕が下りる)神様、どうぞお許しを!

エピローグ

第一場

陪審員室

陪審長

ミスタ・マシューズ。

マシューズ

無罪。

陪審長

ミスタ・アダムス。

アダムス

無罪。

陪審長

ミスタ・リッチナー。

リッチナー

無罪。

陪審長

ミスタ・レヴィット。

レヴィット

無罪。

陪審長

ミスタ・オートン。

オートン

無罪。

陪審長

ミスタ・サマーズ。

サマーズ

無罪。

(幕が上がる)

陪審長

ミスタ・タヴェル。

タヴェル

無罪。

陪審長

ミスタ・エリオット。

エリオット

無罪。

陪審長

ミスタ・フレンド。

フレンド

無罪。

陪審長

ミスタ・リーズ。

リーズ

無罪。

陪審長

ミスタ・ムア。

ムア

(下手前方で立ち上がり、躊躇したあと)無罪。

リーズ

よしよし!

フレンド

そうこなくっちゃ。

エリオット

とうとう終わった!

タヴェル

いや、よかった!

ムア

ちょっと待ってください。ミスタ・トランブルがまだ票を投じてませんよ。あなたはどっちです?

陪審長

無罪十一票、有罪一票だ。

リーズ

おいおい、トランブル! いまになって反対するなよ!(下手前方へ行く)

フレンド

片意地張ってなんになるんだ。(立ち上がる)

タヴェル

無罪に変えて、けりをつけようぜ。

陪審長

(静かに)変えるつもりはないよ、みんな。

サマーズ

なあ、トランブル、理性に耳を傾ける気があるかい?(中央下手寄りへ)

陪審長

(椅子を後ろにずらし、片足をテーブルにのせる)聞こうじゃないか。

サマーズ

ストリックランドを電気椅子に送ってなんになるんだ? トラスクが生き返るわけでもないだろう? 君がしていることは、ただ、善良で高潔でまっとうな男を殺すことだぜ。社会にとっては貴重な人材だって言うのに。それにいちばん苦しんでいるのは誰だ? ストリックランドか? いや、彼じゃない! 奥さんと子供だよ。この二人が苦しんでいるんだ。君の評決は繊細な女性を世間から追放し、小さい子供の名前に汚点をつけることになるんだ。二度とぬぐい去ることのできない汚点を。君はいったいなにを考えているんだ、有罪にしようなんて?

陪審長

有罪になんかしたくはないさ。被告が誰であろうと、死刑にしたいとは思っちゃいない。わたしはみんなと同じくらい人間らしい気持ちを持っているつもりだよ。あなたの話を聞くと、わたしがストリックランドの血に飢えているみたいじゃないか。

(サマーズ、フレンドのそばへ行く)

マシューズ

合意をしぶる理由は?

レヴィット

どうして無罪に票を投じない?

タヴェル

言っていることとやることが違うじゃないか。

マシューズ

(陪審長に向かい合ってテーブルに着く)トランブル、理性的に考えろよ!

(リーズ、下手後方へ)

陪審長

みんな、ひとつ忘れちゃいないか。われわれは人間であると同時に市民でもあるんだ。陪審員として公平な評決を下すと誓ったんだよ。個人的な感情に左右されてはいけないんだ。あくまで証拠から判断しなければならない。(タヴェルは立ち上がり、座る)そのためにわれわれはここにいるんだ――正義を下すために。

(マシューズ、上手へ行き、冷水器から水を一杯手にし、上手に座る)

サマーズ

聞けよ、トランブル。君は理性的な男だ。(リーズ、中央下手寄りへ)ちょっとのあいだ堅苦しい理屈から離れようじゃないか。君は正義を下したいと言ったね。うん、わたしもそうだよ。みんなそうなんだよ。

リーズ

そうさ。当然じゃないか!

フレンド

その通り。

タヴェル

そのためにおれたちはここにいるんだぜ!

レヴィット

ごもっとも。

サマーズ

しかし正義ってのは、法の厳しい規則を適用することだけじゃない。たしかに法は、殺人を犯した者は死刑と規定している。しかしわれわれはそんな文字面の背後にあるもの、法の精神を理解しなくちゃいけないんだ。われわれは機械じゃないんだからね。この事件は刑法を機械的に当てはめてすむような事件じゃない。われわれは人間的な観点からこの事件を見つめなきゃならないんだ。ストリックランドの立場に立って考えなきゃならないんだよ。ちょっと考えても見ろよ。(下手前方へ)もしもミセス・ストリックランドが君の奥さんで、トラスクが他方の当事者だったら、君はどうする?

フレンド

やあ、その通りだ。

リーズ

それが正しい見方だよ。

タヴェル

あんただって同じことをやっただろう。(立ち上がり、陪審長に向かい合った席に着く)銃殺なんて、トラスクにはもったいないくらいだ!

マシューズ

ああ。不文法というのがあってね――(立ち上がる)

サマーズ

(遮るように)そこがあんたと意見の分かれるところだ。わたしはたいていの場合は、人の命を奪うことに、どんな正当な理由もないと考えるが、しかしこの事件は千に一つの例外だ。このトラスクというやつはわざと親友の家庭に入り込み、それをぶちこわしたんだ。女にはどうすることもできなかった。そして彼はその無力につけこんだ。だからわたしは無罪に投じたんだ。だから君も無罪に投じるべきなんだよ。トランブル、君にも奥さんがいるだろう。考えても見ろ――。

ムア

(下手前方へ。リーズもそのあとを追う。話しを遮る)お二人の話は論点がずれていると思いますよ。わたしの勘違いでなければ、トランブルはあなたと同じ意見で、ストリックランドにはトラスクを殺す正当な理由がちゃんとあったと考えている。

(サマーズ、中央下手寄り後方へ)

リーズ

じゃあ、なんで彼は反対なんだ?

タヴェル

なんでためらっているんだ? 教えてくれよ、トランブル。

陪審長

ミスタ・ムアの言ったことは正しいよ。わたしはストリックランドにトラスクを殺す理由があったと思う。似たような状況に置かれたら、わたしだって同じことをしていただろう。

サマーズ

しかし、それでも君は有罪に票を投じるんだね。

陪審長

うん。どうしてかというと、ストリックランドが奥さんのためだけにトラスクの家へ行ったのか、確信が持てないからさ。同時に金庫から金を盗むつもりだったんじゃないかと思う。

リーズ

ナンセンスだよ。(椅子のところへ行って座る)

フレンド

馬鹿馬鹿しい!

タヴェル

ストリックランドは泥棒じゃないよ。(下手後方へ)

サマーズ

(トランブルと反対側のテーブルの端に腰をのせて)本気でそんなこと信じちゃいないだろう、トランブル。ストリックランドを一目見れば、金庫破りじゃないことは確信できるはずだ。もちろん、個人的に彼を知ってるわけじゃないさ。しかし評判は昔から知っている。真っ正直な男だよ。実業界の誰にでも訊いて見ろよ。

フレンド

いや、その通りだ!

リーズ

みんな知っているよ!

タヴェル

泥棒なんかに見えるか?

陪審長

(立ち上がり下手に立つ)それは全部認める。しかし事実を避けることはできない。思うに、ストリックランドのまわりにはガブリエル大天使を地獄に落とせるくらい不利な状況が張り巡らされている。事実を考えてみたらいい。ストリックランドは金銭的に窮迫していた。トラスクに一万ドルを現金で払っている。どうしてビジネスマンらしく小切手にしなかったんだ? 彼はトラスクを除くと金庫のコンビネーションを知っている唯一の人間だった。そして金庫が開いているときその場にいた。疑われて当然の状況だとは思わないか。

サマーズ

(一歩奥へ)もちろん疑わしいよ。しかしどれも説明されていたじゃないか。どうしてストリックランドがあそこにいったか、理由は分かっている。

リーズ

そうだ。

フレンズ

確かに!

タヴェル

みんな明らかにされているぞ!(立ち上がる)

陪審長

すべてが君らのいうように説明されているなら、二つほど教えてくれないか。(タヴェル、席に着く)第一に泥棒はどうやって金庫を開けたんだ?

サマーズ

こじ開けたんだよ。(上手に進む)

陪審長

いや、そんなことはない。警察官の証言では、錠にはなんら傷はなかった。違うよ、賊はコンビネーションを使って開けたんだ。コンビネーションを知っていたのはストリックランドだけだ。

ムア

そういわれると、えらく不利な状況だなあ。

エリオット

そんなことないさ!

レヴィット

(テーブルの端に腰掛ける)わたしは状況証拠なんか信じないね!

マシューズ

おれもだ。

タヴェル

君がなんと言おうと、ストリックランドが強盗とは思えないよ!

陪審長

それだけじゃない。無罪に投票させたいなら他にも説明してもらいたいことがある。

サマーズ

なんだい?

陪審長

ストリックランドはコンビネーションの書かれた名刺を持っていた。あの名刺が彼に対するたった一つの罪証だった。もし彼が、君らの言うように、不法侵入してないとしたら、どうして名刺を破ろうとしたのだろう?

レヴィット

誰が破ろうとしたなんて言った?

タヴェル

どうして破ろうとしたことを知っているんだね?

陪審長

ほら、ここに名刺がある!(ムア、トランブルのそばに寄ってくる)半分に裂けそうになっているだろう? これを破ったのはストリックランドだとグローバーが証言したじゃないか。

レヴィット

まさか!

エリオット

そうだよ!

リーズ

その通りだよ!

フレンズ

覚えていないなあ!

タヴェル

そんなこと言わなかったぞ!

陪審長

これはかなり重要なポイントだと思うんだがね。

ムア

うむ。その点を指摘してくれてよかったと思いますよ。これに関してはあなたに賛成したくなった。

陪審長

ストリックランドが名刺を破ろうとした理由は一つしかない。有罪の証拠を隠滅しようとしたんだ。

サマーズ

名刺を破ろうとしたなんて信じないね。

レヴィット

いや、破ったんだ!

リーズ

いや、破っちゃいない!

タヴェル

グローバーはそんなことを言ってないぞ!

ムア

ちょっと待ってください。グローバーはたしかそう言っていたような気がします。

リーズ

言ってないよ。

マシューズ

言ったか、言わなかったか、はっきり覚えてないな。

陪審長

意見が割れているようだ。確かめるべきだろうね。

サマーズ

グローバーを呼んで訊いてみよう。(上手へ)

ムア

それはできません。許可を取って彼の証言を読み上げてもらわないと。

陪審長

よしきた。裁判官にメモを送るよ。(座って書き出す)

サマーズ

廷吏を呼んでくれ。(冷水器の横で水を飲む。ムア、ブザーを押す)

(暗転。幕。舞台が変わるあいだ呼び出しブザーの音)

第二場

(明転したとき法廷にブザーの音が鳴り響いている。書記、速記者、二人の廷吏が額を寄せて話し合っている。グレイとドクタ・モーガンはテーブルに着いている。一人の廷吏が陪審室に急いで入っていき、メモを手にしてすぐまた登場。下手に行き裁判官室に入る)

グレイ

なにかあったな。

ドクタ・モーガン

(テーブルの端に腰掛け)評決が出たのかな?

グレイ

(下手へ行き)たぶん。

ドクタ・モーガン

退出してどのぐらい経ったかね?

グレイ

(上手に行き)ほぼ五時間。

ドクタ・モーガン

どう思う?

グレイ

分かりませんね、ドクタ・モーガン。これは異常な事件ですから。

(廷吏、下手から登場)

廷吏

裁判官が入廷します。(ほかの廷吏に)弁護側に被告を連れてくるよう伝えてくれ。

(二人目の廷吏が上手から退場。一人目の廷吏は陪審室のドアを開け、上手後方へ行く)

一人目の廷吏

陪審団、お入りください。

(医者はテーブルの背後に回る。陪審員が列をなして入場、席に座る。裁判官、下手より登場)

書記

裁判官入廷です。

(裁判官、着席。陪審員等も着席。アーバックル、メイ、ドリス、ストリックランド、上手から登場、上手のテーブルに座る。ストリックランドが廷吏に付き添われてまず登場し、ついでメイとドリス登場。メイはテーブル上手側奥の椅子に座り、ドリスを膝の上にのせる。最後にアーバックル登場、テーブルの奥に立つ)

ディンズモア

(グレイとアーバックルに)陪審団からメモを受け取りました。グローバーの証言の一部を読み上げてもらいたいとの要請です。(速記者に)グローバーの証言を見てください。名刺を破ったという部分を読み上げてください。検察側証拠物件Aです。

速記者

(読む)ミスタ・グレイの質問「さて、ミスタ・グローバー、名刺がほぼ二つに引き裂かれていることに注意してください。どうしてこうなったのか、説明できますか」答え「はい。ストリックランドのポケットから名刺を取り出したとき、彼にひったくられ、半分に裂かれそうになったんです。その前にわたしがなんとか取り返したのですが」質問――。

(アーバックル、上手側へ行き、医師とグレイにひそひそと話しかける)

陪審長

それで結構です。(彼はほかの陪審員のほうをむく。三人が見た目にも熱を帯びた議論を始める。その間、ドクタ・モーガンはグレイとアーバックルに盛んに小声で話しかける)

ディンズモア

それでよろしいですか、皆さん。

陪審長

お待ちください、裁判官。

(陪審長とサマーズのあいだで議論が再開される)

陪審長

裁判官、陪審はミスタ・ストリックランドに二三質問する許可をいただきたいと思います。

ディンズモア

(アーバックルとグレイに)審理の再開に同意しますか。

グレイ

結構です、裁判官。

ディンズモア

ミスタ・アーバックルは?

アーバックル

(ストリックランドを見る。間を置いて)同意します、裁判官。

ディンズモア

ミスタ・ストリックランド!(ストリックランド、立つ)証人台に立つ気がありますか。

ストリックランド

はい、裁判官。(証人台に行く)

書記

これからあなたが行う証言はすべて例外なく真実であることを神に誓いますか? お名前は?

ストリックランド

ロバート・ストリックランドです。

陪審長

ミスタ・ストリックランド、あなたはなぜ金庫のコンビネーションが書かれた名刺を破こうとしたのですか。

ディンズモア

答えたくなければ答えなくてもよろしい。

ストリックランド

(陪審団に)わたしは破っていません。

陪審長

破らなかったというのですか。

ストリックランド

そうです。

陪審長

誰が破ったか知っていますか。

ストリックランド

いいえ。

陪審長

名刺に金庫のコンビネーションが書いてあったことは知っていましたか。

ストリックランド

きのう法廷で初めて聞きました。名刺に数字が書いてあるのは見ましたが、なんのことかさっぱり分かりませんでした。住所を見てから名刺のことなんかすっかり忘れていました、この法廷で見るまでは。

(ドクタ・モーガンがアーバックルを招き、もう一度証人台にたたせてくれと頼む身振り)

陪審長

では、ミスタ・グローバーがあなたのポケットから名刺を取ったのを、見もしなければ気付きもしなかったというのですね。

ストリックランド

そうです。あのときは激痛のあまりほとんどまわりのことが分かりませんでした。

陪審長

以上です。

(ストリックランド、証人台を降りる。陪審員たちは興奮したようにささやきかわす)

アーバックル

(中央へ)裁判官のお許しがいただければ、ドクタ・モーガンを再喚問いたしたいと思います。

ディンズモア

異論がありますか、ミスタ・グレイ。

グレイ

ございません、裁判官。

アーバックル

ドクタ・モーガン。

(ドクタ・モーガン、証人台に立つ)

アーバックル

ドクタ・モーガン、発砲のあった晩、被告のけがを検査しましたか。

モーガン

ええ、しました。ミスタ・トラスクはもう手の施しようがないと悟り、ミスタ・ストリックランドに注意を向けたのです。

アーバックル

被告はどのような状態だったでしょうか。

モーガン

痛みにうめきながら、半ば意識を失い、床の上に仰向けに横たわっていました。

アーバックル

被告の腕を診ましたか。

モーガン

ええ。ミスタ・グローバーと警察官が金庫を調べているあいだ、念入りに検査しました。

アーバックル

腕の状態について説明してください。

モーガン

腕は重い杖でしたたか打たれていました。手首にまともに当たったものですから、関節が外れていました。前腕の二本の骨、つまり橈骨とうこつと尺骨ですが、これが両方ともものの見事に折れているのです。わたしの知るかぎり最悪の骨折の一つですな。

アーバックル

では、ドクタ・モーガン、あなたの意見では、腕が折れてから、あなたが到着するまでのあいだに、被告がこの名刺をこのように引き裂くことができたでしょうか。

ドクタ・モーガン

できるわけありません。

アーバックル

確信がありますか。

モーガン

もちろんです! 手は完全に麻痺していました。かりに心のなかではそうしたくても、肉体的に不可能だったでしょう。骨はいまだにくっついていません。あのときは腕も手も一インチだって動かせなかったはずです。

アーバックル

ありがとうございます。以上です、ドクタ・モーガン。(モーガン、証人台を降り、上手テーブルの背後に行く)グローバーがどこにいるか知っていますか、ミスタ・グレイ。

グレイ

さっき見たときはわたしのオフィスで本を読んでいたが。

アーバックル

(廷吏に)ミスタ・グローバーがいるか、見てきてください。(廷吏、上手から去る。アーバックルは速記者に話しかける。緊張した待ち時間。廷吏がグローバーを連れて戻ってくる。廷吏は下手に行き、下手のドアを閉める)証人台に立っていただけますか、ミスタ・グローバー。(グローバー、証人台に立つ)またもやお手間をかけて申し訳ないのですが、はっきりしない点がひとつあるのです。

グローバー

わたしにできることなら喜んで――。

アーバックル

ありがとうございます。覚えておいででしょうが、ミスタ・グローバー、警察の到着を待っているとき、あなたはこの名刺が警察の役に立つかも知れないとお考えになりましたね。

グローバー

そうです。実際、役に立ちました。

アーバックル

その通りです。さて、ミスタ・グローバー、そのあとであなたは名刺を探そうとミスタ・ストリックランドのポケットを探ったことを覚えてますね。

グローバー

ええ。そして名刺を見つけました。

アーバックル

そうです。上着のポケットにあったんでしたね?

グローバー

そうです。脇ポケットです。

アーバックル

(舞台前方に行く)よかったら、その場面を詳しくお話しいただけないでしょうか。ミスタ・ストリックランドはどこにいましたか。

グローバー

床に倒れていました。仰向けに。

アーバックル

あなたは彼を見下ろす位置に立っていたんですね。

グローバー

そうです。

アーバックル

どちら側ですか。

グローバー

右です。

アーバックル

あなたが屈んでポケットを探ったとき、彼は抵抗しましたか。

グローバー

ええ、わたしを押しのけようとしました。

アーバックル

なるほど。こんなふうにあなたをかわそうとしたんですね。(右腕でだれかを押しのけるふりをする)

グローバー

はい。

アーバックル

しかし、最後には名刺を取ったんですね?

グローバー

はい。

アーバックル

ええっと、上着の左の脇ポケットにあったんでしたね?

グローバー

左?(間を置いて)そうです。

アーバックル

あなたが起き上がったとき、名刺は右手に持っていましたね?

グローバー

そうです。

アーバックル

しかしあなたが名刺を被告の手の届かないところに持っていく前に、被告は右肘をついて身体を起こし、左手であなたの手から名刺を奪い取った。ここまでよろしいですか。

グローバー

はい。

アーバックル

(舞台後方へ)わたしの説明で間違ったところがあれば訂正してください。ときどき記憶があやふやになりますので。

グローバー

いいですよ。間違ったら指摘します。

アーバックル

ご親切にありがとう。さて、ほかにも訊きたいことがあります。もうすこしご辛抱願います。

グローバー

かまいませんとも。

アーバックル

(舞台前方へ)そうそう、ストリックランドは名刺を奪い取り、破いたんでしたね。どういうふうに破いたんですか。

グローバー

どういうふうに? 質問の意味が分かりませんが。

アーバックル

つまり、すばやく破いたのでしょうか、それともゆっくりでしょうか、あるいは――。

グローバー

かなりすばやかったですよ。わたしはすぐに名刺を取り上げたんですけど。

アーバックル

なるほど。その点をはっきりさせましょう。ストリックランドは左手に名刺を持っていた――こんな具合に。よろしいですか。

グローバー

ええ。

アーバックル

で、彼は右肘をついて身体を支えていた――こんなふうに。いいですね?

グローバー

ええ。

アーバックル

それから彼はすばやく手を後ろに引いて名刺をほとんど二つに引き裂こうとした。これでよろしいですか。

グローバー

ええ。

アーバックル

なるほど。で、あなたは彼の手から名刺をひったくった。

グローバー

ええ。

アーバックル

名刺を取るとき、彼はあなたを脅しませんでしたか。

グローバー

ええ。毒づかれましたよ。覚えてろって。

アーバックル

わたしの記憶が正しければ、彼は拳銃をつかもうとした、とあなたは証言なさいましたね。違いますか。

グローバー

そうです。でも手が届かなかったんです。

アーバックル

(証人台にむかって行く)それできれいに説明がつきました。あなたのおかげではっきりしましたよ、ミスタ・グローバー。本当に助かりました。

グローバー

とんでもない。ほかにもなにかありますか。

アーバックル

いいえ、以上です。(グローバー、証人台を去ろうとする)そうだ、ちょっとだけお待ちを。

グローバー

よろしいですよ。

アーバックル

速記者にお願いしたいんだが、ドクタ・モーガンの証言の後半をミスタ・グローバーに読んであげてくれませんか。

速記者

ミスタ・アーバックルの質問「では、ドクタ・モーガン、あなたの意見では、腕が折れてから、あなたが到着するまでのあいだに、被告がこの名刺をこのように引き裂くことができたでしょうか」答え「できるわけありません」質問「確信がありますか」答え「もちろんです! 手は完全に麻痺していました。かりに心のなかではそうしたくても、肉体的に不可能だったでしょう。骨はいまだにくっついていません。あのときは腕も手も一インチだって動かせなかったはずです」

アーバックル

(グローバーに)グローバー、一万ドルをどうしたんだね?

グローバー

(あたふたと)なんの話しですか。どういうことです? なんの一万ドルです?

グレイ

(立ち上がって上手前方へ)裁判官、ジェラルド・トラスク殺害の共犯者としてこの男に対する逮捕令状を請求します。

グローバー

(飛び上がって)違います、裁判官、違います! わたしは殺してない! お金は取ったが、殺してはいない! お金の場所なら言います。別に欲しくはないんだ。欲しくないんです! 有罪を認めます。牢屋にも行きます。でも殺人で逮捕はしないでください。本当のことを話しますよ。すべて話します。ストリックランドが来るとは知らなかったんです。あの晩、盗むことを思いつきました。トラスクが金をよこしたとき、金庫に入れはしたものの、鍵はかけなかったんです。開けたままにしておいたけど、彼は気がつかなかった。そのあと、金を取りに戻りました。ストリックランドのことは知らなかった。神にかけて本当です! わたしが忍び込んだのをミセス・トラスクが聞きつけ、わたしは彼女の首を絞めました! でも、彼女はなんともありません。けがなんかしてません。だから殺人じゃないんです! わたしはお金を取りました。そしたらストリックランドが入ってきたんです。彼が来るなんて知らなかった。嘘じゃない。誓いますよ! わたしは殺人は犯してない。殺人とは関係ないんだ! 部屋を出たら、銃声が聞こえて、わたしは部屋に入った。そのとき初めて殺人があったことを知ったんだ。わたしは殺人者じゃない! わたしを刑務所に送るがいい。二十年の刑だってかまやしない。でも殺人罪で裁判を受けることはごめんだ。(グレイ、舞台後方へ)わたしが名刺を破った。ストリックランドが強盗を計画していたように見せかけるために。彼とは共謀しちゃいない。訊いてみてくれ! 違うっていうから。彼が来るとは知らなかった。訊いてみてくれ。わたしの言うとおりだから。(上手に行き、テーブルをたたく)ストリックランド、彼らに言ってやってくれ。おれたちは共謀してないと。

ディンズモア

あの男を連れて行け。

(二人の執行吏が彼をつかみ、上手に引きずっていく)

グローバー

ああ、裁判官、わたしは殺していないんだ。金は取ったけど、殺してはいないんだ。連れて行かないでくれ。ちくしょう、おれは殺人者じゃない。金は取ったが――(等々、退場するまで続く)

(廷吏、三人が退場するとドアをばたんと閉める)

ディンズモア

協議を再開してください。

陪審長

すでに評決は一致しています、裁判官。

書記

ロバート・ストリックランド!(ストリックランド、立って中央へ)被告人、陪審団を見るように。陪審団、被告人を見るように。陪審の皆さん、評決に達しましたか。

陪審長

達しました。

書記

どのような評決になりましたか。

陪審長

被告は無罪です!

メイ

ロバート!(彼の腕に倒れ込む)

後記

翻訳底本は Internet Archive(http://www.archive.org/index.php)所収 On Trial; A Dramatic Composition In Four Acts を底本にしましたが、落丁、誤植があるため Elmer Rice, Seven Plays (New York: Viking Press, 1950) も参照しました。この本を閲覧させてくれた藤女子大学図書館に感謝いたします。この翻訳は以前青空文庫に提供したものですが、今回いくつかの字句を変更しました。






End of the Project Gutenberg EBook of Saiban, by Elmer Rice

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electronic work or group of works on different terms than are set
forth in this agreement, you must obtain permission in writing from
both the Project Gutenberg Literary Archive Foundation and Michael
Hart, the owner of the Project Gutenberg-tm trademark.  Contact the
Foundation as set forth in Section 3 below.

1.F.

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effort to identify, do copyright research on, transcribe and proofread
public domain works in creating the Project Gutenberg-tm
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"Defects," such as, but not limited to, incomplete, inaccurate or
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1.F.2.  LIMITED WARRANTY, DISCLAIMER OF DAMAGES - Except for the "Right
of Replacement or Refund" described in paragraph 1.F.3, the Project
Gutenberg Literary Archive Foundation, the owner of the Project
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in paragraph 1.F.3, this work is provided to you 'AS-IS', WITH NO OTHER
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1.F.5.  Some states do not allow disclaimers of certain implied
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or cause to occur: (a) distribution of this or any Project Gutenberg-tm
work, (b) alteration, modification, or additions or deletions to any
Project Gutenberg-tm work, and (c) any Defect you cause.


Section  2.  Information about the Mission of Project Gutenberg-tm

Project Gutenberg-tm is synonymous with the free distribution of
electronic works in formats readable by the widest variety of computers
including obsolete, old, middle-aged and new computers.  It exists
because of the efforts of hundreds of volunteers and donations from
people in all walks of life.

Volunteers and financial support to provide volunteers with the
assistance they need are critical to reaching Project Gutenberg-tm's
goals and ensuring that the Project Gutenberg-tm collection will
remain freely available for generations to come.  In 2001, the Project
Gutenberg Literary Archive Foundation was created to provide a secure
and permanent future for Project Gutenberg-tm and future generations.
To learn more about the Project Gutenberg Literary Archive Foundation
and how your efforts and donations can help, see Sections 3 and 4
and the Foundation information page at www.gutenberg.org


Section 3.  Information about the Project Gutenberg Literary Archive
Foundation

The Project Gutenberg Literary Archive Foundation is a non profit
501(c)(3) educational corporation organized under the laws of the
state of Mississippi and granted tax exempt status by the Internal
Revenue Service.  The Foundation's EIN or federal tax identification
number is 64-6221541.  Contributions to the Project Gutenberg
Literary Archive Foundation are tax deductible to the full extent
permitted by U.S. federal laws and your state's laws.

The Foundation's principal office is located at 4557 Melan Dr. S.
Fairbanks, AK, 99712., but its volunteers and employees are scattered
throughout numerous locations.  Its business office is located at 809
North 1500 West, Salt Lake City, UT 84116, (801) 596-1887.  Email
contact links and up to date contact information can be found at the
Foundation's web site and official page at www.gutenberg.org/contact

For additional contact information:
     Dr. Gregory B. Newby
     Chief Executive and Director
     gbnewby@pglaf.org

Section 4.  Information about Donations to the Project Gutenberg
Literary Archive Foundation

Project Gutenberg-tm depends upon and cannot survive without wide
spread public support and donations to carry out its mission of
increasing the number of public domain and licensed works that can be
freely distributed in machine readable form accessible by the widest
array of equipment including outdated equipment.  Many small donations
($1 to $5,000) are particularly important to maintaining tax exempt
status with the IRS.

The Foundation is committed to complying with the laws regulating
charities and charitable donations in all 50 states of the United
States.  Compliance requirements are not uniform and it takes a
considerable effort, much paperwork and many fees to meet and keep up
with these requirements.  We do not solicit donations in locations
where we have not received written confirmation of compliance.  To
SEND DONATIONS or determine the status of compliance for any
particular state visit www.gutenberg.org/donate

While we cannot and do not solicit contributions from states where we
have not met the solicitation requirements, we know of no prohibition
against accepting unsolicited donations from donors in such states who
approach us with offers to donate.

International donations are gratefully accepted, but we cannot make
any statements concerning tax treatment of donations received from
outside the United States.  U.S. laws alone swamp our small staff.

Please check the Project Gutenberg Web pages for current donation
methods and addresses.  Donations are accepted in a number of other
ways including checks, online payments and credit card donations.
To donate, please visit:  www.gutenberg.org/donate


Section 5.  General Information About Project Gutenberg-tm electronic
works.

Professor Michael S. Hart was the originator of the Project Gutenberg-tm
concept of a library of electronic works that could be freely shared
with anyone.  For forty years, he produced and distributed Project
Gutenberg-tm eBooks with only a loose network of volunteer support.

Project Gutenberg-tm eBooks are often created from several printed
editions, all of which are confirmed as Public Domain in the U.S.
unless a copyright notice is included.  Thus, we do not necessarily
keep eBooks in compliance with any particular paper edition.

Most people start at our Web site which has the main PG search facility:

     www.gutenberg.org

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